この日の参加者は、学長・副学長の両先生を含めて28名と、予定の35名をかなり下回ってしまった。使用した部屋の定員は消防法上36名。まだ参加を連絡されてこない方もいそうなので、定員を上回ることが予想され、コッソリと、自前の椅子を持ち込む準備も整えたほどだ。しかし、直前に病となった方や、うっかり開催を忘れた方などが合計9名。飛び入り参加者が2名いたので、結局は35-9+2=28名となってしまった。(写真:講演する学長)
定員を上回ることを恐れて“今ひと押し”ビラを作成しながら配布しなかったことを悔やんだ。自分たち主催者も含め、お誘いする対象者の多くが後期高齢者。このことを肝に銘じながら準備しなければならない、と反省した。今後このようなイベント開催の時には、同じ様な失敗を繰り返さない方法を思い付いた。その方策は、次回この様な機会の成功時に記します!(写真:冒頭に挨拶する小林会長)
竹村先生の講演は公開講座でお聞きしたように流暢で淀みのない話しだった。ただ、この方面に全く不案内なマーちゃんには簡単にまとめることが難しい面もあり、学長先生には申し訳ないが、講演の要約ではなく、私が理解した範囲内のことに付いてのみ記す。
(熱心に聞き入る参加者)
〇大学の紹介。
東洋大学は今年創立130周年を迎え、この記念の年に法学部4年の桐生君が100m9.98の記録を出した。白山・朝霞・川越・板倉などの校舎の他、赤羽台に新設校舎も完成。赤羽台と白山で赤と白。紅白で大変お目出度いではないかという人もいる。全部で13学部。学生数が32000人を要する総合大学にまで発展してきた。
最初は小さな学校で、哲学館と称した。麟祥院の部屋を間借りして開いた。その哲学館を始めたのが井上円了。妖怪博士とかお化け博士としても有名。中野区の哲学堂公園も円了が造った。
〇次に井上円了の略歴
1858(安政5)年の生まれで、1919(大正3)年61歳で逝去。哲学を学び、哲学を基礎にした民衆教育に生涯を捧げた。哲学館設立を目指して日本の全国を巡行の他、海外の教育事情視察の為、3回の外遊。この大きな世界旅行を通じ地球の隅々にまで行った。
〇井上円了の教え(彼の膨大な著作『仏教活論序論』などからの引用)
(先生はこの部分に一番時間を掛けて語られたのだが、なかなかまとめきれずに悪戦苦闘した結果、次の一言でここのまとめとする)
「諸学の基礎は哲学にあり」
〇妖怪について
所謂妖怪とよばれる現象を多数蒐集した。古今東西の文献を良く調べ不思議現象の解明に当たり分類した。単純に全てが科学で分かるわけではない。究極の不思議がある。天地万物は不思議に満ちている。それみな妖怪。例えば春に花が咲くのも、秋の月も妖怪。詩句で「老狐幽霊怪物でないものはない。清風明月これ皆怪」と書いた。
〇活動主義について(『奮闘哲学』より)
『奮闘哲学』に「天然にある物みな活動している。しからば私達も活動すべきである。吾人も古今東西の哲学を研究し、人生の目的は活動に外ならぬと知った。吾人の天職は活動によって、人生を向上させることを自覚した」と記している。
〇向上門と向下門について(『奮闘哲学』より)
哲学には、絶対の真を極めんとする向上門(理論門)と、人に益をもたらす応用としての向下門(実際門)を併置しておかねばならない。向下するため向上するのだ。向下門が目的で、向下するための方便として向上門がある。余は近来はもっぱら向下門に全力を注いでいる。例えば極楽往生した人はそこに安住せずに、苦しんでいる人の救済の為に娑婆に戻って来るという考え方に繋がっている。
〇まとめとして、学長先生が強調され建学の精神
「他者の為に自己を磨く」と、学生諸君には述べています。
翌朝のラジオ体操時に、この講演の感想を聞いた。「難しかった」と語った方もいる一方、良かった・面白かったとの感想もあった。「大学時代に戻ったみたい」とか「哲学の話になるから難しいのは覚悟していた」との思いを語ってくれた方もいた。学長の講演内容ではなく、主催者を自己採点をすれば辛うじての合格点だったか。
富士前福寿会は、4月の副学長講演会・7月の輪投げ大会3連覇に続きこの学長講演会と、又々大きな山を乗り越えた。