史跡・山形城跡 二ノ丸東大手門。山形市霞城町(霞城公園)。
2024年9月8日(日)。
山形市郷土館を見学後、二ノ丸東大手門を通って山形城跡(霞城公園)を出て、南東方向徒歩5分ほどにある聖ペテロ教会へ向かった。
二ノ丸東大手門は、山形城の正面玄関ともいうべき重要な門である。最上氏時代の東大手門は、外枡形とよばれる堀に張り出す形式であった。その後、二ノ丸を拡張する改修工事によって、現在の内枡形という形式になった。
江戸時代になると、本丸と二ノ丸が城郭の中心だった山形城にとって、城や門の持つ役割も大きく変化し、枡形(広場)を中心に櫓門、続櫓、高麗門、土塀で構成されたこの東大手門は、藩主の威厳を民衆に広く示す役割も担うことになった。
東大手門は、江戸城の城門を彷彿とさせるほどの規模の大きさを誇っており、江戸時代中期(堀田氏時代)の資料をもとに1991年に復原された。
日本聖公会・山形聖ペテロ教会礼拝堂。山形市木の実町。
山形市街の中心部に位置する木造の教会堂で、登録有形文化財である。
聖公会は宗教改革の中からイングランドで創生した英国国教会(英国聖公会)をルーツとする教派である。1887年(明治20年)日本における英国国教会と米国聖公会の合同により、日本聖公会が設立された。
1600年リーフデ号で豊後国に漂着した聖公会の信徒であるウィリアム・アダムス(三浦按針、日本に初めて来たイギリス人)は徳川家康の外交顧問と通訳を務めた。1856年米国聖公会信徒のタウンゼント・ハリスが初代米国総領事として下田に来航し、神奈川や長崎の居留地での布教を促した。
日本で宣教を開始したのは、米国聖公会の宣教師であるジョン・リギンズとチャニング・ウィリアムズが長崎に来日した1859年で、国内に279の教会を持ち、信者数はおよそ48,500人で日本におけるキリスト教徒全体の約5%を占める。立教大学、平安女学院、桃山学院、聖路加国際病院、滝乃川学園、エリザベス・サンダースホームなど、200あまりの関連施設を持つ。
日曜礼拝が10時30分から行われているので内部見学できるかと、10時50分ごろに着いた。教会堂には珍しいミントの屋根の色彩に驚かされた。教会は閉まっていたので、行事板を見ると、裏の牧師館で開催と記してあり、外観しか見学でなかった。
聖ペテロ教会堂は、木造平屋建、鉄板葺、建築面積187㎡、塔屋付で、設計は英国人宣教師ウィリアム・スマート。ガーディナーが設計指導した。
屋根勾配が急な切妻造で,北妻西側に塔屋を設けている。外壁は下見板張で,窓のほとんどを尖塔アーチ型とするのが特徴。小規模ではあるが,外壁立面,内部のトラス架構など意匠を凝らした建築である。
当教会は1905年に宣教開始した。教会堂は1910年にマキム監督に聖別された。聖堂にスクリーンと浸礼槽(現在はあまり使用されていない)があるのが特徴。
ジェームズ・マクドナルド・ガーディナー(James McDonald Gardiner、1857年~1925年)。
アメリカ人建築家、教育者、宣教師。米国聖公会から日本に派遣され、立教学校、立教大学校(現・立教大学)で校長、教員を務めた。東京築地にあった立教大学校の校舎群や、聖堂などを設計する。立教大学の創生期において、校長、教員のみならず、建築士としても活躍し、米国式カレッジの設立と運営に大きく貢献した。
校長退任後は、本格的に建築家を専業とし、日本各地で設計を行う。京都の聖アグネス教会や京都聖ヨハネ教会(博物館明治村に移設)などの教会建築のほか、横浜に移築されている外交官の家など、邸宅の建築も多く手掛けた。
福島聖ステパノ教会。福島市。
1905年に現在の教会が建てられた。設計は英国人宣教師ウィリアム・スマート。設計には米国出身の建築家・宣教師ジェームズ・ガーディナー(1857~1925年)の指導があった。
NHKの朝ドラ「エール」のロケ地になった。
明治村 聖ヨハネ教会堂。愛知県犬山市。
明治40年(1907)ジェームズ・ガーディナーの設計により日本聖公会京都五条教会堂として建設された。中世ヨーロッパのロマネスク様式をベースに、細部にゴシックのデザインをまじえた外観が特徴。
十字形の平面になっている2階の会堂内部は、小屋裏をあらわし、柱などの骨組みが細く見えることで、広さを感じさせる。
このあと、さらに南東方向へ歩き、山形市文化財展示室を見学した。