1日に二つもブログ?
・・・なのですけれど、
急に書きたくなったことがあるので書きます。
昨日、母とうちの家族とで
夜、串揚げを食べに行きました。
カウンターで母が一番奥、
そして私は母の横に座りました。
2ヶ月に一度くらいは皆でご飯をいただくのですが、
昨日は引越を終えて初めての食事会だったので、
母には、実は私一人の部屋をもらったこと、
その経緯などを話したりして。
まあ、色々話していた訳ですが、
どうやってその話になったかは忘れたのですが、
私は母に、
もし母が今の時代に生きてたら、
きっとインテリアデザイナーとか、
何か絶対やってただろうね、と。
母は衣食住をこよなく愛していて、
お洋服大好き、
お料理大好き、
家具や食器やら、その他ごちゃごちゃと綺麗な小物とか、
インテリア大好き。
大好きをずっと続けてきたからでしょうね。
センスもすごく良い。
とは言え、
母はいわゆる昭和時代の人でしたから、
あの頃は結婚して家庭に入るのが当たり前のコースでした。
母は音大のピアノ科を出た人なのですが、
それは、自分が一人っ子だったために、
何か手に職を付けておいた方がいいだろう、
という理由であったのは知っていました。
(ピアノが弾ければ幼稚園の先生になれる、とか。)
それから私は母から昔聞いたことを話しました。
それは、母は小さい頃、
よくマッチ箱などを使って、
小さなお部屋の模型を作ったりして楽しんでいた、
という話。
すると、
「私、音楽全然好きじゃなかったもの。」
という衝撃の初耳のその後に、
「私、建築家になりたかったの。」という、
これまた衝撃な初耳。
でも「母は建築家になりたかったのか!」というのを
50年以上生きてきて初めて知ることができたのは
感慨深かった。
時代が時代ですから、
建築家に本気でなろうなんていう発想もきっとなかったのでしょう。
でも、私は思った。
建築家になれなかったけれど、
母はできる形でその夢を今生でちゃんと叶えたんだな、と。
今の実家は元々、今は亡き父の実家でありました。
そこをもう20年前になるでしょうか、
建て替えることになったのですね。
母は建築家の方と共に、
ゼロから設計したのです。
母が好きなように設計してもらった家が今の家で、
そこには母が好きな家具を好きなように置き、
全て母の趣味で成り立っている訳ですが、
ああ、そうか。
母は小さい頃作っていた部屋の模型を
こんな形でリアルに実現したんだ!と。
小さい頃の部屋の模型作りの話から、
母が建築家になりたかったことを知り、
そしてその模型がホンモノになった・・・
私の中でなんだかやたら壮大な物語が浮かんだのでした。
なんて不思議なのだろう、と。
実際には「建築家」になることはなかったけれど、
多分、母の「魂の夢の一つ」というのは、
こういう形でちゃんと叶ったんだと。
もちろん、結婚し、子育て一本でやってきたわけで、
その間「建築家になりたかった」ことを
度々考える、、、なんてことはきっとなかったでしょう。
それでも、
建築も含め衣食住に関わることには
常に興味を持ち、日々の生活に自分のセンスを発揮し、
それをずっと楽しんできた・・・
そういう意味では
「メンタリティー」はずっとブレることがなかったわけで、
でも、
まさか自分の夫の実家の家の建て替えを
全て自分の好みでやってのける・・・
なんてことは想像もしなかっただろうなあ、と。
先ほどの「なんて不思議なのだろう」というのは、
実は「そういう風になっているのかな。人生とは。」
というところと、
「そういう風」っていうのは、
自分だけの力ではないような何かの力、流れ、のようなもので。
「魂の夢」という表現をしましたが、
私たちには誰しもそれがあるのだと思うのですね。
「やりにきたこと」。
それは気づいている人もいれば
気づいてない人もいて、
でも「やりにきたこと」には変わりはなく、
それを「やるために」「成し遂げるために」
もしや知らないところで
ちゃんと魂がナビゲートしてんじゃないかな、なんて。
この複雑極まりないマトリックスの中で
「これとこれがこうなって」
「あれとあれがこう繋がって」
気の遠くなるような迷路に見えても、
でも最後に「カチッ」とハマるように。。。なっている。
「やりにきたこと」
というのは世俗的な成功とは限らなくて、
魂にとってみれば「そんなんどーでもいー」かもしれないし、
魂によっては「世俗的成功を体験しに来ました」もあるだろうし、
なんだろうね。
とにかくあるのよ、「魂の夢」ってのが。きっと。
もはやミッションよ、ミッション。
それやるために生まれてきたんだから、
是が非でもそっちに持ってくよ!みたいな。
その内容がなんであれ。
で、ここで。
じゃあ、私は「私の魂の夢」に気づいているのか?
正直、よくわかんない。
なんとなく分かるけど、具体的にはよく分からない。
ただ母の話からすると
「好きをとにかくやる」というのは確かであろうな。
「好き」についていく。
そして不思議なのがまた、
人それぞれ「好き」は違う。
で、なぜ?と聞かれても好きだから好きとしか言いようがない。
やらずにはいられない、からしょうがない。
私の場合は明らかに「それ」は「歌」であり、
それを「人前でやる、表現する」ことであり、
でも未だ、その「歌」でもって、
私の魂はどんな「夢」を叶えたいのかは
具体的にはよく分からない。
もしかしたら思いもよらない所へと連れてかれるかもしれないし、
やっぱり、そんなのは分からないのよね。
結局のところ、
その時その時にハートが「Yes!」ということを選択し続ける。
一歩一歩「Yes!」についてゆく。
つまり。
「目の前」のことにフォーカスすることしかできないわよね。
先を見過ぎない。
道の先が見えてきたら、
まずは見えてるところまで歩く。
一歩進めば、その道の更に一歩先が見えるのかもしれない。
よくね、
「5年先、10年先の自分がどうなっていたいか設定し、
それを逆算して人生プランを立てる」っていう、
「ドリームマップ作戦」みたいなのあるじゃない?
それができるなら素晴らしい。
もしも、はっきりとしているのなら。
でも、はっきりしていないのなら、
それでいいと思うのよ。
そこで思い悩むことなんてないと思う。
だって、
「是が非でも」とかって燃え盛る魂がナビゲートしてると思えば、
はっきりしていない時は、
一歩一歩、その時の「Yes!」についていけばいいじゃない。
そんで自分にとって何が「Yes!」なのか分からない時は
分からないままとりあえず進むも良し、
立ち止まっても良し、
それも全部含めての
「魂のドリームマップ」だとしたら、
なんでもアリなのよね、きっと。
昨日、母の話を改めて聞いて思いました。
魂の夢は必ず叶うようになっている?
そうかもしれない。
昭和のマッチ箱ですって!
ついに(?)英語のブログを始めました。
「英語、OKよ!」という方がいらっしゃいましたら、
是非そちらも覗いてみてくださいね。
AYUKO Soul Quest Blog (English)
*聴くブログ!?「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
このブログのカテゴリー「Sound Blog」から是非どうぞ!
クリックしてすぐに聴けるようになっています。
私のオフィシャル・ページを
どうぞご訪問くださいませ。
(最近、ちょとだけリニューアルしました。
音楽もここからSoul Musicのスタイルへと絞っていきます)
プロフィール(なのでラストも少し変わりました)、経歴、ライブ情報、
それから私の歌も試聴(ミュージカル曲はもうないよ〜)できます!
https://www.ayukosaito.com
Instagram https://www.instagram.com/ayuko.is.here/
Twitter https://twitter.com/AyukoSaito
↓私の過去のlLIVE映像などはYoutubeでアップしています
https://www.youtube.com/channel/UCZiH2XUoIk7XVpWLuowKDUA
・・・なのですけれど、
急に書きたくなったことがあるので書きます。
昨日、母とうちの家族とで
夜、串揚げを食べに行きました。
カウンターで母が一番奥、
そして私は母の横に座りました。
2ヶ月に一度くらいは皆でご飯をいただくのですが、
昨日は引越を終えて初めての食事会だったので、
母には、実は私一人の部屋をもらったこと、
その経緯などを話したりして。
まあ、色々話していた訳ですが、
どうやってその話になったかは忘れたのですが、
私は母に、
もし母が今の時代に生きてたら、
きっとインテリアデザイナーとか、
何か絶対やってただろうね、と。
母は衣食住をこよなく愛していて、
お洋服大好き、
お料理大好き、
家具や食器やら、その他ごちゃごちゃと綺麗な小物とか、
インテリア大好き。
大好きをずっと続けてきたからでしょうね。
センスもすごく良い。
とは言え、
母はいわゆる昭和時代の人でしたから、
あの頃は結婚して家庭に入るのが当たり前のコースでした。
母は音大のピアノ科を出た人なのですが、
それは、自分が一人っ子だったために、
何か手に職を付けておいた方がいいだろう、
という理由であったのは知っていました。
(ピアノが弾ければ幼稚園の先生になれる、とか。)
それから私は母から昔聞いたことを話しました。
それは、母は小さい頃、
よくマッチ箱などを使って、
小さなお部屋の模型を作ったりして楽しんでいた、
という話。
すると、
「私、音楽全然好きじゃなかったもの。」
という衝撃の初耳のその後に、
「私、建築家になりたかったの。」という、
これまた衝撃な初耳。
でも「母は建築家になりたかったのか!」というのを
50年以上生きてきて初めて知ることができたのは
感慨深かった。
時代が時代ですから、
建築家に本気でなろうなんていう発想もきっとなかったのでしょう。
でも、私は思った。
建築家になれなかったけれど、
母はできる形でその夢を今生でちゃんと叶えたんだな、と。
今の実家は元々、今は亡き父の実家でありました。
そこをもう20年前になるでしょうか、
建て替えることになったのですね。
母は建築家の方と共に、
ゼロから設計したのです。
母が好きなように設計してもらった家が今の家で、
そこには母が好きな家具を好きなように置き、
全て母の趣味で成り立っている訳ですが、
ああ、そうか。
母は小さい頃作っていた部屋の模型を
こんな形でリアルに実現したんだ!と。
小さい頃の部屋の模型作りの話から、
母が建築家になりたかったことを知り、
そしてその模型がホンモノになった・・・
私の中でなんだかやたら壮大な物語が浮かんだのでした。
なんて不思議なのだろう、と。
実際には「建築家」になることはなかったけれど、
多分、母の「魂の夢の一つ」というのは、
こういう形でちゃんと叶ったんだと。
もちろん、結婚し、子育て一本でやってきたわけで、
その間「建築家になりたかった」ことを
度々考える、、、なんてことはきっとなかったでしょう。
それでも、
建築も含め衣食住に関わることには
常に興味を持ち、日々の生活に自分のセンスを発揮し、
それをずっと楽しんできた・・・
そういう意味では
「メンタリティー」はずっとブレることがなかったわけで、
でも、
まさか自分の夫の実家の家の建て替えを
全て自分の好みでやってのける・・・
なんてことは想像もしなかっただろうなあ、と。
先ほどの「なんて不思議なのだろう」というのは、
実は「そういう風になっているのかな。人生とは。」
というところと、
「そういう風」っていうのは、
自分だけの力ではないような何かの力、流れ、のようなもので。
「魂の夢」という表現をしましたが、
私たちには誰しもそれがあるのだと思うのですね。
「やりにきたこと」。
それは気づいている人もいれば
気づいてない人もいて、
でも「やりにきたこと」には変わりはなく、
それを「やるために」「成し遂げるために」
もしや知らないところで
ちゃんと魂がナビゲートしてんじゃないかな、なんて。
この複雑極まりないマトリックスの中で
「これとこれがこうなって」
「あれとあれがこう繋がって」
気の遠くなるような迷路に見えても、
でも最後に「カチッ」とハマるように。。。なっている。
「やりにきたこと」
というのは世俗的な成功とは限らなくて、
魂にとってみれば「そんなんどーでもいー」かもしれないし、
魂によっては「世俗的成功を体験しに来ました」もあるだろうし、
なんだろうね。
とにかくあるのよ、「魂の夢」ってのが。きっと。
もはやミッションよ、ミッション。
それやるために生まれてきたんだから、
是が非でもそっちに持ってくよ!みたいな。
その内容がなんであれ。
で、ここで。
じゃあ、私は「私の魂の夢」に気づいているのか?
正直、よくわかんない。
なんとなく分かるけど、具体的にはよく分からない。
ただ母の話からすると
「好きをとにかくやる」というのは確かであろうな。
「好き」についていく。
そして不思議なのがまた、
人それぞれ「好き」は違う。
で、なぜ?と聞かれても好きだから好きとしか言いようがない。
やらずにはいられない、からしょうがない。
私の場合は明らかに「それ」は「歌」であり、
それを「人前でやる、表現する」ことであり、
でも未だ、その「歌」でもって、
私の魂はどんな「夢」を叶えたいのかは
具体的にはよく分からない。
もしかしたら思いもよらない所へと連れてかれるかもしれないし、
やっぱり、そんなのは分からないのよね。
結局のところ、
その時その時にハートが「Yes!」ということを選択し続ける。
一歩一歩「Yes!」についてゆく。
つまり。
「目の前」のことにフォーカスすることしかできないわよね。
先を見過ぎない。
道の先が見えてきたら、
まずは見えてるところまで歩く。
一歩進めば、その道の更に一歩先が見えるのかもしれない。
よくね、
「5年先、10年先の自分がどうなっていたいか設定し、
それを逆算して人生プランを立てる」っていう、
「ドリームマップ作戦」みたいなのあるじゃない?
それができるなら素晴らしい。
もしも、はっきりとしているのなら。
でも、はっきりしていないのなら、
それでいいと思うのよ。
そこで思い悩むことなんてないと思う。
だって、
「是が非でも」とかって燃え盛る魂がナビゲートしてると思えば、
はっきりしていない時は、
一歩一歩、その時の「Yes!」についていけばいいじゃない。
そんで自分にとって何が「Yes!」なのか分からない時は
分からないままとりあえず進むも良し、
立ち止まっても良し、
それも全部含めての
「魂のドリームマップ」だとしたら、
なんでもアリなのよね、きっと。
昨日、母の話を改めて聞いて思いました。
魂の夢は必ず叶うようになっている?
そうかもしれない。
昭和のマッチ箱ですって!
ついに(?)英語のブログを始めました。
「英語、OKよ!」という方がいらっしゃいましたら、
是非そちらも覗いてみてくださいね。
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