マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

核なき世界へ

2009年09月25日 | 身辺雑記

 今日の朝刊の一面、『オバマ米大統領が主宰する国連安全保障理事会が24日午前、ニューヨークの国連本部で開かれた。核不拡散条約(NPT)で核兵器の保有が認められている米ロ英仏中の5カ国すべての指導者が、安保理事長国の米国が提起した「核のない世界」を目指す歴史的な決議を全会一致で採択した』と報じていました。
 記事は「安保理が決議で”
核なき世界”を国際社会に呼びかけたのも、初めてのこと」と続きます。
 
 「核廃絶」と言う、
世界の多くの人々の、特に被爆国日本の願いが、国際的舞台で陽の目を見ないことを無念に思っていました。その決議はほんの一歩かも知れませんが、”最初の一歩”である事を願わずにはいられません。
 「核廃絶」に対して必ず語られたのが「核の抑止力」や「核バランス論」。かって「核廃絶」を主張する者は国際政治力学の”いろは”を知らぬものとの烙印を押され、せせら笑われる様な雰囲気がありました。少しずつ雰囲気が変わりつつあるようです。
 アフリカ・ウガンダのムセベニ大統領は語ります「核を持つ国があることが、他の国が核を持ちたがる主な理由なのは明白。いくつかの核保有を認め、他の国に持つなと言うのは論理的ではない」私の考えにぴったりの発言です。

 偶然にも「核」に関係する情報が他に2つほど届きました。9月22日のブログ「五百羅漢寺」を読まれた友人のBさんからは、こまつ座公演「紙屋町さくらホテル」のパンフレットが送られて来ました。その劇の一場面、時は昭和20年5月15日の午後6時~2日後の17日午後9時まで、所は広島市紙屋町の「紙屋町さくらホテル」。台本が手元にありませんから確かな事は言えませんが、そのホテルに、8月6日に被爆した「桜隊」が宿泊し、迫り来る運命を知らずに過ごした2日間が演じられたのではないでしょうか。
 
 このパンフレットは「桜隊の運命」と言う特集を組んでいました。こちらの特集には衝撃を受けました。8月6日桜隊の寮は崩壊、隊員全員生き埋めに。しかしその地獄から、丸山、高山、園井、沖だけが脱出できたのでした。脱出した4名は更なる地獄を味わいつつ、丸山定夫は敗戦の翌日に、高山象三は8月20日に六甲で、園井恵子も漸くたどり着いた六甲で8月21日に、仲みどりは、破れたシーツを身にまとい、東京の母のもとに生還後の8月24日に、亡くなったとありました。皆、もの凄い地獄の苦しみの中、命途絶えたとありました。

 もう一つは赤旗日曜版「核持ち込みの日米密約」について。選挙後の9月10日の党首会談で、共産党志位委員長は、党が独自に入手した、「密約」に関する文書を、民主党の鳩山首相と岡田外相に渡したとありました。この事実も両党の歴史の中で多分初めての事。知りたいのは真実。それを明らかにする文書に到達して欲しいものです。
 
 後世から見て2009年が、世界の流れや日本の政治のターニングポイントと評価されるなら、今、私達は歴史の転換点の紛れもない目撃者。新聞をはじめ各種メディア情報をしっかり受け止めたいと考えています。