銭湯の減少傾向に歯止めがかからないらしい。文京区に限っても、2年前まで11あった公衆浴場組合加盟の銭湯のうち、3・11の大地震で煙突が破損した、根津神社そばの「山の湯」は廃業し、今年中に「おとめ湯」も廃業との噂が流れている。
現在100円入浴可能な、文京の銭湯は10ヶ所あるが、9ヶ所は既に入湯していた。いまだ訪れていない銭湯は1ヶ所で、目白台にある「月の湯」である。ここの湯が、2月1日の東京新聞に「ケロリン桶 50周年」と題して紹介されていたのをきっかけに、未だ行っていない最後の湯に浸かろうと、2月12日(火)に、中学勤務の帰り、JR目白駅へ向かった。(写真:月の湯入口)
その時、豊島区の「のぞき坂(胸突坂)」や文京区の「幽霊坂」をも併せ探索しようと思い立った。どちらも関口台地から神田川方向へ下る坂。特に「のぞき坂」は1月14日(月)の大雪の翌日、テレビに登場していたそうで、”東京で一番の急坂”と言われている坂である。この日は
目白駅⇒のぞき坂⇒日無坂⇒小布施坂⇒幽霊坂⇒胸突坂⇒月の湯⇒江戸川橋 と巡った。
「月の湯」は昔ながらの銭湯だった。番台があり、脱衣した衣類は竹駕籠へ。番台に座る年配のご婦人と話し込んだ。東京新聞だけでなく、2月上旬には朝日テレビにも登場したとか。週のうち、火・木・日の3日間のみの営業は「私が勤務出来る日がその日だけなの」とか。周りにあった幾つかの銭湯も消えていったと寂しそうに語った。 板の間の天井が非常に高い。銭湯内部の壁絵はやはり富士山だが、中島盛夫の絵ではない(彼も2月10日の3チャンネルテレビ”課外授業”で教師として登場していた)。それは一目で分かる。湯には薬湯など特別な工夫はなされていないが、41・2度の湯は非常に心地良く、長湯をしてしまった。この数年、銭湯に通ううちに、だんだん高い温度の湯に慣れて来ているような気がする。
建物の外観も、銭湯内部もレトロな雰囲気濃厚で、昭和30年代にタイムスリップしたような気分だ。(写真:由緒ありそうな高い天井)
(写真:壁絵の富士山) 月の湯が東京新聞に登場したのは黄色い「ケロリン桶」の故。その新聞記事を要約すると、
『銭湯の創業は1933年(昭和8年)で、都内では現存最古級の湯。誕生当時から「ケロリン桶」を使用。プラスチックだから木桶に比べ丈夫で衛生管理も楽な上に、広告媒体なので”ただ”。いいことずくめの桶、と店主山田義雄さんは笑った』とある。
そういえば、他の風呂屋さんでもこの桶を見たことがあったが特に意識したことは無かった。1963年に富山市「内外薬品」が鎮痛剤・ケロリンの広告用に作ったそうだ。記事は後半、そのケロリン桶の栄枯盛衰物語となり、これこれで面白いのだが、ここでは省略。(写真:ケロリン桶)
「湯ざめしないようにネ」との、番台さんの暖かい言葉に送られて月の湯を辞した。これで文京区10の銭湯全てに”完湯”したことになった。