かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 2の207

2019-10-02 19:11:20 | 短歌の鑑賞
   ブログ用渡辺松男研究2の27(2019年9月実施)
     Ⅳ〈蟬とてのひら〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P133~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆、渡部慧子    司会と記録:鹿取未放

  ◆5年以上の長きにわたって共に学んできたT・Sさんが
   9月5日急逝されました。感謝してご冥福をお祈りします。
  ◆秋田の菅原あつ子さんが、紙上参加で加わってくれました。


207 湯のそこにいつまでも沈みたくなりぬ吾はひとつぶの錫のつめたさ

     (レポート①)
 作者自身を一粒の錫とたとえ、そのつめたさを言い、いつまでも沈みたくなりぬと詠う。錫という響き、そのイメージが美しく、また湯の底にいつまでも沈みたくなりぬという全体から何か自己愛のようなものを感じる。錫は「いつまでも」湯につかっていても変質するものではないらしい。それどころか錫と湯のそれぞれの旁が似ていて安らかさを求める錫の気分が字面からみえるようだ。ひとつぶ、錫、つめたさ、湯に沈みたく、これらからやはり甘やかな気分が広がって何かお話に発展しそうである。(慧子)

          (レポート②)
 前の歌を受けての一首だろうか。「錫」のひんやりとした質感と、美しい照りがよく効いている。「湯のそこ」とは、温泉に入っていてるのだろうか。湯の中にいるのに自分だけが冷たく固まって小さな粒となっている。「錫/すず」の軽やかな音感から、若草のような抒情も漂う。(真帆)

     (レポート③)(紙上参加意見)
作者は優しい、良い人と思われているのだろう。また、本当に優しい人なのだと思う。けれど、自分にとても冷たい、みにくい部分があることを知っている。その自分を、無理だろうけれど溶かしたい。溶かして、メッキをはがしてしまいたい。でも無理だから、ずっと湯の中に沈んでいたいのだろう。私は人間の持つこういう願いに救いを見出す。もっといいものになりたいという切ない祈りのような願い。(菅原)
 

      (当日意見)
★錫の冷たさ、だから私は菅原さんの意見に賛成です。(鹿取)
★錫って曲げやすいですよね。ぐるぐるとぐろみたいに巻いたので花を飾る花器がある。
 今まで持っていた錫のイメージとこの歌は違って混乱しています。(岡東)
★下の句をいいと思いました。温泉に入っても湯に溶けないんですね、この人。普通は溶
 けちゃうんだけど自分は冷たいままで湯の中にいたい。体感的なものかなと。理屈なし
 で共感します。暖かい環境なんだけど、このままいたい。ひとつぶが効いていると思い
 ます。(A・K)
★私のレポートとは逆な自己愛ですね。(慧子)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 渡辺松男の一首鑑賞 2の206 | トップ | 馬場あき子の外国詠 344... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

短歌の鑑賞」カテゴリの最新記事