「人は自分の鏡である」とよく言われるけれど、
果たしてそれはどういう意味だろう。
例えば、自分にとって「嫌だな」とか、
すごい反感を感じる人がいたとする。「
人は自分の鏡」という言葉をそのまま当てはめると、
自分にその「嫌だな」という部分がある、ということになる。
が、しかし。多分そういう単純なことではない。
かつてヒーリングを一年間学んだ時に、
「シャドウ」というものを徹底的に学ばされた。
シャドウというのは心理学用語であると思われるが、
誰かにネガティブな感情、反感を持つ時、生理的に「ウッ」と来る時、
それは自分のシャドウがその人に投影されている、ということらしい。
例えば。これは私も今でもよく覚えていることなのだが、
先生に「例えば、電車で自分の荷物を膝に置かないで横に置いている人をどう思いますか?」
と聞かれたことがある。
実はそれ、まさに私にとって「ダメな人」で、
その頃はどんなに座席が空いていようが、
私は徹底して荷物は自分の膝の上に置いていた。
つまり、簡単に言うと、シャドウとは
「自分が、やってはいけない、こうはなりたくない」という、
ある種の『自分への戒め』を、
『やってのけている』人に対して表れるのである。
そもそも、良い、とか、悪い、という判断というのは、
相対的かつ個人的なもので、
事象や人の行為というのは
「ただ、ある、起きている、やっている」というもので、
そこで人の判断でもって色付けされる。
先の「電車で荷物を横に置く人」に対して、
迷惑だなあと思う人もいれば、何も感じない人もいる。
私のように、迷惑だなあで収まらず「反感」まで感じるというのは、
まさにシャドウである。
つまり、突っ込めば、
私の場合は「行儀よくしなければならない」というのが根本にあり、
荷物を横に置く人は「行儀の悪い人」であり、
自分の個人的戒めを見事に破っているその人への私の反応は、
私のシャドウの反応ということになる。
他の例を出してみよう。
「やたら熱い人」にイラッとしたり、反感を持つ人がいるとしよう。
(例えば、松岡修造さんみたいな、笑)
私なんかは暑苦しいなあと思いつつも、なんとも思わないというか、
むしろ好きなくらいで、あそこまでストレートに熱いと逆に気持ちがいい、なんて思う。
でも、それに対してシャドウを持っている人は、
自分になんらかの理由で「熱くなってはいけない。」という戒めを持っている。
で、大事なのはその「なんらかの理由」の部分だ。
なぜ、熱くなってはいけないのか?
熱くなる、ということ自体には良いも悪いもない。
だが、なぜ自分は熱くなってはいけないのか?
かっこ悪いから?
じゃあ、なぜ、熱くなることはかっこ悪いのか?
・・・なーんてことを、
ただただ「あいつ嫌い」とか「うざい」とか「苦手」で終わらせずに、
(ちょっと面倒だけど)突っ込んで行くと、
自分が長きに渡って課してきた「制限」が見えてくる。
もちろんその制限を自分の大事なこだわりとして持ち続けてもいいし、
「なーんだ、窮屈だから、やーめた!」という選択もできる。
「人は自分の鏡」というのは、多分、
自分が人のどの部分に対してどのような反応をするか、というところで、
人は自分の鏡になってくれているということなんだろうと思う。
ちなみに例の、電車の座席で荷物はどこに置くか、っていう、
私がやたらこだわっていた件だが、あれはやめた。
行儀の良さ、とか、人の目というのは、今でも私にとっては大事なんだけど、
それはTPOに応じてわきまえれば良いわけで、
今では、座席が空いていれば、横に荷物を置いちゃうこともある。
で、何から解放されたかというと、
荷物の重さからというより、自分を縛っていた戒め、ルールからだ。
なので、皆さん、「うっ」と思う人に会った時、
一度、なんでだろう?って考えてみてはどうでしょう?
A Whole New World~♫が見えてくるかも?
<エキサイティングなお知らせ>
3/19LIVEやります!@原宿クロコダイル
私の十八番ジャンル、Soul&Funk Nightであります。
同級生であった、やんちゃドラマー故John Blackwellと彼をこよなく愛したPrinceへのTribute Liveです。
主催者は同じく同級生だったベーシストLyn Tatsuno!
「どんな姐ちゃんがこの生真面目なブログ書いてんだ?」と思ってるアナタ、是非遊びにいらしてください^^
AYUKO LIVE 2018 "WHOLE LOTTA LOVE"の音源をアップしました!是非!
↓
歌手AYUKOのページはこちら♪
果たしてそれはどういう意味だろう。
例えば、自分にとって「嫌だな」とか、
すごい反感を感じる人がいたとする。「
人は自分の鏡」という言葉をそのまま当てはめると、
自分にその「嫌だな」という部分がある、ということになる。
が、しかし。多分そういう単純なことではない。
かつてヒーリングを一年間学んだ時に、
「シャドウ」というものを徹底的に学ばされた。
シャドウというのは心理学用語であると思われるが、
誰かにネガティブな感情、反感を持つ時、生理的に「ウッ」と来る時、
それは自分のシャドウがその人に投影されている、ということらしい。
例えば。これは私も今でもよく覚えていることなのだが、
先生に「例えば、電車で自分の荷物を膝に置かないで横に置いている人をどう思いますか?」
と聞かれたことがある。
実はそれ、まさに私にとって「ダメな人」で、
その頃はどんなに座席が空いていようが、
私は徹底して荷物は自分の膝の上に置いていた。
つまり、簡単に言うと、シャドウとは
「自分が、やってはいけない、こうはなりたくない」という、
ある種の『自分への戒め』を、
『やってのけている』人に対して表れるのである。
そもそも、良い、とか、悪い、という判断というのは、
相対的かつ個人的なもので、
事象や人の行為というのは
「ただ、ある、起きている、やっている」というもので、
そこで人の判断でもって色付けされる。
先の「電車で荷物を横に置く人」に対して、
迷惑だなあと思う人もいれば、何も感じない人もいる。
私のように、迷惑だなあで収まらず「反感」まで感じるというのは、
まさにシャドウである。
つまり、突っ込めば、
私の場合は「行儀よくしなければならない」というのが根本にあり、
荷物を横に置く人は「行儀の悪い人」であり、
自分の個人的戒めを見事に破っているその人への私の反応は、
私のシャドウの反応ということになる。
他の例を出してみよう。
「やたら熱い人」にイラッとしたり、反感を持つ人がいるとしよう。
(例えば、松岡修造さんみたいな、笑)
私なんかは暑苦しいなあと思いつつも、なんとも思わないというか、
むしろ好きなくらいで、あそこまでストレートに熱いと逆に気持ちがいい、なんて思う。
でも、それに対してシャドウを持っている人は、
自分になんらかの理由で「熱くなってはいけない。」という戒めを持っている。
で、大事なのはその「なんらかの理由」の部分だ。
なぜ、熱くなってはいけないのか?
熱くなる、ということ自体には良いも悪いもない。
だが、なぜ自分は熱くなってはいけないのか?
かっこ悪いから?
じゃあ、なぜ、熱くなることはかっこ悪いのか?
・・・なーんてことを、
ただただ「あいつ嫌い」とか「うざい」とか「苦手」で終わらせずに、
(ちょっと面倒だけど)突っ込んで行くと、
自分が長きに渡って課してきた「制限」が見えてくる。
もちろんその制限を自分の大事なこだわりとして持ち続けてもいいし、
「なーんだ、窮屈だから、やーめた!」という選択もできる。
「人は自分の鏡」というのは、多分、
自分が人のどの部分に対してどのような反応をするか、というところで、
人は自分の鏡になってくれているということなんだろうと思う。
ちなみに例の、電車の座席で荷物はどこに置くか、っていう、
私がやたらこだわっていた件だが、あれはやめた。
行儀の良さ、とか、人の目というのは、今でも私にとっては大事なんだけど、
それはTPOに応じてわきまえれば良いわけで、
今では、座席が空いていれば、横に荷物を置いちゃうこともある。
で、何から解放されたかというと、
荷物の重さからというより、自分を縛っていた戒め、ルールからだ。
なので、皆さん、「うっ」と思う人に会った時、
一度、なんでだろう?って考えてみてはどうでしょう?
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