足元がぐらぐらと揺れ動いて背の高い男はバランスを崩した。
筋肉男は相変わらず史朗を羽交い絞めにしたまま踏ん張って堪えていた。
金属棒は尻餅をついていた。
史朗は男たちが体勢を立て直すその一瞬をついて御大親に力添えを願う文言を唱えた。
大地の揺れがおさまるとサド男は再び史朗の身体を切り裂こうと迫ってきた。
史朗の身体にその指が触れた途端男の顔色が変わった。
急に仰け反って自分の衣服の首の部分を掻き毟るように両手で掴んだ。
まるで何かに襲われてでもいるかのように地面に倒れこみ悶え苦しんだ。
身につけている物のすべてがいまや男の敵と化していた。
筋肉男はギャッという声を上げるとピアスをした耳を押さえ、首につけている太いチェーンを必死で引きちぎろうとした。
怖ろしく熱を発した金属が男の身体を焦げつかせていた。
金属棒はその棒を手から振り落とし、サド男と同様に地を転げ回った。
ネイティブアメリカンの革紐の処刑よろしく革ジャンと革のパンツがぐいぐいと身体に食い込んで息もできない。
苦しむ三人を尻目に史朗は悠々剣を手にした。
両の肩に痛みが走り、大切な剣を放しそうになるのを何とか堪えた。
「きさまぁ…いったい何をしやがった? 」
サド男はかすれた声を振り絞って史朗に問うた。
「何も…。 僕は万物の魂に祈りを捧げただけだ…。 我を救えと…。 」
物に宿る魂を操る…彰久からその存在を教えてもらった鬼面川祭主の力だ。
正直…史朗自身も覚えていなかった千年前の閑平の得意とする業…ようよう思い出した。
目の前に転がり悶え苦しむ三人の能力者を史朗は何の感慨もなくただぼんやりと見つめていた。
戦闘モードに入った能力者たちはそれまでの鬱憤を晴らすかのように、矢継ぎ早に透に攻撃を仕掛けてきた。
なるほど力をセーブしていなければ、ちゃんとした手応えのある連中だった。
少なくとも…以前の城崎クラスか…修練を始めた頃の隆平か…リーダー格だけは西野クラス以上かも知れない。
怖れるほどではないが油断はできない。何しろ相手は複数こちらはひとり。
戦いがエキサイトしてくるに従って、それまで冷静だったリーダー格の男も我を忘れたように暴れだした。
少しはダメージが癒えたのか西野が参戦した。
やられっぱなしじゃ男が立たないってところか…透は鈴の顔を思い浮かべてそんなふうに思った。
リーダー格の男が透を目掛けて渦を巻く念の炎を噴出させた直後、轟音と共に地面が揺れ動いた。
母屋や離れで使用人たちの驚き騒ぐ声が聞こえた。
地震か…と一瞬あたりを見回した透はこれが誰か大きな力を持つ者の念の力だということに気が付いた。
全身にびりびりと響いてくるこの感触は修のものではなく、またひとり凄まじいほどの破壊力を持つ者が現れたことの証だった。
箪笥や棚から乗せてある物が落ち、あたりに散らばっていた。
そんな強烈な揺れの中で城崎がひとり食い入るように映像を見ていた。
「お祖父さま…俺…こいつ等の顔を見たことがあるかもしれない。 」
城崎は突然そう叫んだ。
「俺は今まで家のことには関わってこなかったから家にどんな人間が出入りするかなんて考えたこともなかったけど…。
親父が配下の連中と話しているのを何度か眼にしたことがあるんだ。
こいつ等のうちの何人かは親父の手の者だ。 」
城崎は頭の中が真っ白になった。そんな馬鹿なことが…親父が俺を殺そうとしているのか…?
「それはないよ…。 」
城崎の疑問に応えるように一左が言った。
「多分お父上も欺かれておいでなのだろう。
忠実な配下の振りをして城崎の家に潜り込んでいるのかもしれないし、もとは忠実な配下であった者が裏切ったとも考えられる。 」
城崎はじっと考え込んでいた。隆平が心配そうに見つめた。
「隆ちゃん…俺ってほんと馬鹿かもしれない。
外にばかり眼を向けて自分の家のことなんか見向きもしなかった…。
もし俺が家のことをしっかり見ていたら…親父を手伝ってやってたら少しは状況が変わってたかもしれないのに…。 」
城崎家の基盤がいつの間にか崩れかかっていたことを城崎は嘆いた。
「済んだこと嘆いても仕方ないよ。 これからのこと考えなよ。
僕は修さんにそう教わったよ…。 」
隆平はそんなふうに城崎を励ました。
確かに修とこの男が真正面からぶつかりあったとすれば、町ひとつ消滅するくらいで済んでまだ幸いだったと喜ばざるを得ないほどに激しいものになるだろう。
ハーフコートがその戦いを避けようとする気持ちはよく分かる。
修も住み慣れた町を破壊したいとは思わない。
「よく考えてくれ…。 宗主…。 犠牲は少ない方がいい…だろ? 」
ハーフコートは言った。
「どう考えようと城崎を犠牲にはできん。
おまえたちにどんな目的があるのかは知らんが、ここで城崎を殺したとしてもおそらくそれで終わるというものではあるまい。
最初の犠牲に過ぎない…いや…すでに二番目か…。
たとえいま僕との戦いを避けたとしても、おまえのようにペシミスティックな考え方では何かあるたびに次々と犠牲を増やし、やがてはすべてを滅ぼすことになる。
時の来るのが早いか遅いかだけの差だ。 」
修はそう言ってハーフコートの頼みを拒絶した。
男の表情が曇り、怒りとも悲しみともつかない眼差しを修に向けた。
遠くの方からパトカーが何台も近づいてくる音が聞こえてきた。
笙子の知らせで倉吉が動いたのだ。
蹴散らすことはなんでもないが面倒は避けたいとハーフコートは思った。
『警察が来た。 動ける者は至急屋敷を抜け出せ。 』
仲間のすべてに思念を送った。
去り際に再び男は修の方を見た。
「もう一度よく考えてみてくれ…。 」
「何度考えようと答えは同じだ。 道を探せ…本心から平安を望むのなら…。」
男は修に一瞥をくれると何処へともなく走り去った。
屋敷のあちらこちらから人の立ち去る気配が続いた。
修と雅人は笙子たちのいる洋館の方へと急いだ。
表門が開いて警察官がばらばらと屋敷内に入ってきた。
目に付くところで伸びている蜘蛛男たちを確保し、裏へ回って不法侵入及び傷害、器物破損等々…の被害の状況を確認した。
林の中で傷跡の男と銃を確保しその辺で伸びている男たちをも捕らえた。
洋館の前の開けたところで修は地面に転がって悶えている男たちを見た。
修と雅人の姿が近づくとサド男は咄嗟に立ち上がり、ぜいぜいと苦しそうな音をたてて必死で呼吸しながらも力を振り絞って逃げ出した。
「史朗! 大丈夫か? 」
修の顔を見ると史朗は微笑んで頷いたが、安心して力が抜けたのかふらっとその場にへたり込んだ。
修が駆け寄ると金属棒のほうを指差した。
「あいつが…城崎くんのお母さんを殺した犯人です。 あの…棒で…。 」
背後の方から倉吉たちが追いついた。
修は倉吉に近づき二言三言耳打ちした。倉吉はひとつひとつ確認するように頷きながら聞いていた。
警官たちが転がっている金属棒の男と筋肉男を捕まえた。
倉吉は修に何事か囁いた後、一礼して他の警官と共に去っていった。
再び修が史朗の傍に戻ってくると、史朗は傷の痛みと出血のために今にも倒れそうになっていた。
「史朗…出るなと言ったのに…。 」
修がそう言うとまた笑みを浮かべた。
「僕も…男ですから…。 笙子…子ども…護らないと…。 」
修はそうか…というように頷いた。
「雅人。 手当てをするから史朗の部屋へ。 」
了解…と言って雅人はさきに洋館の中に駆け込んだ。
傷にできるだけ負担をかけないように修はゆっくりと史朗を抱き上げた。
洋館の中では笙子が史朗の身体を拭いてやるための消毒したガーゼなどを用意して待っていた。
心配顔の笙子に修は先ず声をかけた。
「笙子…こんな時に悪いんだが…やっぱりきみの方が怪我の状況をよく把握できるだろうから史朗を診てやってくれないか?
きみの指示に従って治療をするよ。 雅人…手伝って着ている物を取るから。」
雅人と修で史朗の衣服を取り除いた。
史朗の血に染まったシャツに手を掛けたとき修は思わず目を背けた。
「なんて酷いことを…。 史朗…痛かったろうに…。 」
骨の近くまで裂かれた傷からはじわじわと血液が沁み出してきていた。
笙子は軽く史朗の身体に触れると怪我の場所と程度を確認した。
「胸の創は深い。 肋骨の寸前までいってる…。
でも骨のお蔭で内臓には異常がない。 この怪我は主に出血の程度が問題ね。
頬の創はこれはすぐ消せる…。 あちらこちらに打ち身があるけどこれも軽い。
問題は両肩…ひどく痛めている。 内出血もしているわ。
ここは特に丁寧に治療をしてあげて…舞えなくなったら大変だから…。
指の骨は大丈夫…剣を弾かれた時に軽く裂傷を負った程度。
そんなところよ…。 」
笙子は史朗の怪我のだいたいの診断を下した。雅人も大凡同じ診断だと言った。修はふたりの見立に従って治療を開始した。
治療といっても修たちにできるのは細胞組織の活動を活発化させ元の状態に再生回復させること。
頬に受けた傷程度ならすぐに跡形も無くなるが程度によっては時間がかかる。
自分自身のことなら苦痛覚悟の猛スピードで回復させるが、他人の身体でそんないい加減なことはできない。
それでもただの裂傷ならまだ楽な方で、腱が伸びたの捻じれたのということになるとさらに治療は面倒だ。
修はまず慎重に胸の大きな創傷を治療していった。打撲と頬の創は雅人に任せた。
創傷が何とか皮膚まで再生し終えると修は肩に取り掛かったが正直手に余った。
この天才的な舞の名手の大切な肩を元通りにできるかどうか…。
普通に動くという程度までなら何とか回復させられてもそれで完璧と言えるか…。
長時間かかって治療を終えたが修としては不安が残った。
母屋の方では西野が怪我をしたということで一左が治療を施したらしいが、どうやら他のみんなは無事であったようだった。
痛みが治まって気持ちよさそうに眠る史朗の傍らで修と雅人は正月二日の朝を迎えた。
年末からの疲れもあってついうとうとしていた修の前に朝も暗いうちから、彰久と黒田が息せき切って現れた。
どうやら隆平が史朗のことを心配してふたりに連絡を取ったらしい。
紫峰一族の名治療師黒田が来てくれた事は修にとって心強かった。
修の大まかな素人治療とは違って黒田なら完璧だ。
黒田はまだ眠っている史朗の胸の創傷と両肩の治療の跡を探った。
その間彰久は鬼母川の御大親に史朗の両肩の完全な回復を祈り続けた。
修はこの際、御大親でも八百万でも構わないから史朗の肩を完全に回復させてやって欲しいと願った。
「まあまあうまく治療できているようだぜ…修。
ただ…肩の治療はちょっとばかし雑だ。 手を加えておいた。
紫峰の人間ならこれで十分だが…鬼母川の者は自己治癒の能力がほとんど普通の人間と変わらんから…もう少し丁寧にしないとな…。 」
黒田に言われて修は素直に頷いた。やはり黒田は頼りになる。
彰久もほっとした様子で修を見た。
「史朗くんの肩には鬼母川の将来がかかっていますからね。
治療がうまくいって本当によかった。 」
さすがに前世で史朗の父親であった彰久はまるで自分のことのように喜んだ。
史朗とふたりで創めた鬼母川の祭祀舞の復活…彰久も大きな夢を抱いていた。
黒田は西野の怪我の様子も確認するために母屋の方へ行き、地鳴りと揺れの話を聞いた彰久は舞の練習に使っている修練場の様子と教室を始めた時に修から預かった紫峰の衣装庫を見に行った。
「史朗さん…よく眠ってるね。 黒ちゃんが来たのにも気付かなかった。 」
雅人が笑いながら言った。
「史朗にとっては大変な戦いだったんだ。
命懸けで妻子を護ろうとしたんだから…。 男だねぇ…こいつもさ。 」
その妻子は自分の妻子でもある。
顔では穏やかに微笑んでいても修の中にどす黒く渦巻くものが無いわけではない。
しかし一方でその嫉妬の対象である史朗を誰よりも可愛がっている自分がいる。
矛盾する心の葛藤。
修はふとハーフコートの男の胸のうちを思った。
男の心の中にも複雑に揺れ動くものが確かに感じられた。
本気で城崎を殺したいわけではあるまい…。
本気であれば自分が母屋に乗り込んで城崎を探し出せば済むこと…。
いったい何があの男を追い込んでいるのか…。
いずれにせよあの男はまた姿を現すだろう。
それまでに城崎家の家系についてでも調べてみるかな…。
再び睡魔に襲われて抗えずにうとうとしながら修はそんなことを思った…。
次回へ
筋肉男は相変わらず史朗を羽交い絞めにしたまま踏ん張って堪えていた。
金属棒は尻餅をついていた。
史朗は男たちが体勢を立て直すその一瞬をついて御大親に力添えを願う文言を唱えた。
大地の揺れがおさまるとサド男は再び史朗の身体を切り裂こうと迫ってきた。
史朗の身体にその指が触れた途端男の顔色が変わった。
急に仰け反って自分の衣服の首の部分を掻き毟るように両手で掴んだ。
まるで何かに襲われてでもいるかのように地面に倒れこみ悶え苦しんだ。
身につけている物のすべてがいまや男の敵と化していた。
筋肉男はギャッという声を上げるとピアスをした耳を押さえ、首につけている太いチェーンを必死で引きちぎろうとした。
怖ろしく熱を発した金属が男の身体を焦げつかせていた。
金属棒はその棒を手から振り落とし、サド男と同様に地を転げ回った。
ネイティブアメリカンの革紐の処刑よろしく革ジャンと革のパンツがぐいぐいと身体に食い込んで息もできない。
苦しむ三人を尻目に史朗は悠々剣を手にした。
両の肩に痛みが走り、大切な剣を放しそうになるのを何とか堪えた。
「きさまぁ…いったい何をしやがった? 」
サド男はかすれた声を振り絞って史朗に問うた。
「何も…。 僕は万物の魂に祈りを捧げただけだ…。 我を救えと…。 」
物に宿る魂を操る…彰久からその存在を教えてもらった鬼面川祭主の力だ。
正直…史朗自身も覚えていなかった千年前の閑平の得意とする業…ようよう思い出した。
目の前に転がり悶え苦しむ三人の能力者を史朗は何の感慨もなくただぼんやりと見つめていた。
戦闘モードに入った能力者たちはそれまでの鬱憤を晴らすかのように、矢継ぎ早に透に攻撃を仕掛けてきた。
なるほど力をセーブしていなければ、ちゃんとした手応えのある連中だった。
少なくとも…以前の城崎クラスか…修練を始めた頃の隆平か…リーダー格だけは西野クラス以上かも知れない。
怖れるほどではないが油断はできない。何しろ相手は複数こちらはひとり。
戦いがエキサイトしてくるに従って、それまで冷静だったリーダー格の男も我を忘れたように暴れだした。
少しはダメージが癒えたのか西野が参戦した。
やられっぱなしじゃ男が立たないってところか…透は鈴の顔を思い浮かべてそんなふうに思った。
リーダー格の男が透を目掛けて渦を巻く念の炎を噴出させた直後、轟音と共に地面が揺れ動いた。
母屋や離れで使用人たちの驚き騒ぐ声が聞こえた。
地震か…と一瞬あたりを見回した透はこれが誰か大きな力を持つ者の念の力だということに気が付いた。
全身にびりびりと響いてくるこの感触は修のものではなく、またひとり凄まじいほどの破壊力を持つ者が現れたことの証だった。
箪笥や棚から乗せてある物が落ち、あたりに散らばっていた。
そんな強烈な揺れの中で城崎がひとり食い入るように映像を見ていた。
「お祖父さま…俺…こいつ等の顔を見たことがあるかもしれない。 」
城崎は突然そう叫んだ。
「俺は今まで家のことには関わってこなかったから家にどんな人間が出入りするかなんて考えたこともなかったけど…。
親父が配下の連中と話しているのを何度か眼にしたことがあるんだ。
こいつ等のうちの何人かは親父の手の者だ。 」
城崎は頭の中が真っ白になった。そんな馬鹿なことが…親父が俺を殺そうとしているのか…?
「それはないよ…。 」
城崎の疑問に応えるように一左が言った。
「多分お父上も欺かれておいでなのだろう。
忠実な配下の振りをして城崎の家に潜り込んでいるのかもしれないし、もとは忠実な配下であった者が裏切ったとも考えられる。 」
城崎はじっと考え込んでいた。隆平が心配そうに見つめた。
「隆ちゃん…俺ってほんと馬鹿かもしれない。
外にばかり眼を向けて自分の家のことなんか見向きもしなかった…。
もし俺が家のことをしっかり見ていたら…親父を手伝ってやってたら少しは状況が変わってたかもしれないのに…。 」
城崎家の基盤がいつの間にか崩れかかっていたことを城崎は嘆いた。
「済んだこと嘆いても仕方ないよ。 これからのこと考えなよ。
僕は修さんにそう教わったよ…。 」
隆平はそんなふうに城崎を励ました。
確かに修とこの男が真正面からぶつかりあったとすれば、町ひとつ消滅するくらいで済んでまだ幸いだったと喜ばざるを得ないほどに激しいものになるだろう。
ハーフコートがその戦いを避けようとする気持ちはよく分かる。
修も住み慣れた町を破壊したいとは思わない。
「よく考えてくれ…。 宗主…。 犠牲は少ない方がいい…だろ? 」
ハーフコートは言った。
「どう考えようと城崎を犠牲にはできん。
おまえたちにどんな目的があるのかは知らんが、ここで城崎を殺したとしてもおそらくそれで終わるというものではあるまい。
最初の犠牲に過ぎない…いや…すでに二番目か…。
たとえいま僕との戦いを避けたとしても、おまえのようにペシミスティックな考え方では何かあるたびに次々と犠牲を増やし、やがてはすべてを滅ぼすことになる。
時の来るのが早いか遅いかだけの差だ。 」
修はそう言ってハーフコートの頼みを拒絶した。
男の表情が曇り、怒りとも悲しみともつかない眼差しを修に向けた。
遠くの方からパトカーが何台も近づいてくる音が聞こえてきた。
笙子の知らせで倉吉が動いたのだ。
蹴散らすことはなんでもないが面倒は避けたいとハーフコートは思った。
『警察が来た。 動ける者は至急屋敷を抜け出せ。 』
仲間のすべてに思念を送った。
去り際に再び男は修の方を見た。
「もう一度よく考えてみてくれ…。 」
「何度考えようと答えは同じだ。 道を探せ…本心から平安を望むのなら…。」
男は修に一瞥をくれると何処へともなく走り去った。
屋敷のあちらこちらから人の立ち去る気配が続いた。
修と雅人は笙子たちのいる洋館の方へと急いだ。
表門が開いて警察官がばらばらと屋敷内に入ってきた。
目に付くところで伸びている蜘蛛男たちを確保し、裏へ回って不法侵入及び傷害、器物破損等々…の被害の状況を確認した。
林の中で傷跡の男と銃を確保しその辺で伸びている男たちをも捕らえた。
洋館の前の開けたところで修は地面に転がって悶えている男たちを見た。
修と雅人の姿が近づくとサド男は咄嗟に立ち上がり、ぜいぜいと苦しそうな音をたてて必死で呼吸しながらも力を振り絞って逃げ出した。
「史朗! 大丈夫か? 」
修の顔を見ると史朗は微笑んで頷いたが、安心して力が抜けたのかふらっとその場にへたり込んだ。
修が駆け寄ると金属棒のほうを指差した。
「あいつが…城崎くんのお母さんを殺した犯人です。 あの…棒で…。 」
背後の方から倉吉たちが追いついた。
修は倉吉に近づき二言三言耳打ちした。倉吉はひとつひとつ確認するように頷きながら聞いていた。
警官たちが転がっている金属棒の男と筋肉男を捕まえた。
倉吉は修に何事か囁いた後、一礼して他の警官と共に去っていった。
再び修が史朗の傍に戻ってくると、史朗は傷の痛みと出血のために今にも倒れそうになっていた。
「史朗…出るなと言ったのに…。 」
修がそう言うとまた笑みを浮かべた。
「僕も…男ですから…。 笙子…子ども…護らないと…。 」
修はそうか…というように頷いた。
「雅人。 手当てをするから史朗の部屋へ。 」
了解…と言って雅人はさきに洋館の中に駆け込んだ。
傷にできるだけ負担をかけないように修はゆっくりと史朗を抱き上げた。
洋館の中では笙子が史朗の身体を拭いてやるための消毒したガーゼなどを用意して待っていた。
心配顔の笙子に修は先ず声をかけた。
「笙子…こんな時に悪いんだが…やっぱりきみの方が怪我の状況をよく把握できるだろうから史朗を診てやってくれないか?
きみの指示に従って治療をするよ。 雅人…手伝って着ている物を取るから。」
雅人と修で史朗の衣服を取り除いた。
史朗の血に染まったシャツに手を掛けたとき修は思わず目を背けた。
「なんて酷いことを…。 史朗…痛かったろうに…。 」
骨の近くまで裂かれた傷からはじわじわと血液が沁み出してきていた。
笙子は軽く史朗の身体に触れると怪我の場所と程度を確認した。
「胸の創は深い。 肋骨の寸前までいってる…。
でも骨のお蔭で内臓には異常がない。 この怪我は主に出血の程度が問題ね。
頬の創はこれはすぐ消せる…。 あちらこちらに打ち身があるけどこれも軽い。
問題は両肩…ひどく痛めている。 内出血もしているわ。
ここは特に丁寧に治療をしてあげて…舞えなくなったら大変だから…。
指の骨は大丈夫…剣を弾かれた時に軽く裂傷を負った程度。
そんなところよ…。 」
笙子は史朗の怪我のだいたいの診断を下した。雅人も大凡同じ診断だと言った。修はふたりの見立に従って治療を開始した。
治療といっても修たちにできるのは細胞組織の活動を活発化させ元の状態に再生回復させること。
頬に受けた傷程度ならすぐに跡形も無くなるが程度によっては時間がかかる。
自分自身のことなら苦痛覚悟の猛スピードで回復させるが、他人の身体でそんないい加減なことはできない。
それでもただの裂傷ならまだ楽な方で、腱が伸びたの捻じれたのということになるとさらに治療は面倒だ。
修はまず慎重に胸の大きな創傷を治療していった。打撲と頬の創は雅人に任せた。
創傷が何とか皮膚まで再生し終えると修は肩に取り掛かったが正直手に余った。
この天才的な舞の名手の大切な肩を元通りにできるかどうか…。
普通に動くという程度までなら何とか回復させられてもそれで完璧と言えるか…。
長時間かかって治療を終えたが修としては不安が残った。
母屋の方では西野が怪我をしたということで一左が治療を施したらしいが、どうやら他のみんなは無事であったようだった。
痛みが治まって気持ちよさそうに眠る史朗の傍らで修と雅人は正月二日の朝を迎えた。
年末からの疲れもあってついうとうとしていた修の前に朝も暗いうちから、彰久と黒田が息せき切って現れた。
どうやら隆平が史朗のことを心配してふたりに連絡を取ったらしい。
紫峰一族の名治療師黒田が来てくれた事は修にとって心強かった。
修の大まかな素人治療とは違って黒田なら完璧だ。
黒田はまだ眠っている史朗の胸の創傷と両肩の治療の跡を探った。
その間彰久は鬼母川の御大親に史朗の両肩の完全な回復を祈り続けた。
修はこの際、御大親でも八百万でも構わないから史朗の肩を完全に回復させてやって欲しいと願った。
「まあまあうまく治療できているようだぜ…修。
ただ…肩の治療はちょっとばかし雑だ。 手を加えておいた。
紫峰の人間ならこれで十分だが…鬼母川の者は自己治癒の能力がほとんど普通の人間と変わらんから…もう少し丁寧にしないとな…。 」
黒田に言われて修は素直に頷いた。やはり黒田は頼りになる。
彰久もほっとした様子で修を見た。
「史朗くんの肩には鬼母川の将来がかかっていますからね。
治療がうまくいって本当によかった。 」
さすがに前世で史朗の父親であった彰久はまるで自分のことのように喜んだ。
史朗とふたりで創めた鬼母川の祭祀舞の復活…彰久も大きな夢を抱いていた。
黒田は西野の怪我の様子も確認するために母屋の方へ行き、地鳴りと揺れの話を聞いた彰久は舞の練習に使っている修練場の様子と教室を始めた時に修から預かった紫峰の衣装庫を見に行った。
「史朗さん…よく眠ってるね。 黒ちゃんが来たのにも気付かなかった。 」
雅人が笑いながら言った。
「史朗にとっては大変な戦いだったんだ。
命懸けで妻子を護ろうとしたんだから…。 男だねぇ…こいつもさ。 」
その妻子は自分の妻子でもある。
顔では穏やかに微笑んでいても修の中にどす黒く渦巻くものが無いわけではない。
しかし一方でその嫉妬の対象である史朗を誰よりも可愛がっている自分がいる。
矛盾する心の葛藤。
修はふとハーフコートの男の胸のうちを思った。
男の心の中にも複雑に揺れ動くものが確かに感じられた。
本気で城崎を殺したいわけではあるまい…。
本気であれば自分が母屋に乗り込んで城崎を探し出せば済むこと…。
いったい何があの男を追い込んでいるのか…。
いずれにせよあの男はまた姿を現すだろう。
それまでに城崎家の家系についてでも調べてみるかな…。
再び睡魔に襲われて抗えずにうとうとしながら修はそんなことを思った…。
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