5月27日(日)、かつての千川上水を歩き、帰宅後自分が歩いた道を確認する為に図書館から『千川上水探訪マップ』を借りてきて調べると、千川上水ではないところも歩いていた。暗渠歩きは時に謎解きで、それが面白いのだが、時に道を違えることもある。失敗も含めて千川上水行を報告したい。間違えた所は日を改めて再訪しよう。 (1)千川上水公園から板橋区役所付近まで
千川上水公園から中山道に平行した、一本西寄りの道を進み始めて間もなく、右写真の、千川上水専用のマンホールの蓋(写真は再掲)が見られ、この道こそ千川上水路と確信を抱きながらスタート出来た。その道の左側は極端に低くなっている。不思議に感じたが、人工的に造られたこの上水路は尾根筋(=稜線)を流れていたのだ。それ故、白山台地に造られた白山御殿にまで引水が可能で、思えば綱吉・吉保主従はこの上水の恩恵を最大に受けていことになる。 では低い沢筋は何かと、窪地へ下ってみると近藤勇が丁寧に祀られていた。谷端川も流れていたらしい。その点はいずれ。(写真:近藤勇の像)
板橋駅も過ぎ、中央環状線手前までは時折中山道を右手に見ながら順調に進んだ。旧中山道は高速道路と立体交差している。だから私も高速道路を越えて行かねばならなかったのだが、その下を潜るのを躊躇ってしまった。ここで千川上水から外れてしまったのだ。板橋区役所を巻いて行かなければならないところを区役所の手前を曲がりそのまま真っすぐに進んでしまった。
(2)板橋区役所から東長崎まで
大谷口1丁目で千川上水に復帰し、ホッとした。この道は板橋高校勤務の頃自転車で何度も走行した緑道で、ここからは間違うはずがない。板橋高校は改築工事の最中だった。その前を過ぎ、更に真っすぐに進むと、西武池袋線の踏切が現れ、それを越えると直ぐに千川上水は何故か「南長崎6丁目」信号(右の図A地点)で直角にカーブする。不思議に思っていることの一つだ。私は下流から上流へと辿っているのだが、上流からの流れに沿って考えれば、千川上水がそのまま進めば、その先は谷端川や妙正寺川の谷筋となってしまう。谷側に落ち入らないように左折させて、本郷台地側へと水路を取らせたのだろうと推測してる。(右図参照。赤線が千川上水路)
(3) 東長崎から富士見台まで
直角に右折すると「千川通り」の表示が見られ、ここからは、西武池袋線に沿うように進む。現在はこの道路の歩道には樹木が植えられ、熱さの厳しかった5月27日(日)も涼しかった。江古田駅付近で昼食をとり、千川通りに再び戻って来ると、下の写真に見られる碑に出合った。この道は「清戸道」とも呼ばれていたのだ。清瀬の清戸から江戸川橋までの道。大泉や練馬の農産物が運ばれた道。その道に沿って千川上水は流れていたのだ。武蔵大学前を過ぎ、中村橋駅先では大泉高校同期会の行なわれた「味三昧」の前を通過。
(清戸道だったことを示す碑) (味三昧) 実はこの日、中村橋駅で知人と15時に待ち合わせていたのだが、13時には中村橋到着。そこで富士見台まで足を延した。それでもまだまだ早い時刻だったので、スマホで近辺の銭湯を調べると「貫井浴場」がヒットした。幸いなことにこの銭湯、日曜日は13時から営業が開始されていて、ひと風呂浴びて汗を流した。一人旅は気楽でもある。(写真:千川通りの歩道側)