2月3日(日)、家人の友人のFさんを訪ねて花見川団地へ出掛けた。こちらを訪れるのは、お母様が亡くなられた1982年以来31年振りのこと。昨年、お父様も世を去られ、それを契機に部屋をりホームされたので、その様子を見せて頂こうとの”見学会”も兼ねていた。 この団地は、多分昭和40年代の創設。以来40年は経過していると思われるが、お宅へと通じる道沿いには桜などの樹木が多く植えられ、花壇や滑り台・ブランコもあり、人や子に、優しい感じがする造りで、低層の建築の故か、落ち着いた雰囲気が感じられる団地だ。
部屋にお邪魔するのは初めての事。まずは室内を案内して頂く。目につくのが、今時の団地には珍しい、大振りのガッチリとした引き戸。キッチン&リビング・書斎・寝室とキッツリと仕切られた部屋を見て、家人が羨ましがった。
昼食はブイヤベースと、家人の食を案じて、野菜をじっくり煮込んだ手作りの料理を美味しく頂いた。(写真:団地風景)
Fさんは秋田の高校を卒業後に上京。都内の国立大学で英文学を学んだ後、教員への道に進んだ。家人は1973年に、私は1981年に職場を同じくする縁で知り合いとなった。家人は同じ学年を組んだこともあり、40年間にわたり、親しく付き合って頂いている。私も、三井記念美術館のチケットを頂いている。私から見たFさんは、兎も角、生徒への思いが強い先生である(であった)。教職勤務38年で定年を迎え、現在はギリシャ語とラテン語の学習に通う語学三昧の日々。
食後、達筆で書かれた履歴書なども含め、父上の遺品を見せて頂く。写真家でもあった父上は、戦時中、南方へも写真撮影に赴いたそうで、実は密命を帯びていたらしいとはFさんの推測。”密命”はいずれ私がミステリー小説を書くときのネタに使いたいのでここでは非公表(??)
話は近辺の地理に及んだ。花見川が近いという。その川沿いのサイクリング道路は東京湾まで通じ、そこからは富士山が眺められ、毎年1月2日にはそこまで散策をするとの事。そんな話を聞いて、花見川?何処から流れ来る川?。検見川と花見川とはどう違うの?こんな疑問と川見たさに、私1人、会話を抜けだし、ぶらり散策へ。 花見川は緩やかに流れる、中程度の大きさの川だった。付近の花島観音にお参りし、上総掘りの井戸を見学して帰って来たが、どこからも団地が見渡せ、かっては3万人もの住民が住んでいたこの団地の広さを知った。団地のはずれには雑木林も残されおり、Fさんが長年見慣れてきた風景を私も初めて見て、Fさんがより近くに感じられた。
利根川からの流路の一つは印旛沼に流れ、印旛沼から東京湾へは放水路を作り、上流から順に新川・花見川・検見川と呼ぶ事を知った。(写真:川の名はこの辺りでは花見川)
(写真:花島観音に隣接する天福寺)
(写真:上総掘りで掘られる井戸の風景)
Fさんの案内で、私達夫婦も含めてイタリア旅行をする予定だった教員時代。家人の癌が原因で、それは叶わぬ夢となってしまった。いとせめて国内旅行をしましょうと、6月には彼女の車で勝浦に行く日程を決めて、花見川を後にした。