1月6日(金)、新橋演舞場で新春大歌舞伎昼の部「三代目 市川右團次 襲名披露」を観て来た。市川右近が三代目右團次を襲名し、その息子タケルが跡を継いで二代目右近を名乗り、初舞台を踏んだ。昼の部の演目は『通し狂言 雙生(ふたご)隅田川』のみ。見どころは猿之助・右團次・右近の3人の宙乗り、右團次の早替わり、右近の早替わりなど見せ場が多く、実に面白い歌舞伎だった。
昨年5月、三代目右團次の襲名発表の際に、当時の右近は「右團次の名跡を継承することで屋号は高嶋屋となりますが澤瀉屋から離れることは一切ございません。師匠の弟子であることは一生変わりません」と、師匠猿翁の生き様を、芝居に対する理念を、澤瀉屋の精神を、後世の役者に紡いでいく決意を語っていた。(写真:襲名披露の”丸の内お練り”)
原作近松門左衛門による本演目を観るのは初めてだった。どんな内容であるのか全く知らないので、9日夜の部のチケットも頂いていたこともあり、大枚を叩いてパンフレットを購入し、開演前に筋を読んでおいた。
<吉田の少将行房は比良が嶽の次郎坊天狗の恨みをかい、我が子松若丸(右近)を天狗にさらわれ、自身も殺されてしまう。
松若丸と兄弟の梅若丸(右近の二役)は、そそのかされ、朝廷よりお預かりの「鯉魚の一軸」の絵に鯉の目を描き入れたため、鯉は絵から抜け出し、梅若丸は出奔。
少将の妻班女御前(猿之助)は心労が重なり半狂乱となる。
と、吉田家では悲劇が重なるが、
一方、吉田家の家来だった淡路の七郎(右團次)は人買い業に身をやつし、猿島惣太を名乗っていた。折檻で殺してしまった稚児が若君梅若丸と知った惣太は非を悔い、壮絶な最期。その一念で天狗となる。
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我が子求めて隅田川のほとりにさまよい来た班女御前は松若丸に再会し正気を取り戻し、七郎天狗は班女御前と松若丸を連れて都へ向かって宙を飛んで行き、メデタシメデタシ・・・>となるはずだが・・・ 見応えを感じたところを書いておきたい。
雙生梅若丸・松若丸の母親を猿之助が、吉田家の執権正武国を海老蔵が、朝廷からの使者大江匡房を中車が演じ、この3人の人気実力者は出てくるだけで舞台が引き締まる。長い長い台詞を、6歳の右近がすらすらと語る姿を、私は固唾を飲んで見守った。
七郎天狗が班女御前と息子松若丸を京都に連れ帰る場面が宙乗り。3人が乗る宙乗りもあったのだ!右團次は澤瀉屋猿之助と息子右近との3人乗り。襲名披露の大きな見せ場。場内万雷の拍手のなか、幕が下り照明も点いた。(写真:右が右團次の七郎天狗。左が松若丸の右近) これにて幕と思い帰り始める観客もいたが、さにあらず。更に見せ場があった。琵琶湖では軸から抜け出した鯉が姿を現したのだ。そこへやってきた奴軍介(右團次)は水中に飛び込み鯉と激しく格闘する。”鯉つかみ”の場でも右團次は、本水を使った大立廻。ずぶ濡れになりながらの水中での大熱演。右團次のケレンの数々。鯉は元の鞘に収まることが暗示され、ここで大団円となった。(写真:奴軍介の右團次)