かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 50 中欧 361

2022-05-26 13:46:07 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
   【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁
   参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター 崎尾廣子    司会とまとめ:鹿取未放


361 色寒きあしたの風はそら鳴りすハンガリー英雄広場人なく

     (レポート)(崎尾)
英雄広場:一八九六年、ハンガリー建国1000年を記念して造られた。ブダペスト最大の広       場。扇状に並んでいる像は歴代国王などハンガリーの英雄達である。台座にはマジ       ャル族などの部族長の騎馬像が並んでいる。全部で一四体ある。
英雄十四体は次のとおり。
   ①聖イシュトヴァーン   ②聖ラースロー   ③アールマン   ④エンドレ2世
   ⑤ベーラ四世    ⑥カーロイ・ロペルト   ⑦ラヨシュ大王   
   ⑧フシャディ・ヤーノシロ   ⑨マーチャーシュ   ⑩ポチカイ・イシュトヴァーン
   ⑪ペトレン・ガーボル   ⑫テケリ・イムレ   ⑬ラーコ-ツィ・フェレンツⅡ世
   ⑭コッシュート・ラヨシュ
  ※「○世」など表記が統一されていませんが、レポーターの表記通りにしました。(鹿取)
 
(まとめ)
 朝の人気のない、風だけが吹き抜ける英雄広場の寂しさを詠んでいる。それは並べられている英雄達の過ぎ去った生涯に対する愛惜でもあり、自分が寄ってたつ現代の空しさをも思っているようだ。(鹿取)
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馬場あき子の外国詠 50 中欧 359 360

2022-05-25 12:10:16 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
  【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁
   参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   司会とまとめ:鹿取未放


359 パーサーはアップルジュース供したりシベリアはただ灰青の襞

     (まとめ)
 「パーサー」は、「首席の客室係」と辞書に出ている。パーサーみずから客にアップルジュースをサービスしてくれたのだ。雲はもう切れてシベリアが見下ろせたのであろう。しかし高度のせいで細かい景は見えず「灰青の襞」として目に映った。
 一連の歌ではここで初めて人間が登場してほっとするのだが、シベリアが出てくるとやはり抑留されていた日本人兵士達を連想させられる。おいしいアップルジュースを飲みながら、寒さと飢えで死んでいった兵士たちのことが脳裡をかすめたのであろう。「灰青の襞」のかなたに兵士達はうずもれているのである。356番歌(ハバロフスクの上空に見れば秋雪の界あり人として住む鳥は誰れ)で挙げたかつてのシベリア詠、例えば
  シベリアの雲中をゆけば死者の魂(たま)つどひ寄るひかりあり静かに怖る『飛種』
などを見ると、そのことは容易に想像できるだろう。(鹿取)
 

360 つばさ大きく傾けてドナウ越えたれば楽音に似たり秋天の藍

    (まとめ)
 躍動感に満ちた歌である。美しい藍色の秋空に翼を大きく傾けてドナウの上を越えてゆく飛行機のダイナミックな感じに、いよいよ目的地が近づいた心躍りが感じられる、「楽音」とひっくり返した感覚も気分良く響く。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 50 中欧 358

2022-05-24 14:51:04 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
  【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁
   参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   司会とまとめ:鹿取未放

358 ただ白き雲の平を見るのみにウラル越えボルガ越え行く天の秋

        (当日発言)
★「天の秋」は、秋天の和語的な言い方でしょう。「ウラル越えボルガ越え」は、飛行機が越えた
 のを機内の地図か旅の本で確認したのであって、ウラルやボルガを作者の目で見ている訳ではな
 い。ウラルやボルガの上には「ただ白き雲の平」が広がっていたから見えなかった。(鹿取)
★想像では難しいのではないか。ウラルは見えたのではないか。ボルガもちらちらと見えたかもし
 れない。(藤本)
★見えた根拠は何ですか?どこにも見えたとは書いてないけど。見えなかったから「ただ白き雲の
 平を見るのみに」と表現したんでしょう?この歌のねらいも面白さも、ウラルやボルガを越えた
 んだけど、何も見えなくて私は白い雲を見ていただけだった、というところにあると思います。
 見えたら、雲の切れ間からウラルやボルガがちらりと見えたと詠うでしょう。飛行機の前方画面
 に今どこを飛んでいるか表示されますよね。それを見れば今ウラルの上、ボルガの上を飛んでい
 ることは分かる。私がロシアへ行った時、歌集にも載せなかった下手な歌だけど、〈うたたねの
 間にいくつの川を越えたのかエニセイ、オビと聞けばゆかしき〉と歌った。もちろん眠っていた
 ので、エニセイ川もオビ川も見ていない。エニセイとオビはものすごく離れているので、本当は
 うたた寝の間には越えられない距離と思いますが。(鹿取)


         (まとめ)
 飛行機の下は白い雲が広がっていて、ウラルもボルガも下界は見えなかったのであろう。その白い雲が平らに一面にどこまでも広がっている様子を「天の秋」と季語ふうにとらえている。ウラル山脈やボルガ川をしっかりと見たかったのに、とやや惜しむ気持ちもあるのだろう。ちなみに、シベリアという呼称は、狭義にはレナ川より東を、広義にはウラル山脈より東をいうらしいので、広義のシベリアともこの辺りでお別れである。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 70 中欧 357

2022-05-23 13:41:36 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
   【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁
   参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾廣子    司会とまとめ:鹿取未放


357 アムールを越えてはるかに飛びゆくをあなさびし人恋ひて降(お)りゆける鳥

        (レポート)
 アムール川:ロシアと中国の国境付近を流れる大河。モンゴル北部のオノン川を源流とし、東流
       してタタール海峡に注ぐ。全長4350キロメートル。黒竜江。


        (まとめ)
 「ハバロフスクの上空に見れば秋雪の界あり人として住む鳥は誰れ」に続く歌。ハバロフスク上空からアムール川が見えているのである。一面の雪景色の中、川だけがぽっかりと黒く流れているのだろう。アムールを越えて飛ぶのは、この歌では鳥ではなく作者達を乗せた飛行機であろう。渡り鳥たちが羽を休めるために地上に降りてゆくのを見下ろしているのである。当日発言にあるはぐれた一羽の鳥だと飛行機のスピードから目撃するのは難しいだろう。前の歌の「人として住む鳥」の気分を受けて「あなさびし人恋ひて」と思うのは作者の鳥たちへの優しさである。この鳥たちは人間を恋いて地上へ降りてゆくのだと思うのは自分自身のそこはかとない旅の寂しさが反映しているからだろう。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 50 中欧 356 

2022-05-22 12:51:08 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
   【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁
    参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
     司会とまとめ:鹿取未放


356 ハバロフスクの上空に見れば秋雪の界あり人として住む鳥は誰れ

          (まとめ)
 この旅は10月か11月頃のことであろうか。(歌集巻末に載る中欧の歌の初出が総合誌の1月号である。)冬の早いシベリアにはもう雪が積もっているのが見下ろせた。四句から五句にかけての「人として住む鳥は誰れ」は難解で、さまざまな意見があった。
 一番単純な解釈は、飛行機から見ると一面の雪景色で、その上を鳥が舞っていた。そんな鳥を見ながら、あの中に人間となって住む鳥がいるかもしれないなあ、あるいは人間となって住んでいる鳥もいるのだろう、と空想している。「鶴の恩返し」などを考えればそれほど無理な解釈ではないだろう。次の歌(アムールを越えてはるかに飛びゆくをあなさびし人恋ひて降(お)りゆける鳥)へも自然に繋がる。
 もう一つの解釈は、言葉の外側にシベリアで亡くなった日本人兵士を鳥として悼む気持ちが揺曳しているととるもの。これは「住む」が現在形なので少し無理のある解釈かもしれない。とはいえ、作者はシベリア上空を通る度に抑留された日本人兵士のことが気になるらしく、しばしば歌にしているので、何首か挙げてみる。
  白光を放つ雲上ひきしまり足下にシベリアの秋ひろがるといふ
『飛種』(1996年刊)トルコ途上の詠
  シベリアの雲中をゆけば死者の魂(たま)つどひ寄るひかりあり静かに怖る
  呼びても呼びても帰り来ぬ魂ひとつありきシベリアは邃(ふか)しと巫(ふ)に言はしめき
  魂は雪に紛れてありと言ひて青森の巫の泣きしシベリア
  収容所(ラーゲリ)の針葉樹林に死にしもの若ければいまだ苦しむといふ

 一万七千の高度よりみる白雲の網に捕らはれし初夏のシベリア
『青い夜のことば』(1999年刊)スペイン途上の詠


     (当日意見)
★歌の切れ目はこんなふうになると思います。
ハバロフスクの/上空に見れば/秋雪の/界あり人として/住む鳥は誰れ
7・8・5・9・7でずいぶん破調の歌です。4句が句割れになっています。(鹿取)

 ※以下、ブログを読んでくださった方々からの意見です。
  
       ◆(後日意見)①
とても魅力的な歌。その超常的な魅力はやはり下の句の「人として住む鳥」にある。秋雪の界に人として住む鳥は、神話的で、この世ならぬスピリチュアルなイメージもあります。「人として住む鳥」は誰か。やはり生身の人間ではないのだと思います。飛行機のなかで、シベリアの雪景色を見ながら初めてそんな存在が感受できたのではないかと思いました。鹿取さんのおっしゃるように、シベリア抑留の死者のたましいが重ねられているのかもしれないと思います。(N・U)

       ◆(後日意見)②
 鶴の恩返しの話から解釈するのがいいかもしれない。抑留の話まで広げるのはやはり無理かもしれませんが、そんな鳥が今住んでいるのかもしれないと見下ろしているのではないか。シベリアからやってきて日本で越冬する鶴や昔話へ思いが飛んで、飛行機から物語の世界へきたように見ているのだろうか。ロシア民話の変身譚などを思い出しました。
                       
      ◆(後日意見)③ ロシア文学に出典があるのではないか。(田村広志)

    ◆(後日意見)④
 イシュトヴァーンを調べる段階で、「伝説の鳥」の話に行き当たった。ウラル山脈あたりに住んでいたマジャル民族が西進して住み着いたのがハンガリーの起こりだそうだが、その部族長アールパードをこの伝説の鳥が生んだと伝えられている。初代国王イシュトヴァーンはその子孫にあたるそうだ。飛びつきたい伝承だが、いかんせんハバロフスクとウラル山脈は離れすぎている。
 スウェーデンの童話「ニルスの不思議な旅」も気になる。小さくされてガチョウに乗ったニルスが空の旅をしつつ成長する話で、大江健三郎がノーベル賞受賞の折の講演で引用しているが、これもいかんせんシベリアとは離れすぎている。(鹿取)

    ◆◆(後日意見)⑤(2015年4月)
 先日、NHKで放映された「遠野物語」に関する番組で、馬追鳥(ウマオイドリ)の話が紹介された。ホトトギスに似た鳥で、胸に轡のような型があるという。お話は、奉公人が山へ馬を放しに行くが、戻ろうとしたら一頭足らず、逃げた馬を探し回っているうちに馬追鳥になったというもの。そして深山に住んでマーオー、マーオーと鳴いているらしい。遠野だけでなく近隣に似たような話があり、奉公人が継子だったり、逃げたのが牛だったりといろいろなバリエーションがあるようだ。
 これまで、「鶴の恩返し」、イシュトヴァーンの「伝説の鳥」、「ニルスの不思議な旅」など「人として住む鳥」について意見が出されたり、私自身も考えたりしたが、今回、「遠野物語」を聞いていて、場所が離れていることにはそれほどこだわる必要がないのだと気がついた。
 ハバロフスク上空を飛行機でよぎる時、秋なのにもう雪に埋もれた地が見下ろせた。その時ふっと上記のお話の「人として住む鳥」が脳裡をよぎった。「人として住む鳥」という言いまわしは分かりづらいのだが、哀れさを誘われるかなしい鳥なのだろう。その思い描かれた鳥は、作者が見たと言っているわけではないから雪の積もったハバロフスクに住んでいる必要は無いわけだ。ただ、哀れさの連想からいくとイシュトヴァーンの「伝説の鳥」、「ニルスの不思議な旅」などは消えるかもしれない。この時作者が馬追鳥のお話を思い浮かべたとしてもおかしくはないように思われる。そもそも「人として住む鳥」を特定する必要もないだろう。(鹿取)

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