三連休の初日の16日、私は、お殿様の散歩コースを念頭に置きながら、文京区を起点に台東区・荒川区と、久し振りに自転車散策してきた。私が住む本郷台地から下谷方面に向かうには必ず上野台地を上り下りしなければならないはずだが、この日は西日暮里駅真下を通る切通しを抜けたので上野台地はかすっただけ。電動自転車ではない我が身には切通しは有難い。西日暮里駅を通過すると、もうそこが音無川暗渠だ。
暗渠沿いの道をまずは東南東方向へ進んだ。途中、羽二重団子や芋坂などは素通りして「御行松」を目指した。江戸時代には多くの人が訪れ賑わいを見せたが、三代目の松はまだ背が低く、子規の句碑も建てられてはいるが、昔の賑わいは今はない。それよりもそのすぐそばにある「竹隆庵岡埜」の“こごめ大福”の看板が目を惹いた。お土産の包み紙には広重が描いた「御行松」がプリントされているはず。オミヤは帰路に買うことにして、ここで北へと流れる音無川暗渠から離れた。
根岸柳通りを進むと右手にレストラン「香味屋」が現れた。30~40代の頃、何度も訪れた懐かしい洋食店だ。この辺りにあったのかと、昔の、点のみの記憶が、今回は線上の点としての記憶となった。 左折して金杉通りを北へ進む。かつての奥州街道の裏道。昔ほどの繁栄は無いかもしれないが、昔の繁栄を今に留め、粋な街並みだった。今回の下谷散策で見つけた風情あるスポット。私好みの通りだ。昔ながらの商売を営んでいる商家が何件も見受けられる。その象徴というべき写真館をカメラに収めた。(写真は下に)
(矢島寫眞館) 「三島神社」は金杉通り沿いにあった。弘安の役で勇名を馳せた河野通有の発願により、氏神の大三島明神を上野の河野氏の館に勧請した後、この地に創建されたそうな。当神社の御本社は大三島にある大山祗神社で、宮司は代々河野氏の子孫が奉仕していると書かれていて驚いた。それ故か、現在の宮司は女性だ。
例大祭は6月に行われ、連合渡御では、神社前の金杉通りに町会のお神輿がすべて集まるほどの盛大さとか。来年の6月に再度お参りをしようと心に決めて石浜神社へと向かった。(写真:三島神社本殿)
三ノ輪から明治通りを真っ直ぐ東へ進むと、隅田川に架かる白髭橋のたもとに石浜神社はあった。(写真:石浜神社本殿)
帰路は全く同じ道を引き返した。帰りに竹隆庵岡埜に寄って、”こごめ大福”と”とらが焼き”を買った。こごめ大福は格別に美味。実に大きくて、小豆の粒あんがたっぷり入っていた。重たいと感じるほどの大福だった。農林水産大臣賞を受賞しただけのことはある一品。(写真は最下段に)
自転車で往復に3時間弱は掛かってしまった。石浜神社までの推定距離は7キロ。往復にして14キロはある。お殿様一行は皆健脚だった。いや、江戸時代はそれが普通か。
台東区には4系統のコミュニティーバスが運行されている。次回は「南めぐりん」や「北めぐりん」を活用したい。(写真:竹隆庵岡埜の包み紙。御行松が使われている)
(こごめ大福)