昨夜、私一人帯広から帰京した。
今回の帯広行の目的は孫の顔を見る事と息子夫婦の家事手伝いだったが、家事・育児の手伝いは5日以降も必要と知り、妻は9日まで帰宅を延期した。私は家事手伝いには殆ど役に立たなかったが、孫娘の顔だけはしっかり見て来た。
7月1日(金)、7時15分羽田発の「AIR DO」は予定より遅れて7時30分に離陸ながら、定刻8時50分には十勝帯広空港着。曇りとの予報は外れ、梅雨のないと言われる北海道の、帯広は快晴だった。ここでヤヨイちゃんのお父さんと合流。9時10発のバスは9時45分には帯広バスターミナル着。その真ん前の十勝ガーデンズホテルには羽田から2時間40分で到着。自宅からは4時間30分。このルートの最速を実感した。迎えに来てくれた息子へはまずは“オメデトウ”と声をかけた。 病院での面会は14時からだった。結局帝王切開となったヤヨイちゃんへは“オメデトウ。お疲れ様”と声を掛けた。人は、初孫の顔を見ただけでおじいやおばあになったと実感出来るとか聞いていたが、私にはその感覚は湧いて来なかった。血族意識の乏しい人間なのかも知れない。しかし、あの世話を焼かせてくれた息子が、生まれて8日目の子供を抱っこし、オムツを替えている姿を見たとき、私もおじいちゃんになったのだとの思いがはじめて湧いて来た。生れ来る孫への思いは、“五体満足に”だけだったが、その姿を見て兎も角も安心した。
夜、ヤヨイちゃんのお父さんと我が家3人は「大庄水産」でお祝いの宴。交わす会話も無事出産の話に収束していった。
7月2日に母子退院。いよいよ子育てが本格的にスタートした。母乳だけでは足らない分は粉ミルクをお湯に溶かして補うわけだが、容器やその消毒など、37年も前の子育てゆえ、妻も私も昔を思い出しながらの育児手伝い。最近孫育てを経験していたヤヨイちゃんのお父さんの知識と助力もあって、二人は子供に栄養を与えていた。
私の出番は7月4日にやって来た。名前を用紙に書くこと。文字書は苦手なのだが、息子の指名とあってはしょうがない。「命名の紙」に生年月日を記入し、最後に長女の名前を書いて役割を終えた。
息子夫婦は多分仕事を続けながらの、共働きの育児となるだろう。この地に知り合いは少ない。ヤヨイちゃんのお父さんと話したことは、少しでも二人の手助けや孫の顔を見に同時に帯広にやって来ましょうという事だった。旅行先が帯広に偏るは止むを得ないと思いつつ、次回は秋かとひとりごちて、帯広空港を後にした。