AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

パンドラの箱を開けられますか?

2018年11月01日 | 自分を変える、どう変える
さて。
一つ前の超長編で「自分の行動の本当の動機を知る」という話を、
知り合い男性取っ捕まえて
「女遊び」を題材に延々と書いてしまいましたが。

最近私は自分の「やろうとしていることの動機」を
注意深く観察するようにしている。
例えば。「あるある」ネタですが、
私の息子は幼稚園に行っているので、ママ友とよく話をする。
ありがたいことに、皆さんとてもいい人たちで
ドラマに出てくるようなドロドロ事件などない。
それでも、噂話などが回ってくる。
誰かが「○○さんが・・・」とか「○○先生が・・・」
と始めたのであろう。

色々な人や先生がいらっしゃるので、
正直、私も思うところはあったりする
。けれど、誰かについてのネガティブな発言をしそうになる時に、
最近はぐっとこらえて、
「果たして、それを話す動機に愛はあるのか」と自問をする。

それは「私はいい人になりたい」からではない。
動機に愛がなければ、その結果出てくるもの、返ってくるものにも、
愛がない。つまり、ちっとも嬉しくないし、何の喜びもない。
それどころか、とっても気分が悪い。
何という時間の無駄!


そして、次の段階としてできることとは、
「なぜ、誰かさんに対してのネガティブ発言をしたくなったのか?」
という「本当の動機」の解明だ。
その鍵は、その「誰かさん」が持っているかもしれないし、
全く別のところにあるかもしれない。
どちらにせよ、鍵は「外側」にあるかもしれないが、
答えは「自分の中」だ。

なかなか面倒なプロセスではあるが、
動機が愛ではない場合は、大抵「怒りや悲しみ」だ。
いや、多分、すべてそうだと思っていいだろう。
因みに「怒り」の源は「悲しみ」だ。
面倒なプロセスを経て、自分の中に「怒り」や「悲しみ」があることに気づく。


そして、さらに
「では、私は何に怒っているのか」
「何を悲しんでいるのか」というのを自問する。
ここで大切なのは
「自分に正直に、素直になること」だ。そうじゃないと、
また「代替品」で「本当のところ」を覆ってしまうから。


なぜ、こんな面倒なプロセスを経てまでして、
「本当のところ」にたどり着く必要があるか。

なぜなら、先の投稿でも言ったように、
悲しみや怒りを癒し、喜びに変換していくという「気づけ、ボケ!」体験が、
「完了するまで」
「あらゆるシチェーション」で
勃発し続けるからだ。
あなたが気づくまで、何度でも、そしてどんどん「痛い」体験として、
延々と続くからだ。なぜか。
魂の使命が「愛と喜び」の体験を世界と分かち合うことだから。


で、単純に「おんなじ苦しみを何度も味わうのは嫌だ」というのが私だ。
なぜなら、生きている間に「幸せマックス」な自分になりたいではないか、せっかくなら。


ただし、「気づけ、ボケ!」体験と向き合うこと、
「自分の本当のところ」と向き合うということは、「
自分が認めたくないこと」
「自分が見たくないこと」と対峙する必要が出てくる。
それは、大きな大きな傷であるかもしれない。
トラウマとして記憶から抹消されていることかもしれない。

だから、ある意味、決心が必要なのだ。
そして、それは決して「マスト」ではない。
「今」じゃなくてもいい。
「そこから自分を守る」という選択をしてもいい。

もし「パンドラの箱」を開けると決めたなら、

その先は、あなた一人ではない。
「開ける」と決心した瞬間に
、あなたを助けてくれる人、
手伝ってくれる人が、もう存在している。
更に言うなら、それまでの「気づけ、ボケ!」体験にだって、
あなたが気づいてくれるために、
「悪役」を買って出てくれたような愛のキャストが存在していた。


そして、私の経験から一つ言えることがある。


「パンドラの箱」を開けると決める・・・
その動機は間違いなく、自分への、人生への「愛」だ。
そこからのプロセスが苦しいものになるとしても、
愛が動機ならば、必ずそこから新たに生まれくるものは愛だ。
それだけは、私は、言い切れる。




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