かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 282

2024-06-25 09:13:13 | 短歌の鑑賞
     2024年度版 渡辺松男研究34(16年1月)
       【バランスシート】『寒気氾濫』(1997年)115頁~
        参加者:S・I、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放
   

282 トラックの助手席から降りてきし女タオルとともに『フーコー』を持つ

      (当日意見)
★フーコーはS・Iさんに説明してもらいましょう。(鹿取)
★フーコーは有名な同性愛の哲学者ですね。ニーチェと同じように「理性」や「真理」
 という絶対的価値観を壊した人です。『狂気の歴史』には「理性」の名のもとに、社
 会の秩序に合わない人々、身体障害者、精神に病を持つ人、同性愛者らを隔離する
 記述があり、フーコーは「理性」は絶対的なものではなく、単なる解釈、記号にすぎ
 ない、この理性こそ狂気ではないか、といっています。(S・I)
★それで、この歌についてはいかがですか。(鹿取)
★この女性はフーコーの伝記みたいなものを持っていたのかな。そしてその内容にこの
 女性は共感しています。現実に汗水を垂らして生きている、ものを考えたり、そうい
 った世界とは違う世界の人の生きざまを詠っていらっしゃるのかなと。(S・I)
★S・Iさんの意見は同性愛者のところが強調され過ぎと思います。『フーコー』は二重
 カギ括弧だからジル・ドゥルーズという人が書いた本かなと。(鈴木)
★ポスト構造主義の人ですよね。その『フーコー』の中で何を言っているかというと死
 の権力と生の権力です。死の権力というのは中世の頃、国王がいて臣下を支配してい
 た。刃向かうといつ殺されるか分からない。革命以降は権力者がいなくなってみん
 な平等です、自由にやっていいですよと言っているにもかかわらず、政治家が権力を
 もっているわけです。それを生の権力と言っているのです。ジル・ ドゥルーズという
 人は現代をツリー構造とリゾーム状と2つに分けたのです。ツリー状は権力的な ピ
 ラミッド状、リゾームはウエッブのように蜘蛛の巣状になっていて対等にやり取りで
 きる。そこでノマドという言葉が出てきます。ノマドは遊牧地のことで全てが自由
 に遊べる。ところが私有地として囲っていますと一般の人は入れなくなる。そこで
 ドゥルーズは、もともと存在は私有地などに拘束されなくてやってこれたと説く。私
 なりに考えてみると入会権とか入り浜権とか昔はあった。自由に山に入ってキノコ
 を採ったり、浜で貝をとったりできた。そんなふうに人間はもともとノマドに逃げて
 いくことが出来るんだとドゥルーズは言っています。この歌では助手席にいるという
 ことは運転手が威張っているわけです。助手席の女性は使いっ走りのような存在な
 のですが、『フーコー』を持っているからにはノマド的な生き方をしている。解放さ
 れている人じゃないか。(S・I)
★この歌は頭で理解するのではなく、慧子さ んが言われたように「感じ取る歌」で
 はないか。(鈴木)
★松男さんは『フーコー』を軽い気持ちで詠んでいるので、さっきS・Iさんが言ったよ
 うな同性愛者としての見方も面白いなとは思うんですよ。ただ『フーコー』というカ
 ギ括弧が付いていたんでドゥルーズまで持ち出したのですが。(鈴木)
★理性は人間が作り上げた権力だということを言っています。ニーチェが権力の意志と
 いったことに連なります、特定の視点を絶対化し、それを真実と思わせる理性、それ
 をフーコーは権力だと述べ るのです。(S・I)
★松男さんは以前にもトラックを運転している弟とかキャベツを運ぶトラックとかにシ
 ンパシーをもって詠んでいます。この歌もそんなにフーコーに深入りしないでいいの
 かなと。この歌の女性は助席に乗っているから運転手から搾取されている存在とかは
 思わなくて、トラックに乗務して働く逞い女性で、価値の転倒ということを考えたフ
 ーコーという人に関心を抱いている人だ、くらいの意味かなと。もっと一般的にいう
 と、ブルーカラーの女性が知的な本を持っていたので、おやっと好もしく思った。
   (鹿取)
★私もそう思っています。要するに生の権力とか言っても見えないのです。普通の女性
 がそうやって自分らしい……(鈴木)
★鹿取さんの言っているとおりと思いますが、『フーコー』を他の題名にしたらどうな
 んでしょう。やっ ぱりフーコーに意味を持たせているのでしょう。(S・I)
★『フーコー』の感じを分からせたいと思って作者も作っている。生の権力なんて言葉
 は仰々しいけどみんな日頃感じている事です。それをどういう風に書くかです。
   (鈴木)
★もちろんニーチェではなくフーコーだということに意味はあると思います。97年発
 行の歌集ですが、男女雇用機会均等法が施行されたりした後ですよね。こういう女性
 に肯定の目を向けているのでしょう。(鹿取)
★松男さんは男女に拘らない人です。作者の中に男性的部分、女性的部分があるんで
 す。両方の視点 から見ています。性に拘っていない。同性愛者にも偏見をもって
 いない。(鈴木)


      (レポート)
 ある女は汗拭きだろうタオルを持ちトラックの助手席から降りてきたというからトラックの運送のアルバイトか仕事をしていると思われ又『フーコー』を持っている。女性にはめずらしい仕事をしているが、価値観の云々は別として、ものにとらわれていないことは言えるだろう。リポーターは『フーコー』をとらえられないし、要約も出来ない。(慧子)


    (後日意見)①
 優れた表現者が両性具有的視点を備えていることは積極的に肯定するし、松男さんもその一人だと思う。しかし、たびたび引用している『寒気氾濫』冒頭の「地下に還せり」巻頭歌は〈八月をふつふつと黴毒(ばいどく)のフリードリヒ・ニーチひげ濃かりけり〉であり、同じ連の中には〈同性愛三島発光したるのち川のぼりゆく無尽数の稚魚〉がある。歌集冒頭で自分のもっているさまざまなものを出して見せていると考えると、両性具有的視点というよりも思想家や作家などの性的嗜好に関心があるように思われる。歌集中には〈赤尾敏と東郷健の政見を聞き漏らさざりし古書店主逝く〉もあり、やはり同性愛者への強い関心の現れだろう。ただしこの一首の解釈としては、同性愛ということに深く踏み込む必要はないように思う。(鹿取)


      (後日意見)②
 「男女雇用機会均等法…」云々という社会状況とリンクさせると、この歌の真価がどうもぼやける感じがします。松男氏の歌は時空を超えています。むしろ存在論的に鑑賞した方がよいと思います。 (S・I)


    (後日意見)③
 この一首はフーコーが同性愛者だという認識なしには、鑑賞できない。フーコーは社会の規範、制度といった権力構造と闘い「人はみな、ゲイになるように努力するべきだ」と豪語し、エイズで亡くなった。『フーコー』は、遍在し、時空に漂うフーコーそのものだ。フーコーは制度によって男だとか、女といって規定されることを拒否する。運転席には「男」であるフーコーがいる。同性愛は知=肉体の融合という点では、異性愛よりも優っている。「女」と分類された人が持っていたのはタオルだ。タオルはフーコーの精神を具象化したもので、汗→労働→エロスであり、同性愛の象徴でもある。トラックに乗ってあちこち移動することは、定住を拒み必要性に応じて、住処を転々と変える遊牧民族に似ている。それを『フーコー』の作者、ジル・ドゥルーズは「ノマド」といった。かれらは法や契約、制度によって固定化され動きのない社会=領土にやってきて「脱領土化」を図る。これを「ノマド的」という。このように外から運動がやってくることを受け入れることは固定した社会に新しい価値を生みだすことになる。ノマド、あるいは「ノマド的」になることはフーコーにとってもジル・ドゥルーズにとっても理想郷であった。(S・I)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 281

2024-06-24 10:46:21 | 短歌の鑑賞
     2024年度版 渡辺松男研究34(16年1月)
        【バランスシート】『寒気氾濫』(1997年)115頁~
        参加者:S・I、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放
   

281 黒というふしぎないろのかがよいに税理士も黒きクルマで来たる

       (当日意見)
★出版記念会の時、小島ゆかりさんがこの歌がいいとおっしゃっていたのですが、理由
 は忘れました。黒って権威の色ですよね、だから裁判官なんかも黒いガウンを着ま
 す。まあ、やくざさんも黒いスーツに黒いクルマだったりしますけど。ここでも権威
 の象徴として税理士は黒いクルマで来るわけで、工場主はきっとその税理士にぺこぺ
 こするんでしょうね。圧迫感を与えるわけです。(鹿取)
★税理士だから黒字になるようにと黒に拘っているんじゃないですか。赤字を嫌うわ
 けですから。売り上げが伸びるようにと。(M・S)
★工場主はそういうことを信じるかもしれませんけど、ここではもっと一般的な黒では
 ないですか。 (S・I)
★ハイヤーってありましたよね、権威的な人はタクシーでなくハイヤーを使ったんです
 よね。足を取られないようにという配慮もあったかもしれないけど、政治家などは皆
 ハイヤーを使った。あれ、黒ですよね。暴力団も黒ですけど。だから黒は立派な人が
 乗っているというイメージ。税理士さんが赤字を避けて黒い車を利用したとは今まで
 聞いたことがないので。そして税理士さんは本来は正しい経理の仕方を指導する人で
 すけど、雇われているから会社側に都合がいいように不正をする。だからかがよいは
 ないですよ。黒には権威のカサを被ったごまかしがある。(鈴木)
★黒に対する一般的なイメージもある。有無を言わせないというような。厳粛でフォー
 マルな感じもする。特に税理士さんは黒でないと表現できなかったのかな。クルマが
 カタカナになっていますが、ちょっと揶揄しているのかしら。(S・I)
★クルマがカタカナ、気づきませんでしたが、きっと揶揄えすよね。(鹿取)


      (レポート)
 税理士が黒いクルマで来た。ということだが、その車を「黒というふしぎないろのかがよいに:となにか物語の始まる気配をただよわせる。税理士の仕事は感性などを離れた数理上のことでそこに不思議はない。だが、作者の色に対する感覚の冴えがおもしろい一首をなした。(慧子)

     (後日意見)
 『寒気氾濫』冒頭の「地下に還せり」の章に275番歌でもあげた〈土屋文明さえも知らざる大方のひとりなる父鉄工に生く〉と並んで〈もはや死語となりておれども税吏への父の口癖「われわれ庶民」〉がある。(鹿取)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 280

2024-06-23 11:28:29 | 短歌の鑑賞
     2024年度版 渡辺松男研究34(16年1月)
       【バランスシート】『寒気氾濫』(1997年)115頁~
        参加者:S・I、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放
   

280 設備投資の算段をして秋の暮小規模工場に情報遅し

      (レポート)
 小規模工場の経営主であろう。設備投資の算段をして腹を据えて何かを待っている。おりしも秋の暮れだという。晩秋なのか、秋の日の暮れ方なのか。情報も待つものにつるべ落としの秋の日をかさねてみた。小さく何かを営むものに必要な情報がまだ届かないというあるさびさびとした状況を表すのに第3句が効果的に置かれていよう。(慧子)


      (当日意見)
★「情報遅し」というのはすごく実感としてわかりますね。どんな時代にあっても大工
 場に比べて中小の企業には情報が遅い。例えばマンションの偽装の問題もそうです
 ね。(S・I)
★大企業からの声を聞いて行政は計画を立てますからね、中小企業から聞くことはまあ
 ない。こういった詠み方って土屋文明などがしてますかね。(鈴木)
★土屋文明はもう少し外からの視点で詠んでいるのではないですか。(鹿取)
★外からですけど、そういった経済について土屋文明ってけっこうこういう視点があ
 る。松男さんと同じ群馬県の人ですけど、こういった詠み方を昔している。つっこみ
 方はもちろん違いますが。(鈴木)
★松男さんの歌にはこういうリアルな、あるいはリアルに見える歌は少ないですけど、
 子供の頃から父親の工場主としての苦しみを見てきたことが反映しているのでしょう
 ね。実際工場主かどうかは知りませんけど、この歌集の冒頭の連に「土屋文明さえも
 知らざる大方のひとりなる父鉄工に生く」がありますし、父の口癖が「われわれ庶
 民」だという歌もある。CNC旋盤などすごく高価なものだと思いますが、もっと設
 備投資をしようと算段しても、情報が遅いばっかりに、たとえば補助金がもらえなか
 ったりとみすみす損をして苦しめられる、そういうことですよね。次の歌「黒という
 ふしぎないろのかがよいに税理士も黒きクルマで来たる」にも繋がっていく思いで
 す。(鹿取)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 279

2024-06-22 09:46:47 | 短歌の鑑賞
     2024年度版 渡辺松男研究34(16年1月)
       【バランスシート】『寒気氾濫』(1997年)115頁~
        参加者:S・I、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放
   

279 鉄を打ち抜くは鉄なり工場にプレスもっとも孤独な機械

      (レポート)
 鉄を打ち抜くのはプレスと呼ばれる鉄製機械であって、様々な作業用機械のある工場でもっとも孤独な機械だという。同胞あいあわれむという意味の逆を詠ったのだろう。
  (慧子)


       (当日意見)
★「同胞あいあわれむという意味の逆を詠った」ってどういう意味ですか?(鈴木)
★違うもので鉄を打ち抜くなら普通だけど、同じもので打ち抜くのは淋しい。(慧子)
★そういう意味なら同感です。(鈴木)
★人間と人間が闘うのは淋しくて、人間と猿だったら淋しくないかというとそうではな
 いから、それはちょっとと思いますが。プレスという機械は鉄で出来ているのに、鉄
 を切り抜くことができる。戦いのたとえで言えばプレスは勝者ですが、そういう孤高
 の孤独に斬り込んでいる、哲学的な歌ですね。(鹿取)
★あくまでも物質に収斂させての話です。(S・I)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『寒気氾濫』の鑑賞 277、278

2024-06-21 10:30:05 | 短歌の鑑賞
     2024年度版 渡辺松男研究34(16年1月)
        【バランスシート】『寒気氾濫』(1997年)115頁~
         参加者:S・I、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放
   

277 フライス盤に西日当たりてしずかなり無人の時間よどむ日曜

      (レポート)
 西日は独特の強さをもって事物を圧倒する感じがある。無機質なフライス盤があってそこには誰もいない。そんな場の日曜日のある時間帯をよどませるほどなのだ。(慧子)


      (当日意見)
★フライス盤ってどんなものか分からないのでネットで調べてみました。(みんなに写
 真を見せて)こんなのです。(鹿取)
★フライス盤って回転して手で材料を削っていく、そんな機械です。CNCはコンピュ
 ーター制御ですね。ソフトを組み込んで設計どおりに作ってくれる。平日はフライス
 盤を扱う人たちがいたんだけど、日曜だから無人であると。(鈴木)
★無人の工場で、静止している機械に西日が当たっている、時間がよどんだ感じってと
 てもよく分かります。(鹿取)


278 CNC旋盤見る見る鉄削る 削られてゆく未来オモエリ

      (レポート)
 旋盤の運動制御をコンピューターによっているCNC旋盤。それが今みるみる鉄を削っている。削られてゆく見える物質。一方で目には見えない未来というものを作者は「オモエリ」という。コンピュータープログラムによって動いているので、そこに人間の勘やためらいはない。それを「オモエリ」と乾いた感じの表記とした。(慧子)


        (当日意見)
★下の句に既視感があって、塚本邦雄かなあ、誰かの本歌取りかなあと思うんだけど思
 い出せなくて。誰か知りません?まあ未来思えりって誰でも使うような言葉だけど、
 「思えり」ではいけない理由がこのカタカナの「オモエリ」にはあるんですよね。
   (鹿取)
★削られてゆくに目が行っているのは、何かが無くなっていくようで。(鈴木)
★工場って何か作り上げるところなのに、何かが失われてゆく。(S・I)
★そうですね、失われてゆくものが過去のものではなくて未来に繋げているところ、時
 の矢が前方から迫ってくるような感じが怖いですね。(鹿取)
★何かを作り上げるということは価値のあるものばかりを目指す訳で、そこから排除さ
 れるものがあるわけです。役に立たないと思われているもののなかに本当はすごいも
 のがあったかもしれないのに。経済成長だけが善という今はいきかただけど、成長し
 なくてもいいのではないか、そこで失われていくものは何なのか、そういうことを言
 っている。(鈴木)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする