数日前に学生時代の友人が亡くなりました。
43歳でした。
彼は世界的なドラマーでした。
ちょうど1年前に、彼が来日中に倒れ、
彼との20年以上ぶりの再会は都内の病院でした。
あれが最後になっちゃった。
音楽の話なんかよりも、
最初の(恐い)奥さんとあったスッタモンダの話とか、
今の奥さんとの馴れ初めとかを話してくれました。
彼がドラマーとして成し遂げたことはすごいんだけど、
そんなことよりも、私の中に残るのは
学生時代の彼の笑顔だったり、
「Hey! Ayukoooo!」だったり(アジア女性大好き)、
周りの音なんかはどうでもよくて、とにかく子供みたいにドラムを叩く姿だったり、
そういうことなのです。
もちろん、彼がプロのドラマーとして成し遂げたこと、
私が想像もつかないような、あの厳しいアメリカの音楽業界で辿ってきた道、
それでも真っ直ぐに、彼のことだから偉ぶることもなく、
あの頃のJohnのままやってきたであろうこと、
それはそれは心から尊敬する。
本当に大変な世界のはずだから。
一昨日、彼が亡くなったことをFacebookで知り、
泣き、いろいろなことを思い出し、考えさせられた。
そして、昨日は苦しくてしょうがなかった。
何が苦しいって。
自分のダメさ加減に。
はい。
トンチンカンな方向に行ってしまいました。
彼の死によって、
人生は一度しかない。だからフルに生きよう。
自分が心からしたいことを一生懸命しよう。
だって、Johnはすごいんだから!
Johnはすごい。
私はすごくない。
私、ダメじゃん。
すごいって何でしょうかね。
富、名声、成功でしょうかね。
でも。
死ぬ前に思い出すのはきっとそこじゃない。
生きることは、きっとそこじゃない。
それらを求め、手に入れたり、手に入れられなかったりの経験があっても、
きっとそこじゃない。
昨日私は、一日自分を責め続けました。
「私、一体何やってんだよ!?」
「歌の方、どーすんだよ!?」
「ちっともいいお母さんじゃないじゃん」
「もっとやれよ、動けよ!」
「この生き方、ダメじゃん!Johnを見ろ!」
とまあ。
で、疲れてお昼寝しました。
午後は小学校の保護者会があって行きましたが、
まだ眠くて、先生の延々と続く「夏休みの過ごし方と宿題」についてのお話に、
「はぁ〜〜〜〜」とため息ついてました。(ごめんなさい)
そして、夕方くらいでしょうか。
ようやく自分を責めることを「やーーーーめた」できました。
こりゃ、疲れるわ。
何たって楽しくない。
そうすると笑顔も消え、
何たって、
老ける。
いやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
ブルーになった時、
「自分、ダメだ」病になった時、
いつも思い出す映画のワンシーンがあるのです。
それを昨日また思い出しました。
渡辺謙さん主演の「明日の記憶」という映画です。
49歳の熱血サラリーマンがある日突然、
いろいろなことが分からなくなり、
若年性アルツハイマーと診断され、
どんどん記憶が消えてゆく中、
妻(樋口可南子さん)と共に病と向き合ってゆくというお話。
映画のラストシーンの前くらいに、
主人公と妻が結婚する機会を作ってくれた
田舎の工房のオヤジさん(故・大滝秀治さん)のところを
主人公が訪ねるのです。
その時点で主人公はいろいろな記憶がない。
そして、オヤジさんは主人公にガツンと言うのです。
「生きてりゃいいんだ!生きてりゃ!」
大滝秀治さんがすごかった。
あの一言は誰にでも言えるわけではない。
そう。
私たちは「生きていれば」いいんだ。
どんな境遇になろうとも、
ダメダメになっちゃっても、
例え死を選びたくなるほど苦しくても、
とにかく「生きていればいい」のだ。
心臓が動いて、呼吸して、生きていれば、
もうそれでいいのだ。
そこまで、自分が「ただ生きていること」に
優しくなっていいのかもしれない。
それは、何かを諦めなければいけないとか、
何をやれ、これはダメ、とか、
生きている時に「起こること」「起こすこと」諸々、
原因結果、因果応報、などなど、
全部すっ飛ばして
ぜ〜〜んぶまとめて
とにかく生きてりゃいいんだ、生きてりゃ。
ただひたすらに。
そして、これを「きれいごと」と思わないこと。
まんま、受け取ること。
Johnの価値は
「ドラマーとしてやってきたこと、
残したものがすごい」と言うところにあるんじゃない。
JohnがJohnとして生まれ、生きたことだ。
私の中にプププって微笑んでしまう何かを残してくれた。
そして、究極的に言えば、
例え誰かの中に何も残せなかったとしても、
それでもいいのだ。
「生きてるだけで100点満点」でどうでしょう?
John, thank you dearly...
love love love
43歳でした。
彼は世界的なドラマーでした。
ちょうど1年前に、彼が来日中に倒れ、
彼との20年以上ぶりの再会は都内の病院でした。
あれが最後になっちゃった。
音楽の話なんかよりも、
最初の(恐い)奥さんとあったスッタモンダの話とか、
今の奥さんとの馴れ初めとかを話してくれました。
彼がドラマーとして成し遂げたことはすごいんだけど、
そんなことよりも、私の中に残るのは
学生時代の彼の笑顔だったり、
「Hey! Ayukoooo!」だったり(アジア女性大好き)、
周りの音なんかはどうでもよくて、とにかく子供みたいにドラムを叩く姿だったり、
そういうことなのです。
もちろん、彼がプロのドラマーとして成し遂げたこと、
私が想像もつかないような、あの厳しいアメリカの音楽業界で辿ってきた道、
それでも真っ直ぐに、彼のことだから偉ぶることもなく、
あの頃のJohnのままやってきたであろうこと、
それはそれは心から尊敬する。
本当に大変な世界のはずだから。
一昨日、彼が亡くなったことをFacebookで知り、
泣き、いろいろなことを思い出し、考えさせられた。
そして、昨日は苦しくてしょうがなかった。
何が苦しいって。
自分のダメさ加減に。
はい。
トンチンカンな方向に行ってしまいました。
彼の死によって、
人生は一度しかない。だからフルに生きよう。
自分が心からしたいことを一生懸命しよう。
だって、Johnはすごいんだから!
Johnはすごい。
私はすごくない。
私、ダメじゃん。
すごいって何でしょうかね。
富、名声、成功でしょうかね。
でも。
死ぬ前に思い出すのはきっとそこじゃない。
生きることは、きっとそこじゃない。
それらを求め、手に入れたり、手に入れられなかったりの経験があっても、
きっとそこじゃない。
昨日私は、一日自分を責め続けました。
「私、一体何やってんだよ!?」
「歌の方、どーすんだよ!?」
「ちっともいいお母さんじゃないじゃん」
「もっとやれよ、動けよ!」
「この生き方、ダメじゃん!Johnを見ろ!」
とまあ。
で、疲れてお昼寝しました。
午後は小学校の保護者会があって行きましたが、
まだ眠くて、先生の延々と続く「夏休みの過ごし方と宿題」についてのお話に、
「はぁ〜〜〜〜」とため息ついてました。(ごめんなさい)
そして、夕方くらいでしょうか。
ようやく自分を責めることを「やーーーーめた」できました。
こりゃ、疲れるわ。
何たって楽しくない。
そうすると笑顔も消え、
何たって、
老ける。
いやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
ブルーになった時、
「自分、ダメだ」病になった時、
いつも思い出す映画のワンシーンがあるのです。
それを昨日また思い出しました。
渡辺謙さん主演の「明日の記憶」という映画です。
49歳の熱血サラリーマンがある日突然、
いろいろなことが分からなくなり、
若年性アルツハイマーと診断され、
どんどん記憶が消えてゆく中、
妻(樋口可南子さん)と共に病と向き合ってゆくというお話。
映画のラストシーンの前くらいに、
主人公と妻が結婚する機会を作ってくれた
田舎の工房のオヤジさん(故・大滝秀治さん)のところを
主人公が訪ねるのです。
その時点で主人公はいろいろな記憶がない。
そして、オヤジさんは主人公にガツンと言うのです。
「生きてりゃいいんだ!生きてりゃ!」
大滝秀治さんがすごかった。
あの一言は誰にでも言えるわけではない。
そう。
私たちは「生きていれば」いいんだ。
どんな境遇になろうとも、
ダメダメになっちゃっても、
例え死を選びたくなるほど苦しくても、
とにかく「生きていればいい」のだ。
心臓が動いて、呼吸して、生きていれば、
もうそれでいいのだ。
そこまで、自分が「ただ生きていること」に
優しくなっていいのかもしれない。
それは、何かを諦めなければいけないとか、
何をやれ、これはダメ、とか、
生きている時に「起こること」「起こすこと」諸々、
原因結果、因果応報、などなど、
全部すっ飛ばして
ぜ〜〜んぶまとめて
とにかく生きてりゃいいんだ、生きてりゃ。
ただひたすらに。
そして、これを「きれいごと」と思わないこと。
まんま、受け取ること。
Johnの価値は
「ドラマーとしてやってきたこと、
残したものがすごい」と言うところにあるんじゃない。
JohnがJohnとして生まれ、生きたことだ。
私の中にプププって微笑んでしまう何かを残してくれた。
そして、究極的に言えば、
例え誰かの中に何も残せなかったとしても、
それでもいいのだ。
「生きてるだけで100点満点」でどうでしょう?
John, thank you dearly...
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