妻が愛読し、京都についての知識を仕入れている『京都の歴史を足元からさぐる』に「三面鳥居」が書かれていると聞いて、早速オンライン予約をした。全6巻のうち、第4巻「嵯峨・嵐山・花園・松尾の巻」の第5章“太秦・花園・御室”に登場する。
著者は、この神社を初めて訪れたときの感想を次のように記した。
「三面鳥居が建つ地形を見ると、この日は水が枯れていたが泉地ともいえそうな凹地である。(中略)流水を想定すると川ともいえる地形である。川というと三面鳥居が建つ凹地が一番上流つまり水源に近い」と記し、『都名所図会』の木嶋社の境内の鳥瞰図を紹介している。 地図をも参考にしながら、湧水を水源として得られた聖なる水を、幕などによって周囲から遮断した空間を作り、そのなかで神事がおこなわれたと推定したのだ。彼は断定をしていないが、その神事の場所こそ三面鳥居の内側と私は思いたい。そう解釈すれば、鳥居の役割の問題は整理出来る。
更に、三面鳥居の3つの角のうち2つを稲荷山と松尾山と見る説を紹介し、のこりの一つの角を、清水の水源となる双ヶ丘(ならびがおか)を含め北の山かとも推定している。三本の柱は三山を表すとの仮説。
三面鳥居は対馬にもあるそうだが、これは10数年前に建てられたもので、古代を考える資料にはならないと書かれているが、一体誰が何のためにその様なものを建立したかは、興味深い謎である。(写真:『都名所図絵』の木嶋神社)
(右上写真の拡大図。右上に三面鳥居が見える)
観光面から考えると、木嶋神社やそこにある三面鳥居など全くマイナーな素材である。その様な情報をどうして知ったのか?ここを知っていたハルコさんに聞いて見た。知人で外国旅行をよくする画家さんからの情報との返事。妻は、表記の本から。最近はこの本6巻を熟読し、面白いと感じた京都を歩く傾向があるようで、いわば京都歩きのバイブル。ネット注文で全6巻を購入した(5500円)。
全くの暴論だが、三面鳥居は秦氏が渡来の際に持ち来たり、三井氏の祖先が秦氏???“秦”の文字から“三”と“イ”が透けて見える、などと書くと、森先生に叱られそうであるが、中央史観にとらわれない発想の“森史学”の祖とも言われる森浩一氏は昨年8月に85歳で亡くなられた。