昨日は第3水曜日。都の、美術関係館は65歳以上無料の日。午前中に恵比寿にある東京都写真美術館へ、午後は江戸東京博物館へと、ハシゴして来た。
先月、妹夫妻と都写真美術館で「101年目のロバート・キャバ」展を観た折、「黒部と槍」展が、5月6日まで開催されている事を知り、抑えがたいものがあり、11時から開催予定の「文高連総会」への遅刻を承知しつつ、富士前福寿会会長には‘都合で遅れます’と断って出かけたのだった。
シルバーパス利用を心掛けているので、千石→目黒間は三田線を利用し、目黒からJR山手線沿いを歩いた。この辺りは中学時代に自宅から遠出して遊びに来た場所。「日の丸」自動車教習場など懐かしい場所を見ながら行くと、徒歩で15分、10時丁度に到着した。
冠松五郎は、1918(大正7)年、立山から黒部本流に足を踏み入れたのを皮切りに、秘境黒部渓谷を舞台に数々のパイオニア・ワークを果たし、多くの写真と紀行を残し「黒部の主」の異名をとった。秘境十字峡を発見したのが1925(大正14)年。谷は頂上に上るがための登路だという常識を覆し、谷自体の魅力を掘り下げて表現したのだ。
一方、穂刈三寿雄は、1914(大正3)年、初めて槍ヶ岳登山。1926(大正15)年に槍ヶ岳の肩に登山小屋を建て、以来数十年間、夏になるとそこで生活し、山行にはカメラを携えて北アルプスを中心に撮影し、大正末期の積雪期の作品など先駆的な業績を数多く残したとある。
二人併せて137葉もの写真(モノクロ)が展示されていた。 私が登った、穂高・槍・剣などの山々も展示され、懐かしさから見入った写真も幾つかあったが、山や谷に入り、写真撮影をして来た二人の境遇への羨望の思いを抱きながら、写真を見続けた。取分け、黒部の本流や支流が私に迫ってきた。右の写真を見て頂きたい。その谷の深さよ。嶮しさよ。選ばれ、鍛錬を重ねたもののみが見ることが出来る風景がそこにはあった。(右写真:剣の大滝を囲む大岩壁)
私は黒部渓谷には憧れを抱きながら、雲の平を訪れた際、結局その源流の地を踏んだだけだった。比較的遡行しやすいと云われている上廊下をも、もはや歩むことはないだろう。
この数年歩いてきた、常念岳や、燕岳から槍へと続く山々は懐かしく観ることが出来た。現在と変わらぬ、大正期の山々がそこにはあった。積雪期の峰が一際美しい。珍しく図録を購入してきて眺めている。(以下図録より)
(柳又沢、魚止の滝)
(「平」の下流。中の谷付近からの眺め)
(好きな山 黒部五郎岳) (早春の槍ヶ岳。燕岳より)
(夏の槍ヶ岳 手前は銀座縦走路) (夏の槍ヶ岳と天狗池、氷河公園より)