マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

拾ヶ堰を訪ねて(その2)

2019年11月14日 | 信濃紀行

 11月5日(火)、穂高駅前にある「ひつじ屋」で電動アシスト自転車を借りた。サイクリング道路は拾ヶ堰が烏川へ放水する地点「V」からスタートした(地図は最下段に)。川幅は10mくらいで、川の流れはゆるやかだった。それもそのはず、この堰は1Km進んで30cm下るという超ゆるやかな勾配。全長15Kmだから、取水口と放水口の高低差は僅か4.5mしかない。その拾ヶ堰に沿うように造られた専用サイクリング道路を進んだ。左手には安曇野の田園風景が見渡せ、右手には常念岳などの山並みが望めた。すれ違う自転車は殆どない。快晴のもと、快適なサイクリングも楽しめた。時折自転車を降り散策と撮影。



 ところどころに、右写真の様に、堰から田畑へと水を導く施設が造られていて、その先に細い水路が続く。堰の水はこうして最終目的地に到達していた。既に稲刈りは終わっていたが、畑で働いて人がいる。「何に水をやっているのですか」と尋ねると「玉ねぎを植えているのです。来年の春に収穫します」とのこと。拾ヶ堰の有難さを付け加えてくれた。











 「M」地点に開削200年記念碑が建っていた。1816(文化13)年に造られたとの事だから、この碑が
建てられたのは今から3年前のこと。松本藩の許可が下りると、9人の手による最終的な測量を18日間で終え、2月に始まった開削工事を、延べ67112人が力を合わせて、僅か3ヶ月という驚異的な速さで完了したとある。堰流域の10か村をうるおすことから「拾ヶ堰」と名付けたそうな。農民の意気込みを感じるとともに、良くぞこの様なゆるやかな勾配の堰工事を完成したなと、その技術力の高さに感心してしまう。和算が庶民の間に浸透していたことが影響しているのではなどと推測したが?




 更に進むと万水川とのクロス地点。万水川の水量は乏しい。万水川の上をコンクリートの拾ヶ堰が通っていた。江戸時代はどの様だっのだろうか?この辺りから丁度堰の下流方向に、私の好きな山・常念岳が望める。今回は「J」の“じてんしゃひろば”手前で引き返した。(右写真で下が万水川。その上に架かる拾ヶ堰)
 「ひつじ屋」は喫茶店を兼ねていて、自転車返却後温かいココアを飲んでから大糸線で白馬へと引き返した。今回は下見的な感じだったが、次回は来年4月の桜のころに訪れて見たい。




     

   

   
   
   

   


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