かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 252

2024-07-12 18:02:27 | 短歌の鑑賞
※4年ぶりに支部の勉強会を再開しました。 
 久しぶりの、リアル松男研究です。

   2024年度 渡辺松男研究2の33(2024年6月実施)
     Ⅳ〈白骨観〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P164~
     参加者:M・A、岡東和子、鹿取未放、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
     司会と記録:鹿取未放


252 ひっそりと風吹きているまひるどき時計のなかに白髪なびく

      (事前意見)
 しずかに風の吹く真昼時に、作者が見ているのは、自分の老いと死だろうか、それとも悠久の時の流れだろうか。「時計のなかに白髪なびく」という表現が読む側それぞれにそういった何かを喚起させる力があると思う。単に、本当に自分の白髪が時計の前に見えたことからできた歌かもしれないが・・・(菅原)


      (当日発言)
★菅沼さんが書いているように、わたしも時計の中に白髪が靡くとはどういう情景か
 分からないのですが。(岡東)
★時計の前に白髪が見えたのではなく、文字通り時計の「なかに」白髪が靡いているの
 です。大きな柱時計か腕時計か分かりませんけど。私は松男さんの「吹けばかまきり
 の子は飛びちりあなたはりありずむのめがねかけているだけ」(『〈空き部屋〉』)
 という歌を読んで以来、どんな非現実的な歌でも、まずは書いてあるとおりに読
 もうと思うようになりました。(鹿取)
★これは「しらが」ですか、「はくはつ」ですか。(A・K)
★「しらがなびく」では6音で不安定なので、「はくはつ」でしょうね。(鹿取)
★大きな柱時計をイメージしました。この歌も次の歌もそうですが寺山修司を思い出し
 ます。寺山の歌に「売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき」いう
 歌がありますが、「田園に死す」という映画があって、それには柱時計がいっぱい出
 てきます。時計の横にはお母さんの黒髪がからみついた赤い櫛があって、その櫛が
 コップに挿してある。それが渡辺さんの歌のバックにあるのかなあ。歌では柱時計を
 横抱きにして枯野を行くのですが、映画では砂丘のようなところで風が吹いているん
 ですね。ただ、渡辺さんという方が寺山修司と関係があるのかどうかはわからないの
 で、何ともいえないのですが。寺山の時計と白髪を逆転させて上手く作っておられる
 なあと思いました。寺山を思い出すまでは、時計は宇宙、白髪は老いの時間と考えて
 いました。(M・A)
★松男さんが寺山修司をどう見ているのか、影響があるのかないのか、私には分か
 らないです。(鹿取)
★寺山修司の話を聞いて寺山をバックに置くと読みが膨らんだような気がします。豊
 かになった。時計の中に自分の死が眼前しているように作者は思ったのかなあ。ひっ
 そりと風が吹いていて、真昼だという設定が効いていると思います。人間には計り知
 れない宇宙の時間の中で老いていくということ。それに寺山の世界を加えると、この
 歌は魅力的な歌だと思えます。さりげなくうたっているようだけど力業を感じる。
   (A・K)
★「いっしょうけんめい所長は柱時計のなか僕は腕時計のなかではたらく」という歌が
 この少し後に出てくるのですけれど、それも時間を問題にはしていますが、そちらは
 日常に落とした歌で、これはいわば純粋に観念的な時間の歌ですよね。 ただ、松男さ
 んは人間として日常を大切にする人なので、そのことは押さえておく必要があるのか
 なと。(鹿取)
★そうか、この歌は計算された歌だと思ったけど、やはり一首だけで自分のイメージ
 にひきつけて読もうとすると、浅くなりますね。かといって、全体を知らないと読め
 ないというのもなんだし…難しいところですよね。(M・A)


     (後日意見)(鹿取)
 上記の★2つめの鹿取の発言にあるかまきりの歌の他には松男さんの歌を読むときもう一つ思い浮かべることがある。それは『寒気氾濫』のあとがきのこんな一節である。「社会のために私は大したことを何ひとつできないかもしれないが、無理にでもそこに身を置いておかなければ嘘のような気がするのだ。家の水道の配管ひとつ動かすことも自分ではできない。そんなあたりまえの事実の部分に自分を繋ぎとめておかなければ、こころが痩せていくように思うのだ」。私はこのあとがきを読んで、渡辺松男という人をさらに信頼したが、かまきりの歌とこういう発言が両立しているところが渡辺松男という歌人の偉さだと思う。さらに、以下のような短歌についての松男さんの発言も常に私の念頭にある。「すべての言葉は既成のものである。既成のものを使って既成のものでないものを作る。そういうことが歌なのだろう…」(「存在の夢」)。
コメント
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