ご飯の支度をしながらテレビを付けていたらローマ法王が広島に行ったとかで、なんだか気持ち悪いほど恭しい表現を使いながら中継をしていた。
あたかも、ローマ法王が平和の使者か何かのように扱っていた。これはちょうど、オバマが平和の使者であるかのような設定だったのを思わせる。
オバマは悪魔の中でもさらにたちの悪いとんでもない奴だったことはここで何度も繰り返したのでもうやらないが、ローマ法王だって似たりよったりでしょうがとしか思えない。
というか、バチカンはナチ側、CIA側だから、わざわざ、お前らゆめゆめ俺たちから離れることなど考えるなよ、というために来日したのかなと思ったりもした。日本とはナチ仲間だよね、要するに。
で、それはそれでいいんだが、日本のリベラル側という人たちの態度が問題。テレビや新聞の主要部分というのは基本的にいわゆるリベラル側からの指令を受けていると思われるのだが、ここらへんは、一体全体、なんの理由でこの人をそんなに恭しく迎えるわけ? 天皇に対する姿勢もおどろくべき恭順ぶりで、それにも呆れたが、ここでも同じだ。
NHKは、歴史的に日本で「法王」と呼んできた人を、突如、「教皇」とすることにしたらしい。歴史業界は大変だね、これ。
【お知らせ】今後は「ローマ教皇」とお伝えします
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191122/k10012186861000.html
■ 完全な西側化を目指しているのか
要するに、あれか。現在の日本の支配者層は、日本を西側ストラクチャ―に完全に入れよう、と発想してはるんでしょうか。西側とは、要するにWestern、つまり、西方教会のことだと言っても過言でないですからね。
つまり、この話の続き。
渾身の冷戦護持派大勝利であるらしい日本
日本は、MRAで作った枠組みを開けてみることはせず、このまま、全部ファシズム側に入る、その締めの儀式が法王へのおべんちゃら、みたいな感じか。
香港とアンチ運動の限界
バチカン万歳というのはNATOに入りたい、そして国連常任理事国になりたい、みたいな話と通じてると思う。西側の名誉ある一角をしめいたいという願望ね。
気持ち悪いが、いやしかし、あり得る。
■ 問題含みのバチカン
で、この西方教会を私が根深く怪しいものとして見ているのは、要するに、ここが極端に侵略的だというのが近代史の裏面史みたいなものだろうと思っているから。
現在の西方教会は、欧州北方で教会離れが進んだ後に、事業としてイエズス会を立ち上げて世界制覇に乗り出した教会なんだからまったく不思議ではない。そして、ここまで何の反省もないというのもなぁ、って思いますね、ほんと。
現在ウクライナでも、またまたカトリックがかかわっているであろうことが見えてくる。東方教会を潰そうという意図がやまない。
ポーランドあたりをカトリックにしたのも戦略の一環。ここらへんはスラブ人地域なのでナチュラルに東方のコンスタンチノープル由来の宗旨だったところを、儀式そのままでいいから、お前は俺の下に付け、という設定をした。なにその詐欺みたいな話?ということなのだが、冗談ではない。それが、東方典礼カトリック教会。
ロシア正教会、コンスタンチノープルと断絶
バチカンは、そんなに世界の平和を祈りたいのなら、まずは旧ユーゴ地区に行って過去の罪状を詫びたらどうだろう?
あるいは、マフィアめいたい奴らが跋扈する中南米にいって、たしなめたらよかろうに、そういうことはしないのがバチカン。
■ 断固拒否してやる
いやしかし、個人的には本質的にどうでもいいといえばいいんだが、それでも、こうやって新たな天皇をもちあげるみたいな主流メディアの奇妙な策略が見えた場合には、もうこうなったらすべて断固拒否の姿勢を持つしかないな、と改めて心に誓うのみ。
■ 日本の宗教はどうなっちゃうのか
しかしのかかし、全般的にいって日本人の精神生活はどうなっちゃうんだろうかという不安はありますね。日本の場合、寺は明治の頃からキリスト教に結構好意的なところ多いし、関西を中心に実入りのいい寺の娘はキリスト教系のお嬢さん学校に行く傾向があるというのは、笑えないほど普通に見られたりするし・・・
井上章一氏がこのへんのところをとても鮮やかに描いてらっしゃる。
日本ではキリスト教は受け入れられなかったと言われるけど、風俗の中でものすごく受け入れられてるやないですか、というお話。そうなんですよ。私もこの疑問を共有してます。
講演Ⅱ 日本の大衆文化とキリスト教
井上章一 国際日本文化研究センター 教授
(講演要旨)
日本社会は、キリスト教をうけいれなかったと、よく言われる。それが、宗教学の、またキリスト教研究の一般通念となっている。こういった学問は、しかし大衆社会におけるキリスト教風俗のひろがりを、見ていない。クリスマス・イヴを、デートのクライマックスだと考える。結婚式は、ホテルのチャペルで擬似キリスト教風に演出したいとねがう。そんな人びとの想いをとらえそこなっている。当日は、大衆社会へ目をむけることで、既成の学問に反省をせまりたい。
国際日本文化センターの映像ライブラリで、講演者名か講演タイトル名(上の太字)を入れて検索すると、動画が視聴できます。
http://ibs-web.nichibun.ac.jp/lapis/search.do
じゃあ神社はどうなのかというと、こっちは日本会議に乗っ取られてあられもない方向に引っ張られてるし。
一体全体どうなっちゃうんだろうかといった状況ですね、ほんと。
で、その先代のぼんさん、ボーイスカウトの地域のリーダーで、青少年を組織して、あの「南軍」みたいな制服で、河や海でよくキャンプしてました。ボーイスカウトの制服って田舎ですごく目立つんですよね。手旗信号の練習もやってたみたいで。なんの団体だろうと子供のころは不思議でした。
しかも寺の経営は抜群でりっぱな伽藍を建て替えました。
私ら檀家衆の宗教の年中行事というのはすごく厳格で、2月は寒行5月は巡礼のお接待、7月は虫よけの護摩供養とか農家の関係するいろいろあって、結構大変です。
でも最近は参加は年寄りばかりで、10年もすれば、かなり廃れるのではないでしょうか、それでも葬式は簡略化されつつなくならないだろうし。
日本人の宗教心って結構あると思います。でも仏教にしろキリスト教にしろ教義は二の次でご利益中心というか、娯楽化していてなんでも受け入れて土着化しているのではないだろうか、換骨奪胎というか。うまく説明できませんが
私は信心が全くないのでえらそうなことは言えないのですが。
某民放のニュースでは、フランシスコ法王が今回長崎で行なった核廃絶スピーチの模様を紹介していましたが、核兵器の悪を訴える法王の姿になぜか「赤の広場」での対独戦勝記念軍事パレード映像が一瞬カットイン。アメリカの核実験とか戦略爆撃機とかの映像は流さないでおいて、なんとあからさまな印象操作かと呆れました。
>西方教会は、欧州北方で教会離れが進んだ後に、事業としてイエズス会を立ち上げて世界制覇に乗り出した
その暗部をカバーするための「史上初の新大陸出身法王」ということかもしれません。
結局、この世界観は変わらないってことか。
ちなみに、Wikiによると、軍政下のアルゼンチン管区長であったベルゴリオ枢機卿(現ローマ法王)は、解放の神学の賛同者であるイエズス会司祭の活動を左派の社会運動として懸念を軍政に伝え、結果この2人の司祭は5か月間拷問を受けた。
南米ではびこる圧倒的な社会不正義に対して、仮にも宗教者だったら、何をなすべきだったのか、解放の神学が左寄りになるのは至極もっともなのではないかと思う。