マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

水晶小屋を想う(その2)

2011年10月18日 | 山旅

 2度目の水晶小屋へは、山仲間WさんとO夫人と私の3人。折立から太郎平小屋に至り、黒部五郎岳・水晶岳・三俣蓮華岳・双六岳と尾根稜線を辿り、奥飛騨温泉郷方面に下山しました。
 3度目は、山仲間のK夫妻・Sさんと私の4人で折立から入山するも、K夫人の足の痛みからK夫妻が下山。結局Sさんと二人で、太郎平小屋・黒部五郎岳・水晶岳・三俣蓮華岳・双六岳・笠ヶ岳を経て、やはり奥飛騨温泉郷方面へと下山しました。その時が何時であったかはっきり思い出せないのですが、多分2004年だったかと。

 その日は快晴でした。水晶小屋にザックを置いて水晶岳をピストン(行ってその道を帰ってくる登山スタイル)しました。下山途中、赤いネッカチーフの軽やかな足取りの女性とすれ違いました。私たちが水晶小屋に戻り昼食を摂っていると、暫くして、件の赤いネッカチーフの女性も下山して来て、私達の傍らまでやってきて「あの時の方ではありませんか」と私に語りかけてきたのです。すれ違った時には全く気が付きませんでしたが、間近かで良く見ると、かって太郎平小屋から黒部五郎小舎までご一緒したことのあるMさんでした。
 
 こちらの年はよく覚えています。定年退職を間近に控えた2000年7月、私は久し振りの一人登山で、太郎平小屋・黒部五郎岳・水晶岳・三俣蓮華岳・双六岳・樅沢岳を経て、西鎌尾根経由で槍ヶ岳に至り、上高地へと下山したのでした。その途中、太郎平小屋から黒部五郎へ辿る日は雨模様で霧深く、更には残雪が豊富に残っていました。特に残雪多い時は道に迷い易いのです。謂わば危険度の高い日でした。Mさんも私も一人旅。どちらからともなく「ご一緒しませんか」と。と言う訳で、黒部五郎岳まで、途中からもうお一人も加わり、なんとなくグループが形成されて、黒部五郎小舎に到着したのでした。
 道すがらの会話から、私とご同業で、主として高山植物のツマトリソウを写真に撮ることが趣味で、今回は何時も山へ同行する友人の家族にご不幸があり、一人旅との事。百名山は90座ほど登ったとも語っていました。
 翌朝、Mさんは私よりも早く黒部五郎小舎を出発して行きました。遅れて出発した私は、約1時間のアルバイトで黒部五郎岳が良く見えるはずの地点に到達し、霧が晴れるのを待っていました。この日雨はあがっていましたが、まだ霧が残り、黒部五郎岳は姿を見せてくれません。ここから、この山のカールを是非とも写真撮影したかったのです。2時間は粘りました。徐々に霧は晴れて行き、遂にその全容を見せてくれ、夢中でシャッターを押しました。山に登って感激した出来ごと事の一つです。
 その写真を彼女に郵送し、彼女からはツマトリソウの写真が送られて来て、2回ほど文の交換がありましたが、音信不通で数年が流れていました。

 そんなMさんとの突然の、奇跡的な再会です。前回と同じく雲ノ平を望む山での再会。確率としては非常に小さい事が起こった事に感激して、地上でもお会いしませんかとの手紙を出しました。NOとの返事が来てから、6年ほどの歳月が流れた昨年、「百名山完成間近」のハガキが舞い込み、秋には目出度く百名山完成の知らせが来て、ささやかなお祝いをさせて頂きました。

 水晶小屋で過ごした時間はほんの僅かです。この小屋の記事を読み、次回は宿泊したくなっています。自分の体力を考えると自信はありませんが・・・。