長い。
長かった。
昨年末のLIVE後からの
「強制的大変革」というのは、
私の意志などはお構いなく、
長い長い年月の間に自分に課してきた、
また、当たり前だと思っていた
「お荷物」を、
青天の霹靂の如く、
奪われた。。。
というか、
剥ぎ取られた、
もぎ取られた。
当たり前であった重い重い荷物を
ある日突然、持ってかれるとどうなるか。
「わーい、軽くなった、軽くなったー!」
とは行かないのです。
自分でよく考え、
自分の意志でもって、
順序立ててやっての結果であれば、
「おいら、良くやった!
ああ、軽くなったーー!」
と祝っていたでしょう。
自分が電車だとして。
なんの疑問もなく線路を走っている。
見通しも良いので懸念事項もなく。
ところが、
急に何か別の力でもって
別の方向へ行く線路へと
「ガチャ!」っと変更され、
あ〜〜〜れ〜〜〜
何ですか、これは!?
この道知りません。
どこに向かって走っているのですか?
私は誰?ここはどこ?
当たり前であった
大きな大きな重い重い荷物が、
自分の意志ではなく、
別の力でヒョイと降ろされてしまった、
というのは、
道も方向も分からなくなった
電車のようです。
ですが、
線路は続いている。
走っているけれど、
何も見えない。
相変わらずの抽象的表現ですが、
私が年末から経験してきたこととは
そういうことなのです。
意志とは関係なく
方向転換が起き、
それ故の、
自分の足元が分からない、
どこに立っているのか分からない、
どこに向かうのかも分からない、
そういうものへの
恐怖です。
ブログにはかろうじて書いていましたが、
個人的には誰にも話すことができませんでした。
親友にさえも。
ひたすら恐怖の中、
家族の前では平気な顔をして
お正月やら冬休みやらの
「おうち仕事」をこなしながら、
日中は
寝室にこもり、
疲れて横になり、
恐怖に震えながら出口も見えず、
寝室から出れば、
いつもの私をやって・・・
全く別の二つの世界が
私を益々孤立化させ、
いよいよやばいという時に、
(ヤバいと気づけたのは良かった、本当に)
数日前に、
出張中の夫に電話して、
大泣きしながら、
非常に状態が悪いということを告げ、
病院に行きますと伝え、
(結局、行く必要はなかった)
その次の日に、
親友から「あゆちゃん、どうしてる〜〜〜?」とLINEが入り、
電話しながら泣きじゃくりながら話をして・・・
そして、
昨日ようやく
以前、このブログでもご紹介しました
「霊障バスター」であり、
強力なヒーラーでもあるYさんに会うことができ。
Yさんのおかげで、
ようやくこれまでの、
また今の自分の状態が理解できました。
自分でこれまで拾ってきた重荷で
パンパンになったリュックを
ある日、強制的にもぎ取られた。
ごそっと一気に軽くなった。
けれども、
本来なら軽くなって嬉しいはずなのだけれど、
あまりにも突然であったために、
フワフワしてしまい、
つまり、
地に足を付けることがまだできない。
電車で言えば、
今は視界全体に靄がかかっていて、
手で取り払うこともできないし、
それはそれは怖いはずです。
と。
その時に初めて私は
「え?軽くなったの、私?」と
知らされたのでした。
本人としては
これまでのものがゴソッと取り外され、
軽さよりも、
そのあまりの変化に恐怖しか感じていなかったですから。
(何度も言って恐縮ですが、「私の意志」ではなかったのです)
Yさん、曰く、
あまりに急に軽くなってしまったが故に、
まだ(新しい)地に足がつかなくて、
それでとても怖いのです、と。
ひたすら混沌としていて
出口も見えない、
起きたことの理由も分からない、
まるで身体から魂や心が「ズレて」しまって
「ハマっていない」ような状態で
恐怖で死にそうになっていた私に、
Yさんは
「理解」という形で救ってくださいました。
要は
「頭の暴走」が一番怖く、
そこに「整った理解」というものが入ることで、
宙に浮いていたものが、
それぞれの場所へと落ち着くのです。
そうか。
私は急激な変化でもって、
これまでとは違う領域に一気に移動して、
そこのエネルギーについていけてないのだ、
だから怖かったのだ、
と理解しました。
Yさんは、
「だから今はゆっくり行きましょう。
小さなことでもいいから、
自分が幸せを感じたり、嬉しいと思うことに
ひたすらエネルギーと時間を注ぐことです。
大きく空いたスペースに
そういうものを少しずつ入れていく、
そうしたら、新しい状態に慣れてきて、
足がちゃんと地に付きますから。
そうすると靄が晴れてきて、
景色が見えてきて、
次の「これだ!」というものが
きっと見えてきますから。」
と。
Yさんというと、
ヒーリングの時というのは、
彼女専属のパワフルな龍(Bow君という名前らしい)が
助っ人で来てくれたり、
はたまたスーパースター級の(!)の神様とか天使さんとかが
来てくださったりなのですが、
昨日は初めて、
お寺さんに連れていってくださいました。
Yさんのブログを拝見していると、
よくお寺さんでお釈迦様にヒーリングを助けていただく、
というお話をこれまで何度も出てきたのですが、
ついに私も行けるのね!(ミーハー)
と、自由が丘から徒歩で行ける、
Yさんがよくいらっしゃるお寺さんに伺いました。
本堂に入る前に
別のお堂にいらっしゃる阿弥陀如来様たちにご挨拶をして
(その手のお作法はYさんの真似をひたすら)
本堂では
とにかくお任せで、
Yさんの横でじ〜〜〜っと目をつぶって座っていました。
段々とやたら眠くなり
(ただでさえ疲労困憊の状態でしたが)
身体がどんどん前に傾いてくるほどで。
どれくらいこうしていたらいいのだろう、と
疑問に思っていましたが、
不思議と終わった頃に、
自然と身体も起き、
Yさんに「おかえりなさい」と言われ。
お寺さんでのヒーリングの後は
「おみくじ」を引くことになっているようで、
私も引かせていただきました。
(こういう時のメッセージは強力なのです)
ありがたいことに大吉で、
最初に書かれていたお言葉というのが・・・
『理』
花も開けば散り
月も満ちかける
人生は巻き戻せず
この瞬間も時を刻む
『自然の理』
ということなのです。
この度起きたことも、
自然の理。
(本人はびっくり仰天でも)
それに身を委ね、
受け入れてゆくこと。
できれば、
『優美に』と言いたいところですが。
この人生においては
初めての経験でしたから、
ビビってもしょうがない、とする。
でも、
人生最大の、と言ってもいいほどの経験です。
です、というのは、
まだ完全には新地に足が付けていなくて、
(つまり新しいエネルギーの領域に馴染んでいない)
不安定なところがあるということ、
調整にもう少し時間がかかるかも、ということ。
でも峠は越えたのかな。
「人に」ちゃんと
助けて、と言えたからです。
前回のブログ『自分に寄り添うということは』のつづき、
かもしれません。
「人に寄り添ってもらうこと」の大切さ。
今日は満月。
先週でしたか、
「満月を迎える時に回復が完了しますように」と
お祈りしました。
満月はあることが完了する、という時ですから。
そうですね。
回復第一段階は「完了」・・・となるかな。
いや、「完了」とします。
Yさん、お釈迦様、ありがとうございました。
そして、親友Hちゃんも。
生きてますよ〜〜。
*聴くブログ!?「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
このブログのカテゴリー「Sound Blog」から是非どうぞ!
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私のオフィシャル・ページを
どうぞご訪問くださいませ。
プロフィール、経歴、ライブ情報、
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↓日々の「歌ってる動画」をInstagram(IGTVセクション)/ Twitterにアップしています
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Twitter https://twitter.com/AyukoSaito
↓私の過去のlLIVE映像などはYoutubeでアップしています
https://www.youtube.com/channel/UCZiH2XUoIk7XVpWLuowKDUA
長かった。
昨年末のLIVE後からの
「強制的大変革」というのは、
私の意志などはお構いなく、
長い長い年月の間に自分に課してきた、
また、当たり前だと思っていた
「お荷物」を、
青天の霹靂の如く、
奪われた。。。
というか、
剥ぎ取られた、
もぎ取られた。
当たり前であった重い重い荷物を
ある日突然、持ってかれるとどうなるか。
「わーい、軽くなった、軽くなったー!」
とは行かないのです。
自分でよく考え、
自分の意志でもって、
順序立ててやっての結果であれば、
「おいら、良くやった!
ああ、軽くなったーー!」
と祝っていたでしょう。
自分が電車だとして。
なんの疑問もなく線路を走っている。
見通しも良いので懸念事項もなく。
ところが、
急に何か別の力でもって
別の方向へ行く線路へと
「ガチャ!」っと変更され、
あ〜〜〜れ〜〜〜
何ですか、これは!?
この道知りません。
どこに向かって走っているのですか?
私は誰?ここはどこ?
当たり前であった
大きな大きな重い重い荷物が、
自分の意志ではなく、
別の力でヒョイと降ろされてしまった、
というのは、
道も方向も分からなくなった
電車のようです。
ですが、
線路は続いている。
走っているけれど、
何も見えない。
相変わらずの抽象的表現ですが、
私が年末から経験してきたこととは
そういうことなのです。
意志とは関係なく
方向転換が起き、
それ故の、
自分の足元が分からない、
どこに立っているのか分からない、
どこに向かうのかも分からない、
そういうものへの
恐怖です。
ブログにはかろうじて書いていましたが、
個人的には誰にも話すことができませんでした。
親友にさえも。
ひたすら恐怖の中、
家族の前では平気な顔をして
お正月やら冬休みやらの
「おうち仕事」をこなしながら、
日中は
寝室にこもり、
疲れて横になり、
恐怖に震えながら出口も見えず、
寝室から出れば、
いつもの私をやって・・・
全く別の二つの世界が
私を益々孤立化させ、
いよいよやばいという時に、
(ヤバいと気づけたのは良かった、本当に)
数日前に、
出張中の夫に電話して、
大泣きしながら、
非常に状態が悪いということを告げ、
病院に行きますと伝え、
(結局、行く必要はなかった)
その次の日に、
親友から「あゆちゃん、どうしてる〜〜〜?」とLINEが入り、
電話しながら泣きじゃくりながら話をして・・・
そして、
昨日ようやく
以前、このブログでもご紹介しました
「霊障バスター」であり、
強力なヒーラーでもあるYさんに会うことができ。
Yさんのおかげで、
ようやくこれまでの、
また今の自分の状態が理解できました。
自分でこれまで拾ってきた重荷で
パンパンになったリュックを
ある日、強制的にもぎ取られた。
ごそっと一気に軽くなった。
けれども、
本来なら軽くなって嬉しいはずなのだけれど、
あまりにも突然であったために、
フワフワしてしまい、
つまり、
地に足を付けることがまだできない。
電車で言えば、
今は視界全体に靄がかかっていて、
手で取り払うこともできないし、
それはそれは怖いはずです。
と。
その時に初めて私は
「え?軽くなったの、私?」と
知らされたのでした。
本人としては
これまでのものがゴソッと取り外され、
軽さよりも、
そのあまりの変化に恐怖しか感じていなかったですから。
(何度も言って恐縮ですが、「私の意志」ではなかったのです)
Yさん、曰く、
あまりに急に軽くなってしまったが故に、
まだ(新しい)地に足がつかなくて、
それでとても怖いのです、と。
ひたすら混沌としていて
出口も見えない、
起きたことの理由も分からない、
まるで身体から魂や心が「ズレて」しまって
「ハマっていない」ような状態で
恐怖で死にそうになっていた私に、
Yさんは
「理解」という形で救ってくださいました。
要は
「頭の暴走」が一番怖く、
そこに「整った理解」というものが入ることで、
宙に浮いていたものが、
それぞれの場所へと落ち着くのです。
そうか。
私は急激な変化でもって、
これまでとは違う領域に一気に移動して、
そこのエネルギーについていけてないのだ、
だから怖かったのだ、
と理解しました。
Yさんは、
「だから今はゆっくり行きましょう。
小さなことでもいいから、
自分が幸せを感じたり、嬉しいと思うことに
ひたすらエネルギーと時間を注ぐことです。
大きく空いたスペースに
そういうものを少しずつ入れていく、
そうしたら、新しい状態に慣れてきて、
足がちゃんと地に付きますから。
そうすると靄が晴れてきて、
景色が見えてきて、
次の「これだ!」というものが
きっと見えてきますから。」
と。
Yさんというと、
ヒーリングの時というのは、
彼女専属のパワフルな龍(Bow君という名前らしい)が
助っ人で来てくれたり、
はたまたスーパースター級の(!)の神様とか天使さんとかが
来てくださったりなのですが、
昨日は初めて、
お寺さんに連れていってくださいました。
Yさんのブログを拝見していると、
よくお寺さんでお釈迦様にヒーリングを助けていただく、
というお話をこれまで何度も出てきたのですが、
ついに私も行けるのね!(ミーハー)
と、自由が丘から徒歩で行ける、
Yさんがよくいらっしゃるお寺さんに伺いました。
本堂に入る前に
別のお堂にいらっしゃる阿弥陀如来様たちにご挨拶をして
(その手のお作法はYさんの真似をひたすら)
本堂では
とにかくお任せで、
Yさんの横でじ〜〜〜っと目をつぶって座っていました。
段々とやたら眠くなり
(ただでさえ疲労困憊の状態でしたが)
身体がどんどん前に傾いてくるほどで。
どれくらいこうしていたらいいのだろう、と
疑問に思っていましたが、
不思議と終わった頃に、
自然と身体も起き、
Yさんに「おかえりなさい」と言われ。
お寺さんでのヒーリングの後は
「おみくじ」を引くことになっているようで、
私も引かせていただきました。
(こういう時のメッセージは強力なのです)
ありがたいことに大吉で、
最初に書かれていたお言葉というのが・・・
『理』
花も開けば散り
月も満ちかける
人生は巻き戻せず
この瞬間も時を刻む
『自然の理』
ということなのです。
この度起きたことも、
自然の理。
(本人はびっくり仰天でも)
それに身を委ね、
受け入れてゆくこと。
できれば、
『優美に』と言いたいところですが。
この人生においては
初めての経験でしたから、
ビビってもしょうがない、とする。
でも、
人生最大の、と言ってもいいほどの経験です。
です、というのは、
まだ完全には新地に足が付けていなくて、
(つまり新しいエネルギーの領域に馴染んでいない)
不安定なところがあるということ、
調整にもう少し時間がかかるかも、ということ。
でも峠は越えたのかな。
「人に」ちゃんと
助けて、と言えたからです。
前回のブログ『自分に寄り添うということは』のつづき、
かもしれません。
「人に寄り添ってもらうこと」の大切さ。
今日は満月。
先週でしたか、
「満月を迎える時に回復が完了しますように」と
お祈りしました。
満月はあることが完了する、という時ですから。
そうですね。
回復第一段階は「完了」・・・となるかな。
いや、「完了」とします。
Yさん、お釈迦様、ありがとうございました。
そして、親友Hちゃんも。
生きてますよ〜〜。
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