いかにもパワフルなお言葉
自信
ついつい使っちゃうお言葉
自信を持って!
自信・・・
ああ、自信。
直訳すれば「自分を信じる」。
英語で言えば「Confidence」
でも、「Trust(信頼する)」ともまた違う。
自信がある、という言い方があるということは
自信がない、という言い方もある。
To believe or not to believe
(自信が)あるか、ないか、それが問題・・・か!?
あるか、ないか、
「どっちでもない」場所はないものだろうか。
昨日、ブログ「比べたり、競争したり・・・そこから飛べ!上に!」
というものを書いたのですが、
この自信についても、
「自信があったり、なかったり・・・そこから飛べ!上に!」
に、近いものを感じるのです。
「自分を信じる」というのと
「自信がある」は、どうも違う。
今回は
「アタシ、これ、完食する自信ある〜〜〜」(なぜこういう例文)
的な、完食してもしなくても別に大問題ではないような、
日頃、カジュアルに使ってしまう「自信」ではなく、
自分そのものであったり、
自分が一生懸命取り組んでいるもの、キャリア、
自分の夢がかかっているような大事な何か、
のような、自信があるか、ないかが、
重〜くのしかかってしまうような時の
「自信」について。
で、
自信があるか、ないか、それが問題なのだろうか。
昨日のブログに書きましたが、
こういう時って、
他人軸になっていないだろうか。
つまり、
他人の目を気にしていないだろうか。
自信がある時、
それは他人が評価してくれるだろうと自信があり、
自信がない時は、
(このままでは)他人の評価が期待できないゆえに自信がない。
まあ、俗に言う、他人軸ゆえのプレッシャーというものでしょうか。
だとすると、
これまた昨日のブログ(ごめん、一度読んで!)と似ていて、
自信がある、ない、が他人軸で決められるから、
結局、その自信とやらは「流動的」なものになって、
結果、本当のところの「自信」は存在しないことになってしまう。
そういう意味で「自信」という言葉を使うならば、
そんなもんいらない。疲れる。
それこそ、
そこから飛べ!上へ!
いや、
この場合は
そこから潜れ!自分の内へ!
だ。
「自信がある、ない」という世界から
自分の内へと深く脱出した世界というのは。
非常に、冷静な世界だと思うのです。
自分の状態、レベル、力を冷静に観察し、
受け入れている世界。
あくまでも基準は自分であり、
他人様に向けての自信など必要もないし、
自分に向けての自信なんか、
なおのこと必要ない。
ただ、自分が在る、それだけの世界。
自分が出したい結果があるとして、
それに向かって、ひたすら集中し、
粛々とやるべきことをやっていく。
必要なのは、多分、
一つ一つのプロセスに自分が納得しているということ、
だと思うのです。
外側に対して自分に自信がある、とか、ないとか、
そういうのをすっかり諦めて捨ててしまうと、
ただただ自分の道を見つめ、
耕すことに集中できる。
私の例えで言うと、
LIVE。
自分のLIVEに自信があるか?
と、もし聞かれたら、
そういうボキャブラリーがないから
答えられない。
自信があってLIVEをするわけでも
自信がなくてLIVEをするわけでもない。
いらしてくださるお客様に
どんだけ〜〜〜ってくらい素敵な時間を捧げたい、
という思いでLIVEの準備をするのは
もう100%、いや、200%、そうなのですが、
評価(結果)を気にしての
自信があります、ありませんの世界に注ぐような
余分なエネルギーなどないのです。
今の自分、
それがどのようなレベルであれ、
それを嘘なく、100%捧げる、
それだけなのです。
そこに自信など入る余地はなく、
ただ、全てを引っくるめて、
今の自分をTrust(信頼)する、
つまり、Doubt(疑う)しない、
それは、
私の自分自身への自信ではなく、
忠誠かもしれません。
↓最新の「歌ってみた動画、Rufus&Chaka Kahnの「Sweet Thing」をアップしました!
Instagram https://www.instagram.com/ayuko.is.here/
↓プロの歌手として学んできた様々なこと,
音楽のこと、生きていて思うことを書いています。
(是非、フォローしてください!まだ数人しかいないの、笑)
Twitter https://twitter.com/AyukoSaito
s
自信
ついつい使っちゃうお言葉
自信を持って!
自信・・・
ああ、自信。
直訳すれば「自分を信じる」。
英語で言えば「Confidence」
でも、「Trust(信頼する)」ともまた違う。
自信がある、という言い方があるということは
自信がない、という言い方もある。
To believe or not to believe
(自信が)あるか、ないか、それが問題・・・か!?
あるか、ないか、
「どっちでもない」場所はないものだろうか。
昨日、ブログ「比べたり、競争したり・・・そこから飛べ!上に!」
というものを書いたのですが、
この自信についても、
「自信があったり、なかったり・・・そこから飛べ!上に!」
に、近いものを感じるのです。
「自分を信じる」というのと
「自信がある」は、どうも違う。
今回は
「アタシ、これ、完食する自信ある〜〜〜」(なぜこういう例文)
的な、完食してもしなくても別に大問題ではないような、
日頃、カジュアルに使ってしまう「自信」ではなく、
自分そのものであったり、
自分が一生懸命取り組んでいるもの、キャリア、
自分の夢がかかっているような大事な何か、
のような、自信があるか、ないかが、
重〜くのしかかってしまうような時の
「自信」について。
で、
自信があるか、ないか、それが問題なのだろうか。
昨日のブログに書きましたが、
こういう時って、
他人軸になっていないだろうか。
つまり、
他人の目を気にしていないだろうか。
自信がある時、
それは他人が評価してくれるだろうと自信があり、
自信がない時は、
(このままでは)他人の評価が期待できないゆえに自信がない。
まあ、俗に言う、他人軸ゆえのプレッシャーというものでしょうか。
だとすると、
これまた昨日のブログ(ごめん、一度読んで!)と似ていて、
自信がある、ない、が他人軸で決められるから、
結局、その自信とやらは「流動的」なものになって、
結果、本当のところの「自信」は存在しないことになってしまう。
そういう意味で「自信」という言葉を使うならば、
そんなもんいらない。疲れる。
それこそ、
そこから飛べ!上へ!
いや、
この場合は
そこから潜れ!自分の内へ!
だ。
「自信がある、ない」という世界から
自分の内へと深く脱出した世界というのは。
非常に、冷静な世界だと思うのです。
自分の状態、レベル、力を冷静に観察し、
受け入れている世界。
あくまでも基準は自分であり、
他人様に向けての自信など必要もないし、
自分に向けての自信なんか、
なおのこと必要ない。
ただ、自分が在る、それだけの世界。
自分が出したい結果があるとして、
それに向かって、ひたすら集中し、
粛々とやるべきことをやっていく。
必要なのは、多分、
一つ一つのプロセスに自分が納得しているということ、
だと思うのです。
外側に対して自分に自信がある、とか、ないとか、
そういうのをすっかり諦めて捨ててしまうと、
ただただ自分の道を見つめ、
耕すことに集中できる。
私の例えで言うと、
LIVE。
自分のLIVEに自信があるか?
と、もし聞かれたら、
そういうボキャブラリーがないから
答えられない。
自信があってLIVEをするわけでも
自信がなくてLIVEをするわけでもない。
いらしてくださるお客様に
どんだけ〜〜〜ってくらい素敵な時間を捧げたい、
という思いでLIVEの準備をするのは
もう100%、いや、200%、そうなのですが、
評価(結果)を気にしての
自信があります、ありませんの世界に注ぐような
余分なエネルギーなどないのです。
今の自分、
それがどのようなレベルであれ、
それを嘘なく、100%捧げる、
それだけなのです。
そこに自信など入る余地はなく、
ただ、全てを引っくるめて、
今の自分をTrust(信頼)する、
つまり、Doubt(疑う)しない、
それは、
私の自分自身への自信ではなく、
忠誠かもしれません。
↓最新の「歌ってみた動画、Rufus&Chaka Kahnの「Sweet Thing」をアップしました!
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