最近、長年のMy dear friendが「美人宣言」をしました。
そうです、「私は美人だ、そしてこれからも美人として生きてゆく」と。
私の中では昔から彼女は美人という認識であったのだけれど、
本人はそうではなかったらしいのです。
その美人宣言においては、FBでも彼女は投稿していて、
最初は「美しさを自分に許可する」という大事なお話をしていました。
その後に、下記の名言です。
〜『美しさを自分に許可する』と、平行して大切なのが
『今ここにある自分の美しさを受け入れる』だとも思ってる。
この二つは何としても両立させなくてはならない。〜
本当にそのとおりだと思います。
とは言え、そもそも「美人」って?
という根本的な問いが、同時に生まれてきます。
端正な顔立ちということでしょうか。
その端正とは、誰が決めるのでしょうか。
何かしらの黄金律的なものがあるのでしょうか。
そもそも、美を美、と思うのは人間が本能的に持っているものでしょうか。
それとも、生まれた後に、外側からインプットされるものなのでしょうか、「こういうのが美しい」と。
なんてことを言い出すときりが無いし、答えがないかもしれません。
私なりの彼女が言わんとしていることの解釈は以下です。
『(どのように美の認識が形成されたのであれ)自分が美しいと思う、感じる美しさを自分に許可する』
同様な形で『今ここにある自分の、自分が美しいと思う、感じる美しさを受け入れる』
ということなのではないかと。
今このように書いていて気づきましたが、
「美しいと思う」というのは視覚的なもの、
「美しいと感じる」というのは目に見えない(物質ではない)ものかもしれません。
私個人的には、両方の美を自分に許可し、今ここにある、
自分の両方の美を受け入れるということのように思います。
で、一般的に美人というと、端正な顔立ちという印象があります。
そういう点で言えば、私自身は決して美人ではありません。
少なくとも世の中が決めた?「端正な顔立ち」は私は持ち合わせていませんが、
そこはしょうがないので諦めました、笑。
でもここで、友人の言う「美しさを自分に許可する」がモノを言います。
それはいろいろな手を使って、自分を綺麗にしてあげることです。
何にもケアをしていない自分を「0」とするならば、
小さなことでもを10個してあげれば、美人度「10」になります。
それは、誰かと比べての数値ではなく、自分だけの数値です。
美しさを自分に許可する、というのは、
数値を上げていいのですよ、
上げちゃって〜〜、
だって上がるようになってるの〜〜、
そしてとっても素敵な気持ちになるの〜〜〜
という現実を自分に許すことなのではないかと思います。
そして、次に「今ここにある自分の美しさを受け入れる」ですが、
遠慮なく(←大事)自分の美しいところを探し、認め、愛するということだと思います。
ここもまた、他人はどうでも良いのです。
そして、前者と後者は、相乗効果があるというか、同時に進んでいくように思います。
そして、もう一度言いますが、
これは人と比べることではなく、軸は自分だけ、
マイワールド全開で行けば良いのです。
美しさを自分に許し、今ここにある自分の美しさを受け入れ、
ウットリする。。。の、何が悪い!!!
ってことで、全ての女性が本当は最初から美人街道を歩いている、と私は思っています。
ということで、LIVEは明日ですよ〜!
今回は初のギターとのデュオになります。
色とりどりの選曲を、オリジナルスタイルでお届けいたします。
Soul, Blues, Funk, Rock,はたまたディズニーからのバラードなどなど、
名物?トークとご一緒に、夏の熱い夜を皆様と・・・
AYUKO SAITO(vo) & 関雅樹(gtr) present
An Acoustic Live!!
7月20日(土)
Open: 19:00 / Starti: 20:00
Charge:¥3000
@千歳烏山 J・Mood
http://tritone.m78.com/j-mood/
〒157-0062 東京都世田谷区南烏山6-4-7
プラザ六番館 1F TEL: 03-6382-9111
(ご予約はお店に直接お願いします!
小さいお店なのでお早目に!)
AYUKO LIVE 2018 "WHOLE LOTTA LOVE"の音源をアップしました!是非!
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