久遠は樋野と名乗るようになってから樋野家の近隣の別宅に暮らしていた。
学校へ通わせてもらいながら久遠は樋野のために懸命に働き、いつしか樋野の一族の間でも厚い信頼を受けるようになっていた。
伯父は久遠を跡取りにしたがったが世話になった伯母の手前もあってそれは丁重に辞退させてもらった。
樋野本家の後は伯母の妹の子が継ぐことになったので、それを機に久遠は独立し樋野の分家のひとりとなった。
久遠が城崎を離れる時に久遠を慕って樋野に移ってきた者たちがあった。
ひとりは久遠が母を亡くした時から一緒に育った乳母の子でお互いに兄弟に近い感情を持っていた。
城崎家に縁のある者ながら家出して荒れた生活を送っていた三人組の少年…これは城崎の父親が引き取って面倒を見てやるようになったのだが彼らを温かく迎えてくれた久遠を兄貴と慕っていた。
樋野の別宅で彼らは家族のように暮らしてきた。
分家の形をとるようになってからは其処に樋野の者たちも加わり、小さい規模ながらも一家を成してそれなりに充実した生活を送っていた。
その平穏な生活が急変したのは間もなく梅雨が明けようとしている頃だったと覚えている。
仲間のひとりが血相変えて久遠の部屋に飛び込んできた。
久遠に向かってとにかくテレビをつけてみろと言う。
何事かと不審に思いながらテレビをつけるとと其処には超能力者であることを前面に打ち出した瀾の姿があった。
「なんという愚かなことを…城崎の家を潰す気か! 」
久遠は思わず叫んだ。
単独の能力者ならともかく一族を背負っているの者のすることではない。
親父はなぜこいつを止めなかったのか…?
それは1度や2度では済まなかった。ますます調子に乗った爛はその行動もどんどんエスカレートしていく。
久遠はいつ城崎の家の秘密が暴かれるかと思うと気が気ではなかった。
そうなれば父や一族にとって致命的な事態を招く虞がある。
「俺は何のためにすべてをこいつに譲ったのだ…。
城崎の家の安泰のためではなかったのか? 」
あらん限りの愛情を注いでくれた父親を想い、心から慕ってくれた城崎の家の者たちを想う久遠の嘆きは大きかった。
久遠はできる限りそうした不満を仲間の前で口にしないように務めた。
周りの者が心配して自分に気を使うことを懼れたからだった。
だが古くから一緒にいる者たちは久遠の嘆きに気付いていた。
城崎の長には世話になった者ばかりなので彼らもまた城崎家の行く末を案じていたのだ。
「このままじゃ城崎の家も長もとんでもねぇ目に遭うぜ。
手を打たにゃならん。 あの馬鹿息子を何とかせねば…。 」
乳母の息子が3人組にそう持ちかけた。
「あの母子のせいで久遠さんは気の毒に城崎の家を出ることになんなさった。
いっそ消しちまったらどうかね? 」
三人組の中で背の高い男が言った。
「そう言やぁ…俺は昔お袋に聞いたんだが、あの後妻は久遠さんを追い出すためにわざと久遠さんに馴れ馴れしくしてたんだそうだ。
長の疑いがかかるように仕向けたんだと…。 」
乳母の息子は思い出したように瀾の母親のうわさを語った。
「ほんとかよ…ひでぇ話だな…。
だけどもしあの馬鹿息子がいなけりゃ久遠さんは城崎に帰れるんだろ?
やっぱ消しちまおうぜ。 」
背の高い男はまた過激な発言をした。
「そうだ…言わねえだけで久遠さんが城崎に戻りたがってるのは確かだし…。」
筋肉男が相槌を打った。
「可哀想によ…ずっと黙って我慢なさっておいでだ…20年近くもだ…。 」
金属棒を弄んでいた男が溜息をついた。
彼らもまた城崎の家を出て長の年月を他家の中で忍んできた。
今では樋野の信頼も厚くなり、待遇も良くなったとは言え、当初の彼らの苦労は並大抵のものではなかった。
それでも久遠が何より彼らのことを第一に考えて、樋野の一族のどんな仕打ちにも堪えてくれたから無事に過ごして来られたようなものだ。
伯父がいくら久遠のことを可愛がっていても、伯母とは繋がりがない上に、城崎家で久遠の母親が舐めた辛酸を樋野の一族の誰もが知っているだけに、城崎家に縁の者を手放しで歓迎するはずもなかった。
「久遠さんには決して話すな。 つらい思いはできるだけさせたくねえ。
たとえ俺たちが捕まっても久遠さんには何の関係もないことだ…。
俺たちが俺たちのあいつらに対する恨みを晴らすってことでいいな?
それに知れば久遠さんは弟を助けようとなさる…そういうお人だ。 」
3人組は乳母の息子の言うことにいちいち頷いた。
久遠の知らないところで男たちの久遠と城崎の長への想いが惨劇という形で表れようとしていた。
雪は絶え間なく降っていた。
この分じゃ朝までには相当積もるだろうな…と修は考えた。
ふとあの『雪嵐』が目に浮かんだ。
狂気とも言える想いってのは…何も恋愛に限ったことじゃないかもな…。
「頼子が知らせてくれるまで俺は何も知らずにいた。 」
久遠は父親の若い内妻の名前を口に出した。
「頼子は樋野に縁の女で…うちの賄いさんの知り合いなんだ。
遊びに来るついでによく親父からの土産物を届けてくれた。
耳のいいやつでな。 ちょうどやつらが相談している声を捉えたんだ。
殺人事件が起きた直後で犯人が捕まっていないのをいいことに口封じに見せかけて瀾を殺す計画だった。
俺はできるだけ瀾を護ってくれるように頼子に頼んだ。 」
やれるだけやってみるけど坊やはあたしを避けてんだから…と頼子は久遠に言ったらしい。
そう言えば瀾の父親が紫峰家への挨拶に持ってきた菓子折りを札束でいっぱいにしておいたのは頼子だった。
あれは彼女なりの護り方だったのかもしれない。
「俺は昭二が…ああこれは乳母の子の名だが…瀾の学校へ向かったことに気付いて昭二を止めに行ったんだ。
俺のために昭二を犯罪者にはさせられない…と思った。
それなのに昭二を止めなかったばかりか瀾を刺した昭二を車に匿って逃げた。 」
久遠は昭二と瀾の両方に対して責任を感じているようだった。
「止めなかったのではなく止められなかったんじゃないのか? 」
修の問いかけに久遠は驚いたような眼を向けた。
「もしかしたらおまえ…瀾を識別できなかったとか…? 」
久遠がさらに眼を大きく見開いた。
「なぜそんなことが分かる? 」
不思議そうに訊いた。
「記憶の障害…。 瀾にも少しそれが残っている。
おまえはテレビで瀾を見た時にそれが本当に瀾だと分かったのか?
他の出演者が城崎と呼ぶのを聞いて判断しただろう?
しかも毎回その名を聞かなければそれが誰だか分からないんだ…。 」
修は瀾の記憶が人工的に操作されてあったことを話した。
久遠はそのとおりだと認めた。
「瀾がまだ小さい折に一度だけ親父が俺のところに連れてきてくれたんだ。
だけど俺が里心を起こすといけないというので伯父が親父の目を盗んで瀾と俺の記憶を消した。
親父に気付かれないようにと慌てていたものだからあまり丁寧な作業をしなかったらしく完全には消えていないが…。 」
久遠は溜息をついた。
「現場に着いて車を降りた時、男の子が俺の目の前を通っていこうとしていたんだが瀾だとは思わなかった。
昭二は知らん顔して違う方向の少年たちを見ていたし、瀾には監視がついているはず…そう思った途端昭二が走り寄った。
俺は昭二をそのままほっておくことができず車に乗せた。 」
これ以上誰も傷つけないでくれ…久遠は昭二に言った。
昭二は久遠が瀾ではなく自分を助けてくれたことに感謝したが、自分にはもう関わらない方がいいと逆に久遠を突き放した。
久遠に知られてしまったことで昭二は3人組にも相談せずに単独行動を始めた。
すべての罪をひとりで引っかぶるつもりでいた。
城崎の家に正体を知られないように刃物や銃を使い、まるで殺人犯の犯行のように思わせた。
3人組は3人組で昭二ひとりに罪を負わせるのがいかにも心苦しく、とうとう城崎の屋敷に忍び込み瀾の母を襲った。
結果は最悪…瀾の母は亡くなった。
しかもこの間に紫峰家という得体の知れない能力者の一族が関わってきた。
城崎の長が頭を下げるほどの者なら相当強大な力を持っているに違いない。
久遠は悩んだ。いかに自分の知らないところで計画が立てられ、知らないうちに犯行が行われたとしても、彼らが自分の配下の者である以上は知らぬ存ぜぬでは済まされぬ。
それに自分はすでに一度犯人の逃走を助けてしまっている。
この先どう行動すべきか…。どう責任を取るべきか…。
さんざん苦しんだあげく、久遠が導き出した答えはもはや退くこと能わず…。
その瞬間…久遠はすべての道を自ら閉ざしてしまったのだった…。
久遠のために罪を犯したものたちとどこまでも落ちるつもりでいた…。
間違いだとは重々分かっていながら…仲間を見捨てることができなかった。
次回へ
学校へ通わせてもらいながら久遠は樋野のために懸命に働き、いつしか樋野の一族の間でも厚い信頼を受けるようになっていた。
伯父は久遠を跡取りにしたがったが世話になった伯母の手前もあってそれは丁重に辞退させてもらった。
樋野本家の後は伯母の妹の子が継ぐことになったので、それを機に久遠は独立し樋野の分家のひとりとなった。
久遠が城崎を離れる時に久遠を慕って樋野に移ってきた者たちがあった。
ひとりは久遠が母を亡くした時から一緒に育った乳母の子でお互いに兄弟に近い感情を持っていた。
城崎家に縁のある者ながら家出して荒れた生活を送っていた三人組の少年…これは城崎の父親が引き取って面倒を見てやるようになったのだが彼らを温かく迎えてくれた久遠を兄貴と慕っていた。
樋野の別宅で彼らは家族のように暮らしてきた。
分家の形をとるようになってからは其処に樋野の者たちも加わり、小さい規模ながらも一家を成してそれなりに充実した生活を送っていた。
その平穏な生活が急変したのは間もなく梅雨が明けようとしている頃だったと覚えている。
仲間のひとりが血相変えて久遠の部屋に飛び込んできた。
久遠に向かってとにかくテレビをつけてみろと言う。
何事かと不審に思いながらテレビをつけるとと其処には超能力者であることを前面に打ち出した瀾の姿があった。
「なんという愚かなことを…城崎の家を潰す気か! 」
久遠は思わず叫んだ。
単独の能力者ならともかく一族を背負っているの者のすることではない。
親父はなぜこいつを止めなかったのか…?
それは1度や2度では済まなかった。ますます調子に乗った爛はその行動もどんどんエスカレートしていく。
久遠はいつ城崎の家の秘密が暴かれるかと思うと気が気ではなかった。
そうなれば父や一族にとって致命的な事態を招く虞がある。
「俺は何のためにすべてをこいつに譲ったのだ…。
城崎の家の安泰のためではなかったのか? 」
あらん限りの愛情を注いでくれた父親を想い、心から慕ってくれた城崎の家の者たちを想う久遠の嘆きは大きかった。
久遠はできる限りそうした不満を仲間の前で口にしないように務めた。
周りの者が心配して自分に気を使うことを懼れたからだった。
だが古くから一緒にいる者たちは久遠の嘆きに気付いていた。
城崎の長には世話になった者ばかりなので彼らもまた城崎家の行く末を案じていたのだ。
「このままじゃ城崎の家も長もとんでもねぇ目に遭うぜ。
手を打たにゃならん。 あの馬鹿息子を何とかせねば…。 」
乳母の息子が3人組にそう持ちかけた。
「あの母子のせいで久遠さんは気の毒に城崎の家を出ることになんなさった。
いっそ消しちまったらどうかね? 」
三人組の中で背の高い男が言った。
「そう言やぁ…俺は昔お袋に聞いたんだが、あの後妻は久遠さんを追い出すためにわざと久遠さんに馴れ馴れしくしてたんだそうだ。
長の疑いがかかるように仕向けたんだと…。 」
乳母の息子は思い出したように瀾の母親のうわさを語った。
「ほんとかよ…ひでぇ話だな…。
だけどもしあの馬鹿息子がいなけりゃ久遠さんは城崎に帰れるんだろ?
やっぱ消しちまおうぜ。 」
背の高い男はまた過激な発言をした。
「そうだ…言わねえだけで久遠さんが城崎に戻りたがってるのは確かだし…。」
筋肉男が相槌を打った。
「可哀想によ…ずっと黙って我慢なさっておいでだ…20年近くもだ…。 」
金属棒を弄んでいた男が溜息をついた。
彼らもまた城崎の家を出て長の年月を他家の中で忍んできた。
今では樋野の信頼も厚くなり、待遇も良くなったとは言え、当初の彼らの苦労は並大抵のものではなかった。
それでも久遠が何より彼らのことを第一に考えて、樋野の一族のどんな仕打ちにも堪えてくれたから無事に過ごして来られたようなものだ。
伯父がいくら久遠のことを可愛がっていても、伯母とは繋がりがない上に、城崎家で久遠の母親が舐めた辛酸を樋野の一族の誰もが知っているだけに、城崎家に縁の者を手放しで歓迎するはずもなかった。
「久遠さんには決して話すな。 つらい思いはできるだけさせたくねえ。
たとえ俺たちが捕まっても久遠さんには何の関係もないことだ…。
俺たちが俺たちのあいつらに対する恨みを晴らすってことでいいな?
それに知れば久遠さんは弟を助けようとなさる…そういうお人だ。 」
3人組は乳母の息子の言うことにいちいち頷いた。
久遠の知らないところで男たちの久遠と城崎の長への想いが惨劇という形で表れようとしていた。
雪は絶え間なく降っていた。
この分じゃ朝までには相当積もるだろうな…と修は考えた。
ふとあの『雪嵐』が目に浮かんだ。
狂気とも言える想いってのは…何も恋愛に限ったことじゃないかもな…。
「頼子が知らせてくれるまで俺は何も知らずにいた。 」
久遠は父親の若い内妻の名前を口に出した。
「頼子は樋野に縁の女で…うちの賄いさんの知り合いなんだ。
遊びに来るついでによく親父からの土産物を届けてくれた。
耳のいいやつでな。 ちょうどやつらが相談している声を捉えたんだ。
殺人事件が起きた直後で犯人が捕まっていないのをいいことに口封じに見せかけて瀾を殺す計画だった。
俺はできるだけ瀾を護ってくれるように頼子に頼んだ。 」
やれるだけやってみるけど坊やはあたしを避けてんだから…と頼子は久遠に言ったらしい。
そう言えば瀾の父親が紫峰家への挨拶に持ってきた菓子折りを札束でいっぱいにしておいたのは頼子だった。
あれは彼女なりの護り方だったのかもしれない。
「俺は昭二が…ああこれは乳母の子の名だが…瀾の学校へ向かったことに気付いて昭二を止めに行ったんだ。
俺のために昭二を犯罪者にはさせられない…と思った。
それなのに昭二を止めなかったばかりか瀾を刺した昭二を車に匿って逃げた。 」
久遠は昭二と瀾の両方に対して責任を感じているようだった。
「止めなかったのではなく止められなかったんじゃないのか? 」
修の問いかけに久遠は驚いたような眼を向けた。
「もしかしたらおまえ…瀾を識別できなかったとか…? 」
久遠がさらに眼を大きく見開いた。
「なぜそんなことが分かる? 」
不思議そうに訊いた。
「記憶の障害…。 瀾にも少しそれが残っている。
おまえはテレビで瀾を見た時にそれが本当に瀾だと分かったのか?
他の出演者が城崎と呼ぶのを聞いて判断しただろう?
しかも毎回その名を聞かなければそれが誰だか分からないんだ…。 」
修は瀾の記憶が人工的に操作されてあったことを話した。
久遠はそのとおりだと認めた。
「瀾がまだ小さい折に一度だけ親父が俺のところに連れてきてくれたんだ。
だけど俺が里心を起こすといけないというので伯父が親父の目を盗んで瀾と俺の記憶を消した。
親父に気付かれないようにと慌てていたものだからあまり丁寧な作業をしなかったらしく完全には消えていないが…。 」
久遠は溜息をついた。
「現場に着いて車を降りた時、男の子が俺の目の前を通っていこうとしていたんだが瀾だとは思わなかった。
昭二は知らん顔して違う方向の少年たちを見ていたし、瀾には監視がついているはず…そう思った途端昭二が走り寄った。
俺は昭二をそのままほっておくことができず車に乗せた。 」
これ以上誰も傷つけないでくれ…久遠は昭二に言った。
昭二は久遠が瀾ではなく自分を助けてくれたことに感謝したが、自分にはもう関わらない方がいいと逆に久遠を突き放した。
久遠に知られてしまったことで昭二は3人組にも相談せずに単独行動を始めた。
すべての罪をひとりで引っかぶるつもりでいた。
城崎の家に正体を知られないように刃物や銃を使い、まるで殺人犯の犯行のように思わせた。
3人組は3人組で昭二ひとりに罪を負わせるのがいかにも心苦しく、とうとう城崎の屋敷に忍び込み瀾の母を襲った。
結果は最悪…瀾の母は亡くなった。
しかもこの間に紫峰家という得体の知れない能力者の一族が関わってきた。
城崎の長が頭を下げるほどの者なら相当強大な力を持っているに違いない。
久遠は悩んだ。いかに自分の知らないところで計画が立てられ、知らないうちに犯行が行われたとしても、彼らが自分の配下の者である以上は知らぬ存ぜぬでは済まされぬ。
それに自分はすでに一度犯人の逃走を助けてしまっている。
この先どう行動すべきか…。どう責任を取るべきか…。
さんざん苦しんだあげく、久遠が導き出した答えはもはや退くこと能わず…。
その瞬間…久遠はすべての道を自ら閉ざしてしまったのだった…。
久遠のために罪を犯したものたちとどこまでも落ちるつもりでいた…。
間違いだとは重々分かっていながら…仲間を見捨てることができなかった。
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