かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 190

2022-11-25 12:11:37 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の25(2019年7月実施)
     Ⅲ〈行乞〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P120~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


190 人参の地中に奪う朱のいろにおもいおよびてぞくぞくとせり

    (レポート)
 人参が朱色に育ってゆくのは、地中にある朱色から奪っているからかもしれない、そう思うと、ぞくぞくとするという。「人参」の語感にはニンジン(人間)も感じられるし、朱色は血の色のようにも感じられる。地中に生きている生物たち、あるいは死者たちの骸の血を吸って朱色になっている人参だと思い至ったとき、背中に悪寒がはしったのだろう。おもしろくて怖い一首だ。いや、怖くて面白い一首だった。(真帆)


       (当日意見)
★「ぞくぞく」はひたすら面白くてぞくぞくと思いました。私はネパールで
 リンゴを見たのですが、見渡す限りがれきの大地なんですね、そこに近藤
 亨さんって人が果樹園を作る指導をしていてリンゴが赤く実っている。こ
 のリンゴの赤ってどこから来ているんだろう、不思議だなと思いました。
 死者達の血の色を奪うって、それはそれで面白い解釈で、なるほど怖いで
 すよね。(鹿取)
★「朱を奪うもの」って映画があったのでアレッと思ったのですけど。発想
 のオリジナリティがすごいですね。人参がきれいな色だとは思っても、地
 中からその色を奪ったとは普通思わないですものね。常識からたいていの
 人は出られないけど、こう思えるというのが素晴らしいですね。(A・K)
★「朱を奪うもの」は円地文子さんの小説ですね。(真帆)
★松男さん、お百姓のお祖父さんをよく詠っているので、人参なんかも畑に
 育っているところを見てきた経験があるんでしょうね。子供の頃からにん
 じんの色はどこから来るのか、不思議に思っていたのかもしれませんね。
   (鹿取)
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 189

2022-11-24 14:57:49 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の25(2019年7月実施)
     Ⅲ〈行乞〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P120~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


189 おおきくちいさく雪くるくると降りやまず杭を打つなら中心を打て

  (レポート)
 降る雪をながめていると、大きい雪、小さい雪、雪にいろいろあることを、大抵の人は一度は感じたことがあるだろう。そんなゆきが「くるくる」回りながら降り続いているという柔らかな景を思い描いていると、下句では急に「杭を打つなら中心を打て」と激しくしめくくられる。杭を打つときは、中心をはずしてしまうと、右に左にとゆがみ、何度も打ち直すことになってしまうのだろう。雪がふっているために杭頭がすべり、なかなか要領よく打込めず、作業が長引いてしまっているのかもしれない。下句は真実をみよというアフォリズムのようでもある。(真帆)


       (当日意見) 
★上の句は雪の降りようがよく捉えられている。こんな感じに雪って待っています
 よね。こんな雪降りの中で杭を打とうとしたらどこが中心かも見えづらいですね。
 まあ、そんな理屈を言っている歌では全然ないのですが。(鹿取)
★下の句は真実を捉えよと言っているのかなと。(真帆)
★倫理的なこととか、道徳的なこととかそんなことを言って聞かそうとか一切無い
 人だから、この下の句は何なんでしょうね。整合性をもった歌と考えなくてもい
 いのかもしれないですね。(A・K)

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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 188

2022-11-23 10:20:26 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の25(2019年7月実施)
     Ⅲ〈行乞〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P120~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


188 とことわになにも言わざる古墳あり雪の降る日は巨人が眠る

     (レポート)
 永遠に言葉を発することのない古墳にいま雪がふっている。ふだんは何の変哲もない「とことわになにも言わざる古墳」であるが、雪の降る日はちがう様相をあらわすという。古墳全体が雪に覆われた景をみていると、巨人が横たわっているように見える。実際のところ、古墳に眠るものの勢力はその時代の巨人だったであうし、当時の存在の大きさが顕われているようでもある。ふかぶかと雪に覆われた古墳からは、ふかぶかと寝息がたっているようにも感じられ、はて、じつはこの古墳のなかで、死者は姿をかえ長い長い時代を生き継いでいるのではないか、そんな幻像さえもつ。「巨人が眠る」と現在形で詠まれた結句への展開があざやかだ。いつもながら渡辺松男の瑞々しく奥行きのある抒情に魅せられる。(真帆)


       (当日意見)
★有名な詩を思い出しましたが、みささぎに降る雪の歌、誰でしたっけ?(A・K)
★(スマホで調べて)これですか?伊藤静雄「春の雪」、みささぎにふるはるの雪/
  枝透きてあかるき木々に/つもるともえせぬけはひは (真帆)
★それです、伊藤静雄。こちらはみささぎではなく古墳ですけど。古墳あり、古墳
 は眠る、リフレイン的ですね。初句の「とことわに」もこんな言葉ふつうは怖くて使
 えませんよね。(A・K)
★雪が降る日はやっと落ち着いて眠れるのかな、古墳は。松男さんって発想は新し
 いけど、抒情はありますよね。(真帆)
★考えてみたらこの歌擬人法ですね。でも擬人法のいやらしさを感じさせないです
 ね。(A・K)
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 187

2022-11-22 10:56:26 | 短歌の鑑賞
 ※新しいパソコンになりました♪
  今回は、前のパソコンから引き継ぎができて、2014年から+1,450回目です♪

  渡辺松男研究2の25(2019年7月実施)
     Ⅲ〈行乞〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P120~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


187 たとえば武甲山の削られつづくるは単純明快にして痛々し

    (レポート)
 武甲山は秩父市の南部にある岩山で、古くから信仰の山とされてきた。北斜面には石灰岩の岩層が露出しており、大正期から石灰岩やセメントの原料として採掘されてきた。そのせいで標高が低くなったほどだ。一方、この北斜面の標高八百メートル付近にはチチブイワザクラ、ミヤマスカシユリなどの貴重な好石灰岩植物も生育する。このような山が削られつづけていることは「単純明快にして痛々し」と端的に詠む。詠い起こしを「たとえば」ともってきたことにより、一首は武甲山に限ったことではなく、もっと広く、人間の商業的な営みが大自然を損ねてゆくことを憂う大きな歌となっている。(真帆)


       (当日意見)
★何度も行ったことのある山ですが、周囲の山からすると確かに違和感があります。
 「つづくる」というのが効いていると思います。下の句が端的でいいです。(岡東)
★痛々しが実感ですね。この歌、ものすごい破調で散文的なんですが、土屋文明的
 ですね。即物的で、こういう歌はガーと押して詠われるんだなあと。対象ごとに
 歌い方を変えられてすごいですね。単純明快なんって四文字熟語ふつうは歌えな
 いけどうまく収まっているし、漢字も多いけど。(A・K)
★光るのこぎり(184番歌 もんもんとあがる煙のうらがわへ さみしいよ 光
 るのこぎりをおく)の続きにこういう歌もあるというのが面白いですね。そして、
 このぶっきらぼうな感じの歌い方でほんとうに痛みを感じているってことが伝わっ
 てきますね。(鹿取)
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 186

2022-11-21 08:50:43 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の25(2019年7月実施)
     Ⅲ〈行乞〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P120~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


186 金(きん)という国ほろびたることなども風透明な日はおもい出ず

     (レポート)
 黄砂やスモッグなどの塵を含まない「透明」な風には人の生活の気配がない。国滅びて山河あり、という感慨を作者はうたっているように私には思える。「金という国ほろびたることなども」という中国の盛衰興亡史への連想は、一首前に詠まれた将軍山古墳の隣りにある稲荷山古墳に出土した国宝「金錯銘鉄剣(きんさくめいてつけん)」などから刺激されたものかもしれない。(真帆)


      (当日意見)  
★「金錯銘鉄剣」は金という国から出たわけではないのですね。(鹿取)
★違います。金色からの連想ですね。(真帆)
★金は真帆さんがおっしゃったように12世紀から13世紀にかけての中国の国の名前ですね。
 女真族が建てた国で中国東北部・内モンゴル・華北を支配したそうです。この歌の初出を調
 べてないけど、古墳とか鉄剣とは発想が別個のような気がします。金という国の名前と風透明
 な日というのと響き合って、はろはろとした寂しさを感じて好きな歌です。日本の秋の風が透
 明な日の感慨なんですね。レポーターの「国滅びて山河あり」は本来は「国敗れて」で、金は
 モンゴル軍に滅ぼされたのですが、山河ありという感慨とは違うと思います。(鹿取)
★同感です。(A・K)
 
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