かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 132

2020-12-14 20:44:16 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研15(14年5月)まとめ
    【Ⅱ ろっ骨状雲】『寒気氾濫』(1997年)57頁~
     参加者:四宮康平、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
             


132 乱髪を父に見るとき父もまたわけのわからぬ闇のかたまり

    (発言)(2014年5月)
★130番歌に「夕焼けの赤を映せるプール出でなまもの父は濡れておるなり」とあるので、プー
 ルから上がって濡れたままの髪のことかなと。強いだけと思っていた父親の乱れ髪を見て弱い部
 分もあるのだなと。恐ろしい父親の面だけではないと。父親を擁護している感じ。(曽我)
★「もまた」とあるので、まず自分が「わけのわからぬ闇の塊」だという認識がある。そして父も
 そうだと。父とは子供や家族の前で取り乱しているところは見せたくないもの。ここはそういう
 父を見てしまった実感。(四宮)
★前の131番歌(平原にぽつんぽつんとあることの泣きたいような男の乳首)同様、父との同感
 の歌。同じであるという安心感。(鈴木)
★家長的で威圧的な父というものを忌避してきたけれど、ここでは家族の役割分担から離れて人間
 として、つまり死すべき存在として哲学的な闇を抱え込んでいる同じ存在だと。安心というより
 痛ましさかなあ、自分が抱えている苦しさやにがさが父にもあるんだという痛々しい感じ。
    (鹿取)
★私もおなじですよ。(鈴木)      


      (まとめ)(2014年5月)
 乱髪の父を痛ましいと捉えたけれど、決して卑小なみじめな像ではない。ここも悩めるギリシャの神々のようなスケールの大きさを感じさせる。プールから上がってきた父の歌の後にこの歌が置かれているせいだろうか、雄大な海を背にした巨人の神のようなイメージだ。(鹿取)

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