なぜ、今の私にとってピンクは一番好きな色なのに、
その時まで「あり得ない色」だったかは、私の幼少期まで遡る。
つづき
私は小さい頃、ぬいぐるみではなくて、断然「お人形」派だった。
リカちゃん人形を始め、リカちゃんのお友達にまで手を伸ばし、
着せ替えをしては彼女たちの可愛さにうっとりしていた。
リカちゃんが着ていたようなお洋服を着てみたいというのは、
当然ながら当時のリカちゃんファンの少女たちにとっては「夢」であった。
家族といいところにディナーを食べに行った時に、
たまにヒラヒラのドレスを着た女の子を見ると心から羨ましく思ったが、
母は「あんなのは田舎臭い」と、私にはサンローランかなんかの、
大人好みのシックな紺色とか茶色の子供服を着せた。
(まあ、今なら母の気持ちはよく分かる)
いつも「良い服」を着せられていたが、
「夢のピンク色」はついぞ着せてもらえず、
完全に母好みのシックなお嬢様スタイルだった。
でも、私は母に自分の思いは言わなかった。
そしてもう一つは髪型だった。
最高権力者の祖母と母の好みで持って、
髪はいつも短く切られていた。
でも、髪の長い女の子たち、それを可愛く結ってもらってる女の子たちが、
とても羨ましかった。
とにかく「とっても可愛かった」のだ。
それでも、私は母には何も言わなかった。
「可愛いもの」を一切着せてもらえず、
その分サンリオグッズとかで可愛いものに触れていたけれど、
「私自身が可愛くしてもらえる」(私が当時「思っていた可愛さ」ね)ことはついぞなかった。
思えば、女の子カラー「ピンク」は一度も身につけたことはなかったと思う。
たったそれだけで?と思われるかもしれないが、
私の「可愛いもの、お姫様みたいなもの」への憧れは相当強かったのだろう、
それを叶えてもらえなかったので、
いつしか「それはダメなもの」として、
私の心の奥にギューーーっと押し込まれることになった。
そして、「ダメなもの」は、10代に入ると「あり得ない」という「強い反発」へと変わる。
その頃はさすがに髪型も自由にやっていて、少し伸ばしたり、
おしゃれにだってものすごく興味はあったし
、私なりに「女の子」をエンジョイしていた。(つもりだった)
可愛さへの反発から、私のスタイルは「かっこいい女」へと突き進む。
アメリカ生活(バークリー時代)で、それに拍車がかかり、
当然ながら自分の「歌のスタイル」にまで影響が及んだ。
私の中の「可愛い女の子」は「かっこいい女」によってドンドン奥へと押しつぶされていった。
(もちろん当時の私はそんなのに気づいているわけがない)
それが「黒」がベースとなるファッションとなり、
20代は「かっこいい街道」まっしぐらの「とんがった」時代となったのだ。
(当然、恋愛にもその私の「在り方」が影響したが、そのことはまたいつか)
「可愛い女の子」という大きな忘れ物をしてしまった私は、
まさに「魂の救出作戦」として、ヒーリングの先生のところに「連れて来られた」・・・
としか、今は言いようがない。
さて、例の先生による「黒禁止令」で、私は変わったのか?変わらなかったのか?
そして、それは「女性性」とどう関係があるのか?
(まだ)つづく。
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その時まで「あり得ない色」だったかは、私の幼少期まで遡る。
つづき
私は小さい頃、ぬいぐるみではなくて、断然「お人形」派だった。
リカちゃん人形を始め、リカちゃんのお友達にまで手を伸ばし、
着せ替えをしては彼女たちの可愛さにうっとりしていた。
リカちゃんが着ていたようなお洋服を着てみたいというのは、
当然ながら当時のリカちゃんファンの少女たちにとっては「夢」であった。
家族といいところにディナーを食べに行った時に、
たまにヒラヒラのドレスを着た女の子を見ると心から羨ましく思ったが、
母は「あんなのは田舎臭い」と、私にはサンローランかなんかの、
大人好みのシックな紺色とか茶色の子供服を着せた。
(まあ、今なら母の気持ちはよく分かる)
いつも「良い服」を着せられていたが、
「夢のピンク色」はついぞ着せてもらえず、
完全に母好みのシックなお嬢様スタイルだった。
でも、私は母に自分の思いは言わなかった。
そしてもう一つは髪型だった。
最高権力者の祖母と母の好みで持って、
髪はいつも短く切られていた。
でも、髪の長い女の子たち、それを可愛く結ってもらってる女の子たちが、
とても羨ましかった。
とにかく「とっても可愛かった」のだ。
それでも、私は母には何も言わなかった。
「可愛いもの」を一切着せてもらえず、
その分サンリオグッズとかで可愛いものに触れていたけれど、
「私自身が可愛くしてもらえる」(私が当時「思っていた可愛さ」ね)ことはついぞなかった。
思えば、女の子カラー「ピンク」は一度も身につけたことはなかったと思う。
たったそれだけで?と思われるかもしれないが、
私の「可愛いもの、お姫様みたいなもの」への憧れは相当強かったのだろう、
それを叶えてもらえなかったので、
いつしか「それはダメなもの」として、
私の心の奥にギューーーっと押し込まれることになった。
そして、「ダメなもの」は、10代に入ると「あり得ない」という「強い反発」へと変わる。
その頃はさすがに髪型も自由にやっていて、少し伸ばしたり、
おしゃれにだってものすごく興味はあったし
、私なりに「女の子」をエンジョイしていた。(つもりだった)
可愛さへの反発から、私のスタイルは「かっこいい女」へと突き進む。
アメリカ生活(バークリー時代)で、それに拍車がかかり、
当然ながら自分の「歌のスタイル」にまで影響が及んだ。
私の中の「可愛い女の子」は「かっこいい女」によってドンドン奥へと押しつぶされていった。
(もちろん当時の私はそんなのに気づいているわけがない)
それが「黒」がベースとなるファッションとなり、
20代は「かっこいい街道」まっしぐらの「とんがった」時代となったのだ。
(当然、恋愛にもその私の「在り方」が影響したが、そのことはまたいつか)
「可愛い女の子」という大きな忘れ物をしてしまった私は、
まさに「魂の救出作戦」として、ヒーリングの先生のところに「連れて来られた」・・・
としか、今は言いようがない。
さて、例の先生による「黒禁止令」で、私は変わったのか?変わらなかったのか?
そして、それは「女性性」とどう関係があるのか?
(まだ)つづく。
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