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ドイツとウクライナとブレスト-リトフスク条約

2014-09-09 00:32:14 | 欧州情勢複雑怪奇

クライン孝子さんと水島さんのお話を聞いていたら、クラインさんは、バルト3国はロシアを怖がってて怖がってて、なにしろいろんなことがあったから、気持ちわかるわ~とおっしゃる。

【言いたい放談】大国と小国の被害者意識、内閣改造人事への嫉妬[桜H26/9/5]
https://www.youtube.com/watch?v=RQpKU2Pa9L0&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg&index=12

どうもこの方を見ていると、ああやっぱりドイツ右派はナチス路線踏襲なんだなと思ったりする。

ナチス路線といってもヒトラー時代そのもののことじゃなくて戦後の反共路線が採用した基調のこと。一言でいって、諸事情抜きに、悪いのはソ連またはロシアだという視線が顕著なのだが、具体例に乏しい。

で、ここでスコーンと抜いているのは、そもそもソ連という異様な政体を作るにあって非常な貢献をしたのはドイツ参謀本部ですよ、という点。

第一世界大戦末期、ロシアを戦列から離そうとしてレーニンとひと塊のボルシェビキと資金を投げ込んだのはドイツ参謀本部。その後ボルシェビキが要するにロシアを乗っ取り、そのボルシェビキと組んで1918年ブレスト-リトフスク条約を締結。今のバルト三国、ポーランド、ウクライナのドイツへの割譲を約束させた。つまり、一瞬、ドイツ領にしちゃったわけですね。まさしく現在もめているその部分なわけですよ、はい。



しかしドイツは結果的に敗戦し、ベルサイユ条約によってブレスト-リトフスク条約は反故にされた。ベルサイユ条約はドイツに厳しいものだったというけど、当時は、ブレストリトフスク条約に比べれば緩いんじゃないの、と外交官たちが言ったと言われているそうだ。

その後ヒトラーが出てきて、ヒトラー政権下でまたまたバルバロッサ作戦なるものすごい作戦でロシアを攻めた。

この経過から見れば、ドイツの東方侵略にかける情熱がわかるというもの。で、このテーマは研究されるべきだろうと思うんだけどもう一つ良書がみつけられない(ただし、経緯事態はよく記録されているといっていいんじゃないかと思う。イギリス人にとって興味深いテーマだから出版物も少ないわけではない)。

また、ヒトラーが中央部分(モスクワ)ではなくて、ひたすら南部(ウクライナ)に拘ったのもブレスト-リトフスク条約を考える辻褄があうのかなと思ってみたりもする。軍マニアの人はここで理屈がつけられなくてヒトラーはバカだったってことになってるけど、そうじゃないんじゃないのか、というのが私の考え。

また、成り行きから考えれば共産主義政権を作るのに肩入れしたのはドイツなんだから、その後の世の中の揉め事の種を撒いたのはドイツとウォールストリートのユダヤ人の両方ということもできる。

それなのに、ヒトラー時代はユダヤ系とスラブ系が害悪ってことになって、そこをターゲットにすることでドイツ国内をまとめて、結果的に東方を侵攻する心理的な基礎を作っていったといえるでしょう。このへんのプロパガンダが後年批判の対象となる。

しかし、よく見ればわかる通り、ボルシェビキに政権を取らせて広大な領土を割譲させたわけで、共産主義者とお金持ちユダヤ人と結託してロシア人を苦しめ、あわよくば広大な領土を手に入れていた、つまり、仕掛けたはの紛れもないドイツであって、逆ではないんだけどね。

(スラブ人蔑視は、仕返しされることへの恐怖だろうか?)

■ ブレストリトフスク条約再び?

で、時が経って、ソ連が崩れると、バルト3国、ポーランドはEUに入ることとなり、最後にはウクライナをEU側に引っ張ろうとして騒ぎになった。基本的にはアメリカのネオコン+介入主義者の仕業だろうとは思うけど、ドイツの態度も相当におかしかったことは事実。少なくとも昨年11月にロシアかEUを排他的に選択しろというに等しい、当時からなぜそこまで・・・と言われていたEU連合協定をウクライナに飲ませようとした時、ドイツは知らなかったなんてことはないでしょう。

で、そこからいろいろあったわけだけど、今回のウクライナ問題というのは、第一次世界大戦から100年たって、で、ドイツさんどうするのよ、とドイツの立ち位置を見る機会にもなったのかと思わないでもない。

つまり、ボルシェビキだのネオナチだのを使って革命騒ぎを起こして、その政権と自分たちにとって都合のいい条約を結ぶ、ブレストリトフスク条約をまたやりたいんですか?ということ。

で、結果として、ドイツは、ミンスク会議の前に、メルケルがウクライナの連邦化に言及。急速に事態が鎮静に向かったように見えた。問題はドイツだったんじゃないのかな、と思いたくなるわけです。

ウクライナ危機:ミンスク会議を前に、ドイツ「連邦化しかないよ」

もちろん、70年前と同じ資本が参加してるわけじゃないと思うし、国民の考え方も変わった。だけど、どうしても出て来る過去からのしがらみというのはあるのかもなと思ったりもする。

ひょっとしてネオコンというのはドイツ資本のユダヤってことなのか?などとも思った。もともとロシア帝国に食い込んでいたのはフランクフルトのユダヤ人というのが定説だと思うし。

■ 欧州情勢複雑怪奇

100年前も70年前も欧州情勢は複雑だと思う。でもきっと欧州から見たら東アジア情勢だって複雑なんだと思う。単純に知見が及ぶか及ばないかの差があるだけじゃないのかな。

で、日本ってもしかしたらヒトラーのプロパガンダにひっかかったのかなとちょっと思ってみたりもする。まだ考えは定まってないけど。

というのは、第二次世界大戦の欧州方面の枠組みは、1939年に決まったわけじゃなくて、基本は第一世界大戦の踏襲だったんじゃないでしょうか。

イギリス、フランス、ロシア(ソ連)は1でも2でも組んでいたし、アメリカは両方の場合でだいたい決着がついた頃出て来る。

(100年間で3度目のウクライナ問題でも、フランスは国民戦線、イギリスはUKIPがロシアじゃなくてEUの侵略が悪いと叫びEUを牽制していた。EUをドイツとするなら、またまたここでも協商ですか、みたいだった)

つまり、いずれにしてもドイツをなんとかせんといかん、というのが協商側の問題意識だったんじゃないでしょうか。もしくはドイツ+その背後の資本関係。

そこに日本がふらふらっと迷い込んだ、という感じが拭えない。そもそも三国同盟を結んでドイツと一緒に何をしようとしていたのか謎すぎる。

日本の保守派というか右派の人たちが、ルーズベルト大統領が日本を戦争に巻き込んだんだというのを強く主張されているけど、その目標って何なんでしょうかね。いや真実は真実でいいんだけど、別にアメリカ人は知ってないってほどじゃないと思うんだけど、なんでそこに拘るのかが私はわからない(いや、悪いっていうんじゃないです)。

私は三国同盟を結んだ時点で既にこの構図に入ってしまってるので、いずれにしても引っかけられた気がしないでもない、ぐらいの立場かなぁ。

結局、今となっては欧州戦線よりアジア戦線の方が実は複雑かも。なにしろ、欧州戦線は各プレーヤーが齟齬はいろいろあってもかなりの分量の文書や回顧録を出しているが、アジア戦線は日本も含めてかなり曖昧なまま放置されているのでさらに疑問が解けない。


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