マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

拾ヶ堰を訪ねて(その1)

2019年11月11日 | 信濃紀行

 安曇野を横断するように流れる「拾ヶ堰(じつかせき)」という人工の水路があることを知ったのは2年前の秋のことだった。白馬・大出にある喫茶「カミニート」を初めて訪れたときに、写真に写る、満開の桜の下を流れる水路について尋ねた。「豊科にある拾ヶ堰です」との話を聞いて、いつかはそこを歩いてみたいと思って来た。ネット上にある『安曇野水土記』なども読み一応の知識を仕入れておいた。
 それによると、
「北アルプスの秀峰常念岳に源を発する烏川は深い谷間の水を幾筋か集めて安曇野に流れ出るが、平野部に出たとたん、その流れは忽然と姿を消してしまう。黒沢川又然り。この奇妙な現象は、この盆地が礫質(小石)の多い沖積層から出来ているせいである。水は地下を潜って不透水層を流れ、再び、扇状地の終わる先端部で姿を見せることになる。そのため広大な面積を占める扇状地の中腹には水はなかった。北アルプスという巨大な水の宝庫を持ちながら水田を作ろうにも地表には水がない」(写真は赤線が現在の人工堰の図。江戸時代との差は少ないとのこと。拾ヶ堰は奈良井川から烏川まで)


 この悩みを解決する為に幾つもの試みが為されて来た。再び『安曇野水土記』から。
 「中央アルプス・駒ヶ岳から流れ出る奈良井川は奈良井宿を通って50Kmを流れ、安曇野で梓川と合流し犀川となる。拾ヶ堰はその奈良井川から水を取り、扇状地の中央を約570mの等高線に沿って横切り烏川までで、約1000ヘクタールの水田を潤す大水路。10に及ぶ村を潤すから拾ヶ堰と名付けられた」という。その完成までにも幾多のドラマがあったことも記されていた。(右写真は当日撮影の拾ヶ堰)
 
安曇野の水田の多くが北アルプスではなく中央アルプスの水で潤っている不思議。歴史的にも地学的にも興味を惹かれる事柄が隠れていそうだ。文化12(1816)年に完成した拾ヶ堰を実際に見聞してみたいと思い続けて来ていて、晴天の11月5日(火)にそれが実現した。





 この日は、白馬駅⇒信濃大町駅⇒穂高駅→(拾ヶ堰をサイクリング+徒歩)→穂高駅⇒信濃大町駅⇒白馬駅と巡った。
 大糸線の時刻表を見ると、許される現地滞在時間は4時間くらい。そこで穂高駅前のサイクリング店で自転車を借り地図を貰った。山側に進めば烏川に出合うだろうと真西に進むとこと15分くらいで烏川に到着。そこには「あずみ野やまびこサイクリング道路」
が通っていた。ここからはサイクリング道路を行くことに。300mくらい上流に向かうと、拾ヶ堰と烏川が合流する地点に到着。ここからは拾ヶ堰を見ながら、鳥川からは離れ、拾ヶ堰に沿うように造られたサイクリング道路を走行し、或るところでは散策しながら、上流へと向かった。拾ヶ堰は始点が奈良井川で終点が烏川。私は流れとは逆行したのだった。(写真下参照。サイクリング用マップ。最下段は専用のサイクリング道路)

 

   

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。