マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

サクラ チリユク

2014年04月06日 | 身辺雑記

 3月22日過ぎに開花宣言のあった東京の桜も消え去ろうとしている。
 既にブログに記した様に、この春、花見の宴を2度開いた。しかし、今年はそれ以外にも、この10日間、サクラとの関わりが多かった。昨日の日曜日まで花はよく保ったと言うべきだろう。 
 幾つかの、盛りの花とともに、この数日間の記録を綴る。
 3月29日(土)、六義園に夜桜見物に出かけた帰り、染井門に抜けると、20時を過ぎてもなお入場待ちの列が伸び続け、その長さ250mはあろうかという長蛇の列だった。翌日の日曜日は雨との予報が、今日中に是非との思いに駆り立てているようだった。
 3月30日(日)は予報通りの雨。午後から止むことを見越して、外出は15時から。図書返却のため上野にある桜木会館に向かうと、突然陽が照り出し来た。返却後上野駅に向かうと、上野の山を目指す凄い数の人々に出会った。その日、上野での花見は敢えてパス。
 3月31日(月)、早朝9時前六義園の門を潜る。人の少ないときの枝垂れを撮っておきたかった。丁度この時間帯、報道陣が写真撮影をしていて、桜の周りに立つことを遠慮願っていた。それは有難いことで、私も人影の無い、朝日を浴びた、ほぼ満開の桜を撮影出来た。帰りに3月29日の夜の入場はどうしたのか尋ねると「20時半までに並んだ方まで入場して頂きました」との応え。(写真:満開の枝垂れ)









 4月1日(火)、飛鳥山での、向丘同窓会の話はブログに綴った。
 4月2日(水)、午後は東京国立博物館へ。特別展鑑賞後、裏庭の枝垂れ桜を撮影した。
 4月4日(金)、この日は都高退教の花見の宴が善福寺で行われたが、急用のため出かけられなかった。
 4月5日(土)、ラジオ体操終了後吉祥寺に回った。参道に咲く枝垂れのピンク色が、青空に映えていた。また、妻が元生徒さんを駒込付近に案内するということで、私が近辺の桜の状況を調べに出かけた。「門と蔵のある広場」と染井霊園の桜がまだ散り始めたばかりの状態で、何本かの見事な盛りが見受けられ、ここと吉祥寺の枝垂れを“推薦”した。
 そして今日。ソメイヨシノの散り際は御衣黄桜の咲き始め頃。ラジオ体操の帰路、江岸寺に立ち寄った。2分~3分の咲きだった。(写真右:吉祥寺参道の枝垂れ)



     (門と蔵のある広場)


       (染井霊園)


     (江岸寺の御衣黄桜)


『栄西と建仁寺』展を観る(その1)

2014年04月05日 | 映画・美術・芝居・落語

 4月2日、妻と東京国立博物館に出かけた。3月25日から「栄西と建仁寺」展が始まっていた。前回の催し「クリーブランド美術館展」の折、貰って来たパンフレットから、俵屋宗達筆「風神雷神」が公開されることを知り、それを目玉にした、この開催を心待ちしていた。しかし、それは”井の中の蛙 大海を知らず”で、観るべきものはそれだけではなく、榮西と建仁寺ゆかりの宝物の数々に目を奪われた。建仁寺の果たしてきた、学問・美術・茶道などに於ける役割の高さを、初めて知るのであった。
 建仁寺。近くまで足を運んだことはあったが、訪れたことはなかった。まずその方丈の姿の美しさに驚く。祇園近くにあるこの寺へ、秋には足を運びたいと思った。


           (建仁寺方丈)
      

 今年は、京都最古の禅寺建仁寺を開創した榮西禅師800年遠忌にあたるそうで、その榮西は日本に茶の習慣を伝えたとされる「茶祖」としても知られ、古い禅院の茶法を伝える「四頭茶会」の空間が会場内に再現されていた。
 慶長4年(1599年)に安国寺恵瓊による本坊方丈の再建があり、そこには海北友松による水墨画の世界が展開された。今私たちが目にするのは重要文化財「雲龍図」と「竹林七賢図」等々。
 伊藤若冲筆「雪梅雄鶏図」(両足院蔵)や、良全筆の重要文化財「十六羅漢図」、長澤芦雪筆「牧童笛吹図」(久昌院蔵)なども展示されている。特に「牧童笛吹図」を面白く観た。解説には”人の見ている前で、筆のかわりに指で一気に描き上げたものでしょうか”とある。
 「四君子図」もあった。解説に四君子とは蘭・竹・菊・梅とあった。このことを知っていれば、松井今朝子著『非道、行ずべからず』(2014/2/18のブログ)に提示された謎を解たかも知れない。
 
 国宝「風神雷神」は最後の最後に待っていた。漸くの真打登場である。重文の方は毎年のように観ているが、国宝を何時観たかの記憶は不確か。パンフレットには”5年ぶりに参上”とある。宗達の図を観て光琳が影響を受けて描いたとされる重文。どちらの図も、ユーモラスで躍動的な神の図を眺めるのは楽しい。

 今年も年間パスポート(昨年は4000円で購入)で6回の特別展を鑑賞し、オマケに、今回は裏庭の桜まで楽しませてもらった。うたい文句”博物館で花見を”もしたことになる。

 
               (国宝:風神雷神)


                (重文:風神雷神)


花は盛りの飛鳥山

2014年04月02日 | 身辺雑記

 昨夜は向丘高校の、教員の同窓会。1次会の飛鳥山へは10名、2次会の豫園飯店には16名の参加。
 飛鳥山の桜は満開をやや過ぎ始めていたが、微かに散る花びらが、風情を醸し出していた。飛鳥山花見の宴、久々のヴェストタイミングである。

 朝9時30分、場所取りに出かける。昨年の4月5日、飛鳥山には1枚のシートも敷かれていなかったが、今年は段ボールで机を組立ている人たちや、飲み始めているグループもいる。それなりに、眺めの佳いところは占有権(?)を主張できるシートが敷いてある。小高い丘のようなところが空いていたので、シートを取り出したところで、待てよと思った。風通しが良すぎて夜は寒いかも知れない。そこで思い直し、例年の場所近く、ベンチを独占できる場所に変更。

 

 17時前には4名の方が到着。例年もそうなのだが、ご酒の好きな方ほど出足が早い。吟醸酒に詳しいKさんからは、最近試飲に出かけた蔵元(上州武尊の麓)から買ってきた吟醸酒「水芭蕉」が、Tさんからは、私が大好きだが定年後はご無沙汰しているヱビスの缶ビールが。
 偶数月生まれの方は飲み物持参をお願いしてある。奇数月の方からは酒のツマミだが、こちらはまだ差し入れがないので、現金の方からの2000円で公園下にある屋台へ焼き鳥購入にはしった。18時には参加者10名となり、昔話に盛り上がる。

 19時からは豫園飯店で。四角いテーブル席だけでは座り切れず、円卓をも囲む。
 今年は、定年退職された方など4名に、”長いお勤めご苦労様”の思いを込めて花束贈呈。皆、私に縁の深い方々だからの贈呈ではない(今後も続けよう)。日勤講師5年の”完全退職”Sさんは同じ学年を組み、現在は一緒に山に登る。同じ日勤講師を”中途退学”する IS さんは親戚でかつパソコンの師匠。定年退職の I Rさんとも学年を組んだ。面白いが大変世話の焼ける生徒たちの学年で、ご苦労様の中身を少しは思い出せる。Kさんが新任で来られた時の、若かりし(失礼)姿を妻が知っていて、退職翌日に私が、花の宴で一献傾けるという、えにし。 I RさんもKさんも、定年後同じ学校で勤務を続けられるそうで、給料は3分の1くらいに激減とのことだが、60歳を過ぎてもまだまだ働き続けられる環境下にあること、それを私は幸だと思う。

 16名全員に一言述べて頂いた。酔っていて記憶があやふやだが、豫園のママさんにもご登場を強要したようだ。かくして21時過ぎ、来年の再会を約束して同窓会はお開き。満開の桜は、人々をより陽気へと誘う。