『週刊文春』3月26日号(3月19日の木曜日発売)に、2年前の3月7日に自ら命を絶たれた元近畿財務局職員赤木俊夫さんの遺書が掲載され、全文を読んだ。
A4で7枚の手記は
<はじめに 私は、昨年(平成29年)2月から7月までの半年間、これまで経験したことのないほど異例な事案を担当し、その対応に、連日の深夜残業や休日出勤を余儀なくされ、その結果、強度のストレスが蓄積し、心身に支障が生じ、平成29年7月から病気休職に至りました>から始まっている。異例の事案とは森友学園への国有地売却問題のことである。 そこには、近畿財務局で密かに行われた公文書偽造に関する事柄が克明に綴られていた。
<森友事案は、すべて本省の指示、本省が処理方針を決め、国会対応、検査院対応すべて本省の指示と本省による対応が社会問題を引き起こし、嘘に嘘を重ねるという、通常ではありえない対応を本省(佐川)は引き起こしたのです>と明確に書かれている。
本省の指示に抵抗したが、最後には公文書改ざんに追い込まれ、関わってしまった者として、どう責任をとろうか悩み続け、自死される直前にその経過の詳細を遺書に認めたのだった。
最後の最後に妻さんと家族への謝罪の言葉が綴られ、“さようなら”で手記は終わっている。実に誠実に仕事をされ続けた真面目な明るい方であったことがよく分かる。口癖は「ぼくの契約相手は国民です」だったそうな。ご無念はいかばかりだろうか。
記事の作成者は元NHKの記者で、現在は大阪日日新聞に席を置く相澤冬樹氏。彼は『安倍官邸vs.NHK』を書いた後、退職を余儀なくされ、新しい場で“森友問題”の真相究明を続けていた。その執念がこの記事に結実していた。(この間の事情を2019/7/03 のブログに書いていた)。
記事は赤木さんの手記に沿うように解説されている。
赤木夫人のことを昌子(仮名)さんとしているから、ここでも昌子さんと書く。赤木さんの手記が存在することは知られていたが、昌子さん以外には読んだ人はいなかった。その手記を昌子さんは、2018年11月27日に梅田にある喫茶店で初めて相澤氏に見せた。相澤氏は全文を読んだ後コピーをお願いするが断られてしまう。昌子さんは手記を相澤氏に渡した後に自死する積りだったらしい。この時は気が変わり手記は持ち帰った。再び手記を相澤氏に見せたのは1年7ヶ月あとのことだった。
『週刊文春』が発売された前日、昌子さんは国と当時の理財局長だった佐川宣寿氏を相手に1億1千万円の損害賠償を求める訴えを起こした。
国会では安部首相と麻生財務相は「改めて調査する必要は無い」旨の答弁をしていた。それに対し昌子さんはメモに「この2人は調査される側で、再調査しないと発言する立場ではないと思います」と書いた。痛切な言葉だ。昌子さんの思いは「真実を知りたい」にある。それは多くの国民の気持ちでもある。(追記。現在手記はネット上で検索出来る)
言語 「週刊文春 赤木遺書」
URL https://bunshun.jp/articles/-/36821