かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 176 中国①

2023-02-08 11:33:15 | 短歌の鑑賞
  2023年度版 馬場あき子の外国詠22(2009年10月実施)
   【紺】『葡萄唐草』(1985年刊)
    参加者:Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:渡部 慧子 司会とまとめ:鹿取 未放


176 春たくる上海予園門前市媼が紅巾を売る手冷たし

     (まとめ)
 レポートについて、いくら骨董市でも14世紀の「紅巾の乱」を起こした人々がかむっていた「紅巾」を売っているとは考えにくい。万一残っていたら博物館に収蔵されているだろうから、スカーフか何か紅い布を売っていたのだろう。この媼は貧しい商い人だと思われる。買い求めたときふと触れた媼の手が冷たかったのではなかろうか。あるいは冷たそうにみえたのかもしれない。「春たくる」といっているが作者が訪れた4月上旬は早春ではないにしろ「春まっさかり」というにはまだまだ寒いからここは媼の手の冷たさを際だたせるための短歌的措辞か。ちなみに4月上旬の上海の平均気温は東京とほぼ同じ14度℃である。 (鹿取)


    (レポート)
 中国庭園のうち上海のものは明、清時代に多く造園され、予園もこの時代のもの。その門前には骨董店が集まり、時代ものはもちろん、陶磁器、硯、高級時計、美術品など実にさまざまで、玉石混淆の品揃えであろう。
 さて14世紀に紅巾によって頭を包み同集団とした紅巾の乱(白蓮教徒の乱)が起こったのだが、その紅巾を媼が商っている。言いなりに買うもよし、疑って値切るもよし、旅の楽しさとして一首に残しているのだが、「売る手冷たし」とは偽物を掴ませようという冷ややかさを見抜いての措辞であろうか。いやそんな商いをしつつ生きていくことのあわれが、自然の摂理「春たくる」ときにもいたしかたなく滲んでいると感受されたのであろう。(慧子)

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