弥生土器「第1号」出土場所を「異人坂」の、坂が分岐するあたりを有力視する明治大学教授石川日出志氏の著作に『「弥生時代」の発見』があることを朝日新聞記事で知り、早速図書館から借りてきた。本著は新泉社刊行の「シリーズ“遺跡を学ぶ”」の一冊で、多くの写真や図が挿入されていて、初心者にも分かりやすく書かれていた。
石川氏は「「弥生式土器第1号」が発見された地点は、現在特定できない状態にあり、諸氏により5ヶ所の候補地があげられているが、中でも異人坂分岐点を有力視する理由を次のように述べている。
発見者の一人坪井正五郎が土器発見から5年後に『東洋学芸雑誌』に発表した報告書に坪井自身が描いた発見現場(向ヶ岡貝塚)のスケッチが載り、そのスケッチ図と「崖に面した場所」という証言と、異人坂付近の地形がよく一致する。他の候補地は崖から離れすぎているとの難点があるという。(下図はそのスケッチ図) 私などが異人坂分岐点に立って、スケッチ図と見比べても、100年以上の時の隔たりもあり、同じとは想像できないが、石川氏は「向ヶ岡貝塚ヨリ上野公園ヲ望ム景」と説明文の付されたスケッチ図をこう説明している。「人物の足元の点々は貝塚であろう。人物後方の高まりは現在も残り、貝塚の位置を復元できる」と。
それでもなお発見地点が曖昧となるのは発見時の当事者である坪井と有坂の証言の曖昧さからくると断言している。出土地点論考の最後に、「向ヶ岡弥生町遺跡を「弥生式土器第1号発見現場」発見地点や貝塚に限定するのではなく、集落遺跡として押さえることがいっそう重要なことであろう」とまとめている。
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