AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

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そして愛を見つけてくれ。

美魔女という種族の方々

2017年07月14日 | 女性であること、のあれこれ
「美魔女」をウィキってみたところ。

美魔女(びまじょ)は、光文社が発行するファッション雑誌『美STORY/美ST』による造語。
才色兼備の35歳以上の女性を指し、「魔法をかけているかの様に美しい」ところからきている。

ああ、そうだったんだ、「そもそもは」。


とにかく私が持つ「美魔女」というイメージがあって、
先日、とうとう「生美魔女」を見てしまった。
その方が実際に例の雑誌で美魔女認定されてるかは知りませんが、
「こういう人を世に言う美魔女なんだろう」という方だったわけだが・・・


うつく・・・しい・・・のか


正直・・・



コワい。


以前、エッセイストの酒井順子氏がご自身の本の中で、
美魔女について言及していらして、
彼女が使った形容詞が物の見事なものであった。

それは。


「おどろおどろしい」


夫と共に「こ、これだ!!!!それ、それーーーー!!」とウルトラ同感したものだ。


そして、生美魔女を見たあの日から、
なぜ「おどろおどろしい」」のか色々考えてみた。


彼女たちは確かにもっのすごく自分の身体に手をかけている。
その努力たるや、半端ないのであろうと思う。
女性がいつまでも己に手をかけ、美しくいようと心がけることは、
私自身もとても大切だと思っている。

が、しかし。

そんだけ自分を磨いて「美しく、若々しく」やってるのに、
なぜ「おどろおどろしく」なるのか。

考えた結果。

彼女たちが日々自分に手をかけて作り上げた美しさはあっても、
彼女たちが本来持っているであろう
内面にある、それぞれの持つ素敵で「自然な」「らしさ」というものが、
「外側の美への執念」と「他の女に死んでも負けてたまるか、という凄まじい競争心」に
完全に覆い隠され、
外に出るものは「非常に歪んだ、ほぼ自分に強制しているような異様に不自然な
ギラギラした自信満々風の空気」

が、結果「美魔女」を美魔女たらしめるとになってしまったのでは、と。


そもそもは「魔法をかけているかのように美しい」から来たはずの「美魔女」が、
いつどこで、履き違えられるようになったのか、
外側の美だけに執着したおどろおどろしい魔女の戦いになってしまった。


私が勝手に使った言葉ではあるが、
「執念」とか「競争心」というのは、
ある種のパワーになるのかもしれないが、
キラキラして美しい所には決して辿り着くことはなく、
逆にギラギラとして重く苦しい道のりとなると思っている。


友達とも色々話してみたが、要は、
「とっても不自然なんだよね」と。
彼女たちを「完璧」とさせている皮は非常に薄く、ナイーブで、
それが剥がれてしまったら彼女たちはガラガラと崩れてしまうだろう。


嘘っぽい自信満々の笑顔は
「自分に足りないと思っている」何かを隠すためのものだろうか。

外側の美だけをあまりに追求した結果、
「そうでもしないと、自分に価値なんて何もない」
というところまで行ってしまったのだろうか。

そもそも「美魔女コンテスト」は
(勿論雑誌の売り上げを上げるためである)
35歳から40代の、
これまで仕事、結婚、出産、育児なんかを経て
一生懸命やってきた「昔だったらただのおばさんたち」に
もう一度外に出て日の光を浴びてみませんか?
女性としての美しさを謳歌してみませんか?
というコンセプトだったのではないか。


それが素人のおばさんたちを闘わせることで
彼女たちを魔女にしてしまった…


だからどうなんだって感じなんだけど。


私は…

彼女たちを素敵だとは思えないなあ。





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