なんでダムの話にこんなにネトウヨが喰らいついているのだろうかと不思議に思っていたのだが、不思議に思った私はボケていたのだなと昨日の宗純さんの記事を読みながら納得した。
遊水地だった新幹線車両基地 (^_^;)
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/22cad9e69e078f6c4b7e896a5c683a9a
治水事業としてダムじゃなくて遊水地を目算にいれるべきだろうと訴えた田中長野県知事を追い出してダム作りの方に戻っていったことと今回の千曲川の無残な姿の関係性点を蒸し返されたくない派が、ダムは大事だ、ダムは大事だ、これこそ治水だとをふれまわらせているということのようだ。
田中さんの脱ダム宣言はここにまだある。私は後述するようにこの「脱ダム」」という言葉使いが誤解の素になってる気がするのでこれ自体はあまり好まないが。
「脱ダム」宣言
https://www.pref.nagano.lg.jp/kasen/infra/kasen/keikaku/iinkai/datsudam.html
■ 治水と利水
多分、作為によってこうなってるんだろうけど、治水と利水、つまり洪水対策と水+電力の供給ではダムに求められるものが真逆だという基本のキみたいなところが、知ってる人にだけよく知られていて、知らない人にはまるで理解されていないことが結構大きな問題のような気がする。
洪水対策としては空っぽの器に雨が降るのが望ましく、利水(水+電力)にとっては満水の器こそ望ましい。多目的ダムというのはこの両方をやろうという話なので、そこで運用上の規制とか取り決めとかが出てくる。
だからそこにフォーカスすることが望ましいのではないのか、と思うわけだが、現状はあまりそうはなっていない。
こういった話ですね。
かつての多目的ダムは「予備放流方式」が主流で、これは治水容量と利水容量が重なっていて、洪水が来ると予想されたら、水位を下げて治水容量を確保するというものでした。ところが、空振りになって、利水の貯水量が確保できない事態になることがしばしばありました。そこで、昭和40年代頃からでしょうか、「制限水位方式」といって、洪水調節期(利根川の場合は7~9月)は水位を下げて、いつ洪水があっても、ダムに洪水を貯留できる方式に変わりました。しかし、そのことにより夏期の利水容量は必然的に小さくなりました。
例えば、現在、本体工事を進めている八ッ場ダムの場合、ふだんは利水容量が9000万㎥ありますが、洪水調節期(7~9月)は治水容量6500万㎥を確保するため、利水容量は2500万㎥になります。渇水が心配されるのは主に夏期ですが、「制限水位方式」では肝心の夏期の利水容量が少なくなってしまうのです。
■ レトリックでひっかかってる
まず、どうも話があっちゃこっちゃのままなのは、
ダムは灌漑等の利水にとっては良いアイデアだが、台風と秋雨前線が絡んでもたらす豪雨のような場合にはむしろ凶器にもなり得る存在だ(放流しないとならないから)。
といった現実を拒否している人なんかがネット上に見られるのが現状だということを踏まえて話を揃えていく人たちがあまりいないというあたりが日本の問題って気がする。いや、言ってる人は言ってるんだろうけど、ネトウヨはともかく、他のライトな層にも全然伝わってないと思う。ダムは治水の万能の最善策ではないのだ、という点で認識を揃えるまでが結構大変そう。
むしろ、
ダムは治水にとって重要だ
という言論が詳述されることなくまかり通っている感じがする。
これは最初に解かなければならない結び目ではなかろうか。
なんであれダムを作りたい派は話を進行させたくないから、ダムは治水にとって重要だ、そのダムを敵視する奴らは酷い、というロジックで来てるんじゃないですかね。日本を大事に思わないリベラル、みたいな方向性。
(私は「ナチ・リベラル」にくっついてる人たちは馬鹿だとは思ってるが、本心から日経のように日本を破壊して階層化したいと思うほど根性の入った人たちだとは思っていない。)
「脱ダム宣言」という語もこの流れでは悪く働いている気がしちゃう。田中さんは問題の背景の上にこの語を言っているけど、言葉が独り歩きすると、ダム全般を作らせないと言っているような感じになる。
さらにやっかいなのは、ダムのない河川こそ素晴らしいといった、治水対策とはまた別の理想を追いかける人なんかが登場して、自然との共生です、護岸工事がない浜があれば素敵なのに土木のせいでこうなのよ、みたいなあんまりしっかり考えてない方向にいったり、土木予算で潤ってきた自民党政治批判にいったりする。それが詰まったのが「コンクリートから人へ」でしょうか。
私はこの2つをスローガンとして掲げたいわゆるリベラル派の人たちが信用を失ったのは無理もないのではないかという気する。
なぜなら、現在の日本人は日本列島という災害リスクの宝庫のようなところを治水灌漑事業によって生き抜いてきた人たちの子孫だから、ボトムラインとして治水・灌漑対策の重要性を訴えない限り信用は得られないのではないのか、と思えるから。
もちろん、田中さんにしても民主党執行部にしても、別に公共事業を放置して流れのままに死ぬ奴は死ねといっていたのではなくて、むしろその逆に、人命尊重の方から見て様々な事業計画を見直しましょう、すなわちこれまでの上から金の都合でモノを作って儲けてきた自民党政治を見直しましょう、という話だったんだと思いますよ。
そもそも、公共事業に当たられる金額は今の安倍政権より民主党時代の方がまだ多かった。にもかかわらず、イメージはそうはなっていない。
つまり、目標を訴える際のスローガン、議論の立て方が有効なものであったとは思えわれず、むしろ、自民党という儲けるための共同体みたいなところに利益をプレゼントしているような恰好になったと思う。
ということで、まずもってレトリックにひっかかって流れない環境を改善して進行させないと話にならないって感じがする。言論上のふわっとした真実めいたいものから、地上の事実に引き戻すって感じ。
上で見たような、多目的ダムであるが故の運用の問題にたどり着いて見ている人にとっては、
ダム緊急放流、水位調節は実施されず 国交省、対応調査へ
台風19号で茨城など4県と国は12日夜から13日未明にかけ、治水機能を持つ6カ所のダムで満杯近くになった水を緊急放流した。国土交通省は決壊を防ぐためやむを得なかったとの見解だが、昨年の西日本豪雨の教訓として有識者から提言されていた事前の水位調節は、6ダムとも実施していなかった。
https://www.kanaloco.jp/article/entry-201951.html
といったことは大きな問題なんだけど、ここまでたどり着いていない人たちにとっては、ダムの人は一生懸命やってるのにサヨクが文句を付けているぅ、ぐらいになっちゃうんだと思う。