8月22日(木)~23日(金)、かねて誘われていた「滝平二郎展」鑑賞を主目的に、郡山・那須方面を旅してきた。誘ってくれたのは尾瀬組(ヒロさん・トモさん・家人)の3人。家人の親友のハルコさんが滝平二郎の絵本の編集者で、またその夫さんの会社が、昨年「滝平二郎カレンダー」を制作した関係もあって、「郡山市立美術館」で開催されている展覧会を見学に行こうとの話がまとまっていて、誘われればNOとは言わない私も同行する事となった。
ヒロさんは急用で行かれなくなり、結局3名で、東北新幹線を上野から乗車。郡山でレンタカーを借り、トモさんの運転で、まずは市美術館へと向かった。
滝平二郎カレンダーは毎日見ているので、彼の、郷愁を感じさせる絵には親しみを感じてはいたが、この展覧会を通じて初めて、彼の経歴や作品制作への真摯な思いに接し、一気に彼のファンになってしまった。それほど迫力ある展覧会だった。
鑑賞前にその建物を前にして「郡山市立美術館」の建物の立派さに驚いた。1992年(平成4年)11月開館の、地下一階、地上二階の低層な作りの建築だが、1994年に第35回BCS建築賞を、1998年には 公共建築百選に選ばれた建物との事。(写真:市立美術館側面)
(上の写真とは違う違う角度から見た美術館)
(美術館へのアプローチ)
さて彼の経歴の主要ポイントを外観してみる。
1921年(大正10年)茨城県新治郡玉川村に、農家の次男として生まれる。
1942年(昭和17年)臨時召集令で入隊。
1945年(昭和20年)沖縄本島での激戦のさなか、米軍に捕えられ九死に一生を得る。
1946年(昭和21年)日本美術会に参加。再び版画を始める。
漁民や農民の生活を題材にして、社会へのメッセージを強く意図した作品を多数発表。
1963年(昭和38年)「日本教育新聞」連載の、斎藤隆介作品の挿絵(木版画)を始める。
このことが切っ掛けとなって、以降斎藤隆介作、滝平二郎挿絵の、絵本の名作の数々が生まれる事となる。
1967年(昭和42年)木版画ときりえを併用した「八郎」刊行。
1969年(昭和44年)木版画による「ミコ」・きりえによる「花さき山」刊行。
1969年~1970年朝日新聞家庭欄に毎週月曜日「週のはじめに」と題してきりえ連載。
1970年(昭和45年)「花さき山」により、講談社第1回出版文化賞受賞。
1970年~1978年朝日新聞日曜版にカラーのきりえ連載。
2009年88歳で没する間、多くの絵本を刊行。
彼の初期の作品は版画が中心だった。戦争体験や働く農民の姿などをテーマとした写実的な作品が展示されていたが、特に私が注目したのは、沖縄で米軍に捕えられる直前の逃亡生活を描いた図。地を這いまわり、密林に逃げ込み、空腹に耐えかねて、意識朦朧とし、もう死を目前にしての自分を振り返る図。反戦の、声高々にした主張では無いが、反戦への強い思いを如実に物語る版画群だった。絵本やきりえについては次回のブログで。