長らくフランスで暮らしていた、大学時代からの友人Oさんが、ご夫妻で帰国され、その知らせが11月中旬に届いた。入国の際は羽田空港で唾液検査を受け、結果は「陰性」だったが、2週間の自宅待機。この2週間、体調に心配な兆候はなく、11月からは近くの公園を散策する毎日と記されていた。
今年の春に日本に一時帰国していた彼は、9月にフランスへ再入国していたので、その時の空港での様子を聞くと、その頃はフランスでは出入国に何の制限も無かったそうだ。しかし、その後の観光誘致が災いしてコロナ感染者数が増大し、10月に2度目のロックダウンに繋がったのかもしれないとのメールもあった。
まだまだ、フランスでの生活を続けるものと思っていた私には意外だったので、帰国を早めた動機を尋ねると、彼の健康上の理由もあるが、夫人の希望だそうな。夫人が絵を完成するためには何度かパリと日本を往復しなければならず、年齢とともにその負担が増してきていたようだ。思うに、コロナが深いところで影響しているのだなと感じた。フランスへの移住も夫人の絵画制作が目的だったから、パートナーを大切にしている彼らしい。
大学時代、数学を学ぶ仲間は自分も入れて僅か9名と非常に少数だったので、皆すぐに親しくなった。4年の時は彼と同じ「代数ゼミ」のメンバーだった。卒業後、彼が大学院で物理・物性を学び始めたころ、住まいが西小山にあった私はその研究室に良く遊びに行くようになり、親しさが増した。池袋の珈琲茶寮「耕路」で『日本国憲法』(著宮沢俊義)の読み合わせをしたことを懐かしく思い出す。
彼とはその後もよく飲んだ。一緒にスキーに行ったこともあったし、妻と二人、お宅に遊びにいったこともあった。帰国する度に一献傾けた。
メール交換で、帰国後は一献だけでなく数学書の読み合わせをしようとなった。ミステリーを愛し、数独を趣味とする彼とは語ることが多い。旧友と以前の様に頻繁に会えるのは楽しみだが、直接会えるのはコロナ感染終息後だろうか・・・。