「突破」された民主主義のセーフティネット
今回の問題の総まとめ的な動画。
【突破】された民主主義のセーフティーネットコンベンション
宮台さんの最初の方のサジェスチョンを入れて、突破された民主主義のコンベンション、としてみた。コンベンションとは要するに慣例、長い時間をかけて保持された共通の約束事、前提みたいなところ。
これを使って神保さん、宮台さんが何をおっしゃっているかというと、これらの慣例を突破する奴がいるとは想定していないところで、安倍ポン政権はやっちゃった、と。それが現在の事態である、と。
こんなの憲法に書いてないもん → やっていい、
と短絡的に読んでしまう人たちのことで、そんな人たちが出てくるとは日本の議会制民主主義を中心とした統治機構は想定しておらず、さらに、幸いなことにそういう人も出てこなかった(または出てきそうなところをみなさんで塞いでいたのかもしれない)。
ところが、憲法の解釈が邪魔だなと思ったら、そうじゃない解釈をしてくれる人を内閣法制局長官という非常に重要なポストにつけちゃう。人事権の濫用だが、確かに、そんなことはおそらく法律に書いてないと言えば書いてないのだろう。
マスコミも大本営発表機構にしちゃった。
等々と、安倍ポングループは次々に前提を突破していった。だからこそ最後に野党議員たちがあんなにも抵抗した、という話。
非常によく構成されているし、関係する国会答弁も短くまとめられてとても見やすかった。視聴をお奨めします。
■ 思いつき
私は前のエントリーでこう書いた。
制圧オペレーションを敢行して、その場を制圧して「勝ちました」という発想を議会は想定していない。
だから宮台さんたちがおっしゃっていることにとても賛成。あり得ないことをやっている。そりゃ論理的にはなんだってあり得るんだけど、社会は数々の前提で成り立っていて必ずしもみんな文言化されているわけもないしそんなことは不可能。しかし、書かれていないからといって破っていいわけではないという事態はある。
しかししかし、議会に関しては十分に憲法と法令がなんであるかを想定していると思う。例えば、議会がなぜ必要なのか。それは話し合うためであり、論点を尽くして納得して事にあたるためだ。それを規制するのは審議時間ではない。論点が尽くされているか、だ。だからこそ数多くの法案が審議未了で流れるのだし、それではまずい予算案及び条約と別の処置が施されている。(これも憲法が規律している)
従って、場を物理的に制御し相手の反論を防止し、それをもって審議は尽くされたという事態を是認することは憲法および法令の想定を大きく逸脱しており、議会の本質から言ってあってはならない。
マジで、今回制圧に参加した議員は全員落選させなければならない。というか、それを指導した人を参議院は著しい不品行の故をもって除名処分にしてもいいぐらいだと思う。
私はどうも、安保法案そのもの、集団的自衛権そのものよりもこっちにずっと深く怒りを感じているらしくある。
西洋哲学史 3―古代より現代に至る政治的・社会的諸条件との関連にお 近代哲学 | |
市井 三郎 | |
みすず書房 |
西洋哲学史 1―古代より現代に至る政治的・社会的諸条件との関連における哲学史 (1) | |
市井 三郎 | |
みすず書房 |
付随的違憲立法審査権って、憲法秩序が確立されている国においては個別具体的事例を争うので間に合う、って意味じゃないかなと。
憲法秩序が確立されていれば、違憲立法を持ち込んだ時点で、そういう突破者を許さない、少なくとも紛糾する。
日本の場合、だから憲法秩序が確立していないのではないのか、と言いたいところなのですが多数の学者さん、普通の人が声を挙げている通り、さすがに70年もやってれば確立はしていると言える状況には一応あると思う。
今回のは、なんといっても首相自ら違憲立法の首謀者ですから、どういう国でも通常の手段では防止はできないと思う。
憲法裁判所による抽象的違憲立法審査って、ドイツが名高いですがこれはつまり実は身にあっていないので事前審査が持ち込まれたって意味なんでしょうね。日本も素直にこれにしてたらよかったような、しかし、混乱の上で人々の血肉となる方がいいような・・・。