マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

NNNドキュメント「原発爆発 安全神話は何故崩れたか」(その3)

2011年06月24日 | 映画・美術・芝居・落語

 6月22日のブログの続きです。
 ②見過ごされた警告
 (3)制御棒脱落等の重大事故・・・福島原発事故以前、原子炉内部等で起こっていた重大事故について、公の場で意見を述べる機会を殆ど与えられなかった、現場の技術者達。原発震災後、漸く参議院行政監視委員会の公聴会で意見を述べる事が出来ました。その一人に、元原子炉設計者後藤政志がいました。後藤は委員会で概略、次の様な意見を述べています。
 「制御棒脱落事故など、ヒヤリとする過酷事故(シビアアクシデント)が数多く起こっていたのに、過酷事故は日本では存在し得ませんでした。過酷事故はあってはならない事故だからです。ですから日本ではその表現は使えず、”設定条件を超える事故”と表現してきました。
 1992年に原子力委員会は、過酷事故存在しうるとしましたが、それでも、原子炉等は、日本では十分な安全基準を満たすよう建設されているから過酷事故対策を要しない。規制しない。ただし事業者の自主的努力でやってくれの姿勢で終わっていました」と。

 最悪の事態を想定して、備えるのが安全設計の常識。日本ではその常識が通用しなかった、と語る後藤政志の証言に議員たちは衝撃を受けたそうです。公聴会の席で、議員たちが衝撃を受けた事実に、私は衝撃を受けます。多分このドキュメントの視聴者も。
 
 番組最後にディレクター倉澤が語ります「原発と共存出来るのか、放射性物質と共生出来るのか。今回の事故は、私たち一人ひとりに重い課題を突き付けました。この重い課題に立ち向かうため、私たちは自分で考え、自分で行動に立ち上がらねばならない時代に入りました」と。

 余談ですが、元日本テレビプロデューサー仲築間卓蔵はある新聞のコラム欄で「元社主松力正太郎が”原子力の父”と呼ばれ、日本テレビ出身ということで肩身の狭い思いをしてきたが、このドキュメントで肩身の狭さは解消しそうです」と書いています。少しずつ雪は融け始めたのでしょうか。