ウィルス騒ぎやらテロリスト止められません騒ぎがあり、また、小さい動きではあるけど一昨年のスクリパル親子が消えてしまった事件は、英の中で相当にくすぶってる。
英メディアは知らん顔をしているがジャーナリストが本を書いたり、一般人がブログで訴えたらサイバー攻撃を受けたりして、やっぱりこれはホントにどこかにとって問題なのだなと思わせる展開になっていて面白い。
さて、そんな中、トルコ周辺との話で国際的に多く取り上げられることの多いロシアでは、そんなことより何より憲法改正が大きな焦点になっている。
ロシア大統領所信表明演説:次世代に向けた機構改革
1月の所信表明演説でプーチンが憲法改正をホントにやるぞと宣言して、あわせて内閣が総辞職して首相が交代して、新しい首相が新しい内閣を作った。新しい内閣というけど、外相、国防相、エネルギー相、財務相など外国との喫緊の課題を持った人たちは残留している。
で、その憲法を改正する改正案を国民投票で可否を取るんだそうで(具体的にどういう手順なのかよくわからない)、その国民投票の日が4月22日。
この日付けに意義を唱えている人たちがいて、それの理由がちょっとした話題になってるらしい。なぜならその日はレーニンの誕生日だから。
つまり、ロシア共産党が、レーニンの誕生日にわざとぶつけてきたな、と言ってるんだそうだ。誕生日に祝い事をするという点が、それって意味あんの?という気もする。自分の聖人の日を大事にするという広くスラブ圏で見られる慣習のようだ。
‘Trolling of the highest order’: Russian communists FURIOUS after Lenin’s birthday chosen as date for major public vote
https://www.rt.com/russia/481818-lenin-birthday-date-major-public-vote/
私は、4月の真ん中ということでこれは正教会カレンダーの復活祭にぶつけてきたのかなと思ったのだが、今チェックすると今年の復活祭は4月19日(西方教会は4月12日)だそうなので、微妙に違ってた。
ではやっぱりレーニンの誕生日なのか? いやぁ、たとえそうでも、クレムリンが「そうです」とは言わないだろうけど、でもまんざらないでもない気がするなぁ。
だって、要するに、レーニンからこっちは、どうあれ西側奥深くの影響を強く受けてできちゃってた体制でしょう。ボルシェビキに金出したのはウォールストリート&シティ、そしてレーニン匿ってたのはドイツ系、その上、革命第一世代の指導層は80%以上がユダヤ人ってのが明らかになっている以上、ロシア人の主導したものとは言えない。
ただ、その後、ソ連は一般人の大活躍によって(大犠牲によってとも言うけど)大祖国戦争を勝ち抜いたからこそ、後の体制にその「奥の方の奴ら」の力が全般に及ばなかっただけで、まったくクリアになっていたわけではなかったのでしょう。
そして、そういう秘密があるから、それが弱みになっていたところがいろんなところで影響していたんだろうな、などとも思う。
そこから、プーチン集団が率いて国民の中に入って行って(これはある種のナロードニキ運動だったのか(笑))、大勢を整え、強くなって、外国勢力の影響を最小限にして、国民の力で憲法を変えて、ロシアをロシアにする、ってことは、言ってみれば、「レーニンにさよなら」でもあり、復活でもある、ってことでいいのではなかろうか?
そしてそのムーブメントの中で5月9日の大祖国戦争を記念する「ビクトリーデー」を迎えるというスケジュール。
■ ストルイピン
プーチンはどこかでストルイピンを尊敬していると言っていた。2012年にはモニュメントも建てているし、「ストルイピン・メダル」という報奨も創設されてる。
2012年には切手にもなってた。
多分、プーチンたちは、ここまでの約20年間に、ストルイピンの時代に改革できなかった、落ち着かせられなかったロシア帝国のことを何度も何度も考えたんだろうなと思う。どれだけの有意な人々が暗殺されていったことか。
ストルイピンは帝政末期の頃、帝国の改革に奮闘していた政治家。そうしてみれば、プーチンとラブロフというのは、ストルイピンとヴィッテのようかも。
ロシアでは、1905年前後から革命を求めるテロ行為が多発し、それを政府が抑圧的に対応するのでさらに悪化し一進一退を繰り返し、最終的に首相ストルイピンは1911年に暗殺される。
この間に非常に大きな問題になっていったのがユダヤ人問題。今日ユダヤ人陰謀論として知られている数々はこの頃のロシアで出来たものがベースだろうと考えられている。
これがロシアの保守派を刺激し、ユダヤ人一般が革命側であるかのようなことになってさらに対立が激化する(ナチとそっくり)。だけど、その2者だけが問題だったわけではなくて、ベラルーシやウクライナの主にポーランド系の大地主層というのも相当に混乱を生み出したファクターだったように見える。
ということで、プーチン政権がロシアのユダヤ人、つまりロシアと共存できる、共存したいユダヤ人とそれ以外を分けていってたのは、この亀裂が未だに重要な問題だという認識だったのだろうと思う。
結果的に、愛国ユダヤの人たちが固まったことで、この間書いたような「本当のホロコースト」問題にも手を入れられたのだろうと思うし、ロシアのユダヤ人の中にポーランンドについて非常に手厳しい人が見られるのは、この成り行きを良く知っているからなのではないのか、など思ってみてる。
「ホロコースト神話」(西側謹製)が崩れてる
総じていえば、今後、ポーランドの立場は歴史に関していえば苦しくなるだろうと思う。
もちろん、ユダヤ&英・独の手先になっていたに等しい日本も、いろいろ難しいわけですよ。知らん顔してすます気なんでしょうが。
■ グランド・カラー革命
ロシアの歴史見直しは、他国にも影響することになる。なぜなら、現在の殆どの教科書見解では、ロシアで起きた革命なる事象を、社会が進展するから当然だ、みたいなニュアンスで書いてあるから。
しかし、これは、実際には、党派Aが党派Bをぶち殺して政権を奪取していった大社会変革がベース。理論やスローガンを信じた人もいるにはいただろうけど、その人たちが正当であるように見えるのも、社会が混乱していたから。
逆にいえば、過激派の社会主義者集団は殆ど暗殺者集団だったことがままあったし、ポーランド人グループは独立達成のためにこの騒乱に乗っていったし、1905年には大した理由のない日露戦争が起こってロマノフ朝ロシアの権威に傷がつくからこそ、「新しい時代」を求める人に何か言い分があるように見えるというメカニズム。
そして、その「新しい時代」はストルイピンのようなロシアに根の張った重厚な人物であってはならないというメカニズム。さらにその先には、妥協できそうなメンシェビキではなく、もっと過激なボルシェビキでなければならないメカニズムがそこにあったな、と。
ということで、グランド・カラー革命とでもいうべきロシアの革命時代を、きれいごとのように書いてきた人々にとって、プーチン政権は渾身の「反動」と見えることでしょう。それはちょうど、ソ連があった時代、ストルイピンが反動と呼ばれていたのと同じ理屈。
■ 血なまぐさい話を書き換えたアメリカ人
で、世界中のコミュニストとその予備軍っぽい人たちは、ロシアで起きた何十年ごしかの血だらけの大変動を、「世界を揺るがした10日間」みたいな本によって、なんだか素敵なことが起こったわ、みたいに受容したか、受容したがったらしいというのを思い出しておく必要がある。
この本は、またまた出ましたポーランド系アメリカ人のジョン・リードが
リードは第一次世界大戦中のヨーロッパでロシア革命の始まりを聞き、1917年にロシアへ向かった。彼は自身の体験やウラジーミル・レーニンへのインタビューなどをロシア革命のルポルタージュとしてまとめ、『世界を揺るがした10日間』を刊行した。この書には後にレーニン夫妻(ウラジーミル・レーニンとナデジダ・クルプスカヤ)が序文を寄せ、「世界の労働者達に無条件で推薦する」と賞賛した。
といった具合。これがアメリカ(または英米)が売り物にした「ロシア革命」の元ネタみたいな感じらしい。そりゃレーニンは、ロシア帝国軍を解体に追い込み、ウクライナをドイツに売り渡すという人なわけだから、一部の人にとってはこれ以上ないほど「良い人」だったでしょう。
そして、その話は1981年にウォーレン・ベイティが主演、監督の映画となる。多少複雑な背景などもあったような気がするが、基本線は労働者が立ち上がって圧制の政府を倒しました、みたいなラブ・ロマンスで、私はこれを大分前に見たのだが、一体これは何?と驚いた。が、元ネタが名前だけは知っていた『世界を揺るがした10日間』だと知ってさらに驚いた。何、この物語、みんな信じたわけ?みたいな。
ということで、アメリカ様は不思議なことに(皮肉)、アカ嫌いで知られる一方で、ロシア革命をきれいごとにした張本人でもあるわけです。
これが1981年ということは、今から考えると、ソ連が崩れることを予感して、血なまぐさい諸々が出てくる前にこの出来事に骨格を与えようとしたのだろうか、などと思わないでもない。
わかりませんが、冷静に考えて、1つだけわかることは、今後は、one-fit-all(1つのサイズがすべてに適合する)みたいなお手軽な革命物語は流行らなくなる傾向になりそうだなということ。
まったく喜ばしい。それぞれの土地にそれぞれの歴史があって、道徳があるんだから、既存の体系をぶち壊してなんらかのシステムをインストールするとみんなが幸福になる、みたいな発想は、支持する方がどうかしてた。
本当に似たような話が 90 年代にあった。やはりプーチンの登場によって御破算になった。
だからプーチンがスターリンに重なるのですね。
ロシアは人材が豊富だと思います。そうやって危機を乗り越えてきたのですね。
Wikipediaで当時の閣僚が載ってますが、ユダヤ系の閣僚って少数派ですし、重要なポストもあまり握ってません。
https://en.wikipedia.org/wiki/Council_of_People%27s_Commissars
もっと詳しいデータのまとめはこちらにあります
https://togetter.com/li/639115
プーチンが2013年に言いました。相当有名な話のような気がしますが。
Putin: First Soviet government was mostly Jewish
https://www.timesofisrael.com/putin-first-soviet-government-was-mostly-jewish/
インターネットの動画も何度も出てます。でも何度も出てるというのは多分消されるのかもしれませんが。今適当に見つけました。この動画です。
Putin Soviet Government Was Mostly Jewish 80 85 %
https://archive.org/details/PutinSovietGovernmentWasMostlyJewish8085
改めて項を起こすかもしれませんが、要するに西側(もちろん日本も含めて)が書いてきたソビエトの歴史の中には、誤りや歪曲、といったものが多々含まれているものと考えて扱うべきではないかとしばしば思います。なぜなら、ソ連を追い出されたり、ソ連を都合よく使い損ねた人たちの視点が含まれる可能性が多々あるからです。
ロシアの中で議論中のものが比較的観点に英語圏に出てくるようになって、いろいろと変わってきたように思いますが、でも断固変えない人たちもいるわけで、だからこそ、ロシアが持ってる資料をアーカイブ化して大量に解放し、かつ、折に触れてプーチンが話しているものと拝察します。
https://www.youtube.com/watch?v=TmMhv2PikdA
タイトル「グーグルはモスクワ大学の尖塔を破壊出来るか」
パステルナークのノーベル賞受賞にCIAが関与していた。彼は偉大な詩人ではあったが、「ドクトルジバゴ」の文学性にその価値はない。受賞は最近のアレクセイビッチと同じく政治的な理由からだ。翻って最近の若者は文学に限らず、物事の本来の価値、本質が分かるだろうか。それは不可能なことだ。ソ連崩壊後、教育はサービスになり下がった。サービスは使うのも良し、使わなくても良い。以前の教育は必須であり規律であり強制されるものだった。今は「自由」だ。ロシア大統領IT問題顧問のペスコフ氏の言葉。「グーグルはモスクワ大学の権威を打ち壊さなければならない。教育は固有の民族文化の特性を排除した世界に開ける事実の受容に過ぎなくなる。即ち将来、教育は、「信頼」と「感情」を基礎とするものになる。思考は不要だ。アングロサクソン文化の国がリーダーとして残るだろう。就中、それはアメリカだ。既に現在ロシアの大学の主要な機能は、人間の教育ではなく社会化である。」彼が意図するところは、人々が集まって楽しく騒ぐことが、学び知り理解し物事の問題の本質に分け入ることよりも重要だと言うのだ。これは何に繋がるのか。カースト制への道ではないか。コンピュータ相手の安価な教育だけを受けた者と、それに加えお金を払い、ペンを使い本を読み講義を聞くという高価な教育を受けた者と。前者は、「社会化」されているので管理が容易になる。国連のある機関の報告によれば、全人類の安定的発展の為には、過剰な教育はむしろ害である。何故なら高度な教育を受けた者ほどより多くの収入を得、より多くの資源を浪費するからだ。国連という国際機関が、低学歴のものが高学歴のものに仕えるという社会を提唱している。この発想は、「スラブ人は我々に仕えるものであり、教育することは危険だ。100まで数えられれば充分であり、良きマリオネットにすることだ。」とした、ナチスに通じる。
現代の子供には現代の教育が必要だ。だがしかし、そのためにロシアソ連の良い部分を切り落とす必要があろうか。良き人間育成というのは、「創造」にある。教育は何も事実の分析とか結論を導き出すことでなく、深き精神生活、文学、芸術、音楽など人間を充実させるものだ。IT大臣、銀行社長に29歳だったプーシキンの詩が分かるだろうか。29歳の彼が人生の意味を深く考え、その答えを探そうとしたその姿を考えるべきではないか。教育の問題に戻れば、博識になることそれだけが目的ではなかろう。ブイコフという博学の物書きがいる。(彼のロシア非難、ルソフォビアこそ愛国者だ、ヒトラーこそ救国者だったはずなのに残念だとするスピーチ)彼の発言にコメントしたくない。取り上げたいのは彼の態度というかトーンだ。見下ろす態度で、聴衆が彼が正当か否かを判断することを許さない、賛同ばかりで疑念はあり得ないと。こういう類のインテリ、リベラルエリート達。彼らは上に立つ者であり、意味のある存在であり、誰よりも高等な教育を受けた者であると自分たちのことを考えている。これらがエリートだろうか。元来、エリートは博識ということではなく、自分と他人の命を高貴な魂を以て受け入れられる人のことだ。エリートは共に苦しむことができなければならない。エリートは責任を持たなければならない。エリートとは、その周りの人々を愛さなければならない。そうすれば人々からも愛され認められるだろう。エリートとは社会の「軸」になる人のことだ。
ナチスの捕虜となりマイナス40度の中ホースの水を掛けられ氷像と化したカルビシェフの最期の言葉。「皆さん、祖国のことを思ってください。その勇気があなたを見捨てません。」今ではこれは時代錯誤のように思われているかもしれないが、ひとこと敵への恨み節もなく自分の存在の意味を綴った言葉を考えて欲しい。これこそ「軸」だ。ビデオやカメラやマスコミや大衆などのためにではない、これは神との対話だ。最近の例。ヌルバガンドフ、警官でイスラムテロリストに処刑される直前の言葉。「兄弟よ。仕事しろ。」フィリポフ、シリアで敵に囲まれ自爆した兵士の最期の言葉。「これはお前たち(同志)の為にだ」彼らはこの言葉を誰かが聞いてくれて褒めてくれることを期待しただろうか。否。これこそ自分と人々に責任を持つエリートだ。人生で最も辛い瞬間に信念を曲げずに人々と共に居られる、これこそエリートだ。哲学者イリインの言葉。「何のために死ぬことできるかということの為に生きなければならない」これがエリートの証だ。最も肝心なことは、人々がその人物をエリートと見做すかどうかだ。
この意味でプーチンはエリートでしょう。先月からタスによるインタビューが小出しにされています。就任20周年ということで、20の質問に答えるという番組で、今日現在まだ10問目です。
https://yandex.ru/efir?stream_active=blogger&stream_publisher=voditem_channel_id_4b7b0b77d9bae9de8e1d845e0a02cb61
字幕付きなのでロシア語学習に最適です。
ルナチャルスキーの「革命のシルエット」という本があります。日本語訳もされていました。これはロシア革命を担った人物―十人前後だったと思いますが―の回想を綴ったものです。現在手許にないのですが,若い頃にこれを読んだ時,それらの人物の大半がユダヤ人だったことに衝撃を受けたことを覚えています。そしてその多くがスターリンによって粛清されました。その時にこれは何かがあると思っていたのですが,ようやく最近になってその疑問が氷解しつつありますが。
なお,この本に書かれている人物で思い出せるのはスベルドロフ,カーメネフ,ジノビエフといったところで,特命希望さんがお示しの Wikipedia のリストの人物は一人もいなかったと思います。
多分,何かがあるのでしょう。追求したいと思います。
プーチンの「80-85 % がユダヤ人」の発言の根拠はこれと思われます。この引用文献 4 に詳細が書かれているようです。
http://www.orthodoxchristianbooks.com/articles/794/-russian-jewish-revolution/
「革命のシルエット」に登場したのは 10 人。レーニンを含めて 7 人がユダヤ人です。著者のルナチャルスキーはユダヤ人ではありません。この数からしても,ロシア革命におけるユダヤ人の存在感がいかに大きかったかがわかると思います。
https://www.marxists.org/archive/lunachar/works/silhouet/
ロシア革命においてユダヤ人が重要な役割を果たしたことはエルサレムポストも認めています。
https://www.jpost.com/Magazine/Was-the-Russian-Revolution-Jewish-514323
ソ連時代貧しい生活だったから、社会主義革命を導入した人々に対して良い感情が持てないだけなのでは。
いや、普通にロシア/ソ連/ロシアのアーカイブスと関連資料でトラックできる範囲のものに基づき発言しているでしょう。プーチン政権のスタイルはずっとそうですから。
上級の人たちの指揮命令とか会議の内容とか残っているようですから、他の資料との関連で蓋然性が高い線を割り出すといったことにそう苦労があるとは思えないです。
チェーカーとかのエライ人たちがスターリンに追放されて西側に逃げ延びてといった人たちの線も冷戦時代には噂だったものが、だんだん確定情報になっているらしくはあります(ロシア語を読める人たちの話からすると)。
前哨戦としては、ソルジェニーツィンのTwo Hundred Years Togetherが2000年代に出版されてますので(この本の全部が正しいというのは間違いだとしても)、ユダヤ人とロシア人の問題は当事者間では以前とは比べものにならないぐらい風遠しがよくなっているんじゃないでしょうか。
問題は、ウクライナ&ポーランドとユダヤの方だと思われます。で、最近はこっちに精を出している、といったところ。
いや,おっしゃる通りで,私も投稿してからアーカイブスが根拠のはずだと気が付きました。ダグラス・リードの本の中の記述(1920 年の資料に基づくもののようですが)はそれに符合しているということですね。
ソルジェニーツィンはソ連で「反体制派」であった頃は西側の寵児でしたが,アメリカに移住していろいろ発言していくうちにアメリカ上層部から睨まれるようになり,ソ連解体と共にロシアに帰りました。西側のダブルスタンダードの典型例を示すと共に,アメリカ上層部のユダヤ勢力が触れてほしくないことをソルジェニーツィンが書いたということも示唆しているようです。