徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

三番目の夢(第十九話 違和感)

2005-09-17 23:27:20 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 震えの止まらない唐島に修はサイドボードの中のブランデーを飲ませた。
慌てて飲もうとした唐島はむせ返った。修は優しく背中をさすってやった。

 その様子を見ていた史朗は修の行動にどこか違和感を感じた。
修の性格から見て別段いつもと変わりない行動なのだが、それでも何かが違うような気がするのだ。

 「遼くん…あいつは学校からきみについてきたんだよ」

修が言うと唐島は分かってるというように何度も頷いた。

 「史朗ちゃん。よく気付いたね。連絡がつかなかったから無理かと思ったよ。」

 そう言われて史朗はにっこり笑った。心の内に芽生えた疑問は悟られぬように笑顔の下に隠した。

 「この間先生に護りの印を描いたので、何となく危険が迫っていると感じたんです。 急いできたから携帯にも出られませんでした。 」

唐島はようやく落ち着いてきた。

 「あ…有難う。 あなたには…二度も助けてもらった。 」

頭を下げて唐島は礼を言った。史朗はいいえというように首を横に振った。

 「修さん…今のは紫峰の業じゃありませんね。 僕…はじめて見ました。 」

修は笑みを浮かべ頷いた。

 「藤宮の奥儀のひとつだよ。 だから本来なら僕がこんなふうに使うべきじゃないんだが、紫峰の業ではあの死霊を消滅させてしまうからね。 
今の段階でそれはまずいだろ。 ちゃんと言い分を聞いてやらないとね。」
 
 唐島にはふたりが何の話をしているのかさっぱり分からなかったが、とにかくその何とかに救われたことだけは確かだった。

 「先生…明日の夜までの我慢ですよ。 ここはもう心配ないです。
この部屋には霊厄を除けるまじないをしておきましたからあいつはもう現れないでしょう。
見たところ他には何もなさそうだし…。 」

唐島がほっとしたように頷いた。

 「本当に何とお礼を言っていいのか…。 」 

修が倒れ掛かったむつみの遺影をそっと元に戻した。

 「遼くん…僕等はこれで引き上げる。 心細いだろうけど今夜はもう何も起こらないから安心して…。 明日…学校で…また。 」

 そう言って修は足早に玄関に向かった。史朗も後に続いた。
その後姿に向かって唐島は何度も礼を繰り返した。



 唐島のマンションを出て修の車まで史朗は一緒に歩いた。
何を考えているのか修はぼんやりと宙を見ていた。
今はもうあの妙な違和感は消えていて、いつもの修がそこにいた。

 「修さん? 藤宮の業。 何処でお覚えたんですか? 笙子さんに? 」

史朗はわざと明るい声で訊いた。

 「ああ…あれ…昨日笙子から教えてもらった…。 」

事も無げに修は言った。

 「ええ~っ。冗談でしょ?あれ結構高度じゃないですか。奥儀なんでしょ? 」

史朗はまさかと思った。昨日の今日で使える業とは思えない。

 「ほんとだよ。 だから笙子が使うほど威力がないんだ。 
やっぱり他家の業は難しくてね…。 」

 化け物かあんたは…史朗は呆れかえった。

 一般に血統のはっきりしている能力者ほど他家の力を取り入れるのは難しい。
血に縛られない能力者の方がその点は融通が利く。
 それなのに修の場合は純血種とも言うべき紫峰の頂点にいながら、他家の業もどんどん吸収していく。
勿論、ひとつひとつを見れば完全ではないけれど、それなりに役に立っている。

 「いいなあ…羨ましいや。 修さんは他家の業まで使えてしまうんだから。
僕に少しでも力があればもっと自信が持てるのに…。 」

史朗は呟くように言った。

 「僕は史朗ちゃんの祭祀に惚れたんだ。 
彰久さんに勝るとも劣らない素晴らしい祭祀を見せてもらったからね。 」

修は史朗に向かって微笑みかけた。

 「祭祀にですか…。 複雑です…。 その言われ方…。 」

史朗はちょっと寂しげな笑みを返した。

 

 修の帰りを待っている間。四人は修練を続けてはいたのだが、やはり気になって身が入らなかった。

 修の代わりに西野が四人の面倒を看ていたが、西野も鬼面川の業を使えるわけではないので、万一の場合に備え監督しているだけに止まっていた。

 もともと鬼面川出身の隆平だけが鬼面川の業を理解しており、他の三人の指導をしていたが、やはり唐島のもうひとつの気配が気になって仕方がなかった。

 「雅人…手を貸して…。 様子が見たいんだ。 」

とうとう我慢ができなくなった隆平は雅人にそう頼んだ。

 「いいよ…どうすればいい? 」

雅人が訊いた。

 「先生に念を合わせてくれればいいよ。 」

 唐島の部屋を覗くだけなら雅人だけで十分だったが、霊の気配は隆平の方が感知しやすいので雅人は隆平の言うとおりに唐島に念を合わせた。
隆平は雅人の手に自分の手を重ねるとそっと目を閉じた。

 「先生は…凄く危険な目に遭った。 相手は…あいつだ…この前先生に襲いかかった若い男の霊。 大丈夫…もう先生のところにはいない。 

 多分…これは史朗さんの気配。 修さんの気配も…。
あ…でも…もう帰ったみたい。 部屋には鬼面川のまじないがかかってる。 」

隆平はそれだけ言うと目を開けた。

 「どうもあいつが主犯格だね…。 執拗に先生を狙っている。 」

 「先生に取り付いてどうする気なんだろう? 」

晃がぼそっと言った。それは皆も疑問に思っていた。

 「多分…明日の祭祀ではっきりするだろうけど…。 
 僕の勘では死んだことを後悔していて、生きている自分に戻りたがっているのじゃないかと…。 」

隆平が答えた。なるほどと三人が頷いた。

 「こらこらサボってちゃだめでしょ。 明日が本番なんだから。」

西野が近付いて来て注意した。

 「慶太郎さん…。 幽霊好き? この前化け物とは戦ったって聞いたけどさ。」

晃が唐突に訊いた。

 「嫌ですよ。そんなもん。化け物だって好きっていうわけじゃありません。」

 「え~っ。 慶太郎さん。 幽霊だめなの? 怖いの? 」

透が意外そうな顔をした。

 「怖かありませんけど、薄っ気味悪いじゃありませんか。
そりゃあ仕事となれば選り好みしちゃいられないんで何とだって戦いますけどね。
できりゃあ生きた人間の方がありがたいですよ。 」

西野はいかにも嫌そうな顔をした。

 「さあ…いつまでもサボっていると宗主のお叱りを受けますよ。 」

そう言って四人に修練の続きを促した。



 会社の玄関を出ようとした時、史朗は突然、笙子に呼び止められた。
笙子は伝えておくことがあると言って、人気のないところへ史朗を連れて行った。

 「史朗ちゃんに頼みがあるのよ。 今日は私…現場には行かれないから…。」

いつになく真顔で笙子は言った。

 「修の行動に気をつけていて欲しいの。 特にすべてが片付いた後に…。 」

 「どういうことです? 」

 史朗は訝しげに笙子を見た。
笙子はちょっと辺りを見回した後、小声で囁くように言った。

 「修は今とてもいい子にしているはずよ。 宗主として動いているから…。
でもことが片付いたらいつまでもおとなしくしているとは限らないのよ。

 修の態度が一見穏やかそうに見えても、唐島に対しての怒りが完全に収まっているというわけではないの。 」

史朗はあの妙な違和感を思い出した。

 「それ…本人は自覚しているんですか…? 」

 「そこが難しいところなの。 
意識してやっているのか無意識なのか…はその時々で違うから。
意識しているのなら問題ないわ。

 とにかく暴れだしたらあの身体だから止めるのが大変。
いつもは私が傍にいるから止められるんだけど。

 唐島に対して暴力を振るわせないようにあなたがちゃんと抑えてて…。 」

 抑えててと言われても、史朗の身体では簡単に吹っ飛ばされてしまうだろう。
背も高いし細身に見えても鋼のように鍛えられた身体だと知っている。

 「大丈夫…黒田さんもいるし雅人くんも透くんも大きいから皆でかかれば何とかなるわ…て冗談言ってる場合じゃないのよ。

 力任せじゃなくて頭を使ってちょうだい。
修を呼ぶ時は必ず宗主か当主と呼んで責任を呼び覚ますのよ。 
立場を自覚させるの。 

 修はいつも修である前に宗主だの当主だのという責任を優先させる人だから、修個人に戻らない限り相手が仇であっても暴力は振るわないし、穏やかなままよ。」

 あ…そうかと史朗は思った。それで笙子さんでも止められるわけなんだ…。
そうだよな…いくら強くても女の人だもんな…。

 「ちなみに私なら…やめなさい!…の一言で済むけどね。 」

 笙子はうふふ…と笑った。
やっぱり修さんより強いんだ…と史朗は考え直した。

 「修が分かってやってる場合は別に止める必要は無いわ。
そこのところの判断をあなたに任せるしかないの。

 修の症状は黒田さんも知っているし、多分…雅人くんなら気付いているから、本当にどうしようもない時は協力してもらって。 これは冗談じゃないわよ。 」

 笙子はそれだけ伝えると、じゃあ…よろしく…と言って職場へと戻っていった。

 あの違和感の正体はこのことなんだろうか?
宗主の修と修という個人…その違いが微妙な違和感となって表れたのだろうか?

 それとも唐島に対して無理に優しく接しようとする修の心の矛盾の現われなのだろうか?

史朗はその疑問を拭い去れないまま急ぎ職場を後にした。





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三番目の夢(第十八話 不測の事態 -追われる男-)

2005-09-16 17:42:06 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 輝郷の許可はすぐに下りた。
この間のことで修は藤宮学園に対し、お詫びの代わりに受験塾拡張のための資金の名目でそれ相応の寄付を申し出た。

 嫌なうわさのもとを祓ってもらえる上に、労せずして資金まで調達できたのだから輝郷の機嫌がいいのは当たり前だ。
 勿論、他の父兄やOB、賛助会員の手前、異常と思われるような額を提示することはできないが、それでも群を抜いている。

 理事長室を祭祀に使われることぐらい何の問題があろうか。
たとえ派手にぶっ壊されたとしても、修ならすぐに改装の手配をするだろう。

 こういうところだけ見ると輝郷という人は計算高い嫌な男のように思われるが、これはあくまで学園の経営者としての輝郷のやむをえない姿である。
 実際には、本当に必要なことのためには私財を擲ってでも取り組もうとする教育者としての姿の方がその人となりをよく表していた。

  

 「先生のことを家族に聞いてみたんだが…身体の方は全く問題ないらしいんだ。
ま…長い病院暮らしで少々なまってはいるらしいが、少しリハビリすれば教壇に立てるくらいの健康状態だ。

 あのぼんやりする症状さえなければなあ…。 」

 宇佐はいかにも残念そうに言った。
目の前を例の看板親爺がスマートに通り過ぎた。看板親爺はその巧みな話術で若い女性客にもてているようだ。

 「なあ…修。 もしもあの症状がなくなったら職場復帰できるだろうか?
何しろ先生もそんなに若くないんで、学園が受け入れてくれるかどうかも気になるところなんだが。 」

 宇佐が修を覗き込むようにして小声で訊いた。

 「そうだな…それは…先生が元気になってからじゃないとなんとも言い難いね。
学園の就職事情までは僕にも分からないからな…。 」

修は困ったような顔をした。そりゃあそうだ…と宇佐は思った。

 「何のお話…? 」 

看板親爺が笙子を案内してカウンター席まで連れてきた。

 「よう。 笙子。 久しぶりじゃねえか。 相変わらず色っぽいな。 」

宇佐はそう言うとグラスにワインを注いだ。

 「修お待たせ…。 」

 そう言いながら笙子は修と軽くキスを交わした。やれやれというように宇佐が笑いながら肩をすくめた。

 「宇佐ちゃん元気してた…? 随分シェフらしくなっちゃったじゃないの。 」

笙子はにっこりと微笑みながら宇佐に訊いた。

 「元気してたよ…。 おまえ少しは修の奥さんしてんのか? 」

 「うふふ…。 ほとんどしてない。 だって忙しいんだもの。 」

 修を見ながら笙子は笑った。修は苦笑した。 
宇佐は笙子のために特別なオードブルを出した。
 
 「おいしい~。 さすがね。 宇佐ちゃんいい腕。 」

 「惚れなおしたか…? 」

笙子は艶っぽい笑みを浮かべた。宇佐は笙子のために自慢の腕を振るっていた。

 「そうね。 もう少しお料理をいただいてから考えるわ…。 」

美しく盛られた料理を前に笙子はご機嫌で答えた。
 
 宇佐の作った料理をおいしそうに食べる笙子の横顔を修は黙って見つめていた。
他人が思うほど笙子は修をほかりっぱなしにしているわけではない。
 世間で言うところの良い奥さんとはどんなものかは知らないが、修にとっては笙子は十分世話女房と言える。

 「なあに…修? あ…これ欲しいんでしょ? はい…お口を開けて…。 」

 笙子は料理の中のブラックオリーブを修の口に運んだ。
別にそれが欲しくて見てるわけじゃなかったが修は素直に従った。

 「うふふ…。 修はね…オリーブが好きなのよ。 
オニオンスライスとトマトのサラダなんかにたっぷりのっけてあげると喜ぶわ。」

 はいはいご馳走さま…と宇佐は思った。思いながら安心した。
仲間内のうわさでは笙子のとんでもない悪妻振りが伝えられていたが、見たところこの夫婦は巧くいっているようだ。

 特に修の眼…とろけそうで見ちゃいられないぜ。
宇佐の知り得る限りでは高等部の時にはすでに先生も仲間も公認のふたりだった。その後どんな紆余曲折があったか知らないが、これほどひとりの女に惚れこんでいられるものだろうか。

 考えられんね…俺には…。
宇佐はまたやれやれと言うように首を振った。
 


 叔父貴彦が風邪から復活したお蔭で、先週あたりの地獄の忙しさからは一応解放された修は着々と準備を整えつつあった。

 四人組には毎晩鬼面川式護身修練をさせていたし、理事長室からは部屋が吹っ飛んでも問題ないように重要なものだけを移動させ、史朗と黒田にはコラボの段取りを付けさせた。

あとは…唐島。
あれから修は毎晩のように唐島に電話をした。
唐島は挨拶以外の言葉を発しなかった。ただ修の話す声を聞いていた。
それだけでほんの少しの間だけ唐島の心から恐怖が薄らぐ。

 お人よしと言われようと馬鹿と思われようとそれで救われる人がいるんだからよしとすべきだ…修はそう考えた。



 金曜日。受験塾が終わり四人はそれぞれのクラスから出て下駄箱のところで落ち合った。今夜は総仕上げをする予定だった。

 正門のところで紫峰家の車が待っていた。四人は急いでそちらへ向かった。
夜間警備の人たちが門のところで立ち話をしていた。  
 
 『それじゃあ大山先生は無事だったんだな。 』 

 『ええ…予定より早い列車に乗られたそうで…。 』

偶然彼らの会話が耳に入った。

 『さっきまで連絡待ちの先生がひとりで待機しておられたんですが、無事と分かって職員室を閉めて帰られたようです。』

 四人は顔を見合わせると回れ右して職員室の方へ向かった。
すでに校舎は暗く職員室にも人の気配はなかった。 
雅人が透視を試みた。唐島の気配を追った。
学校を出たことは確かなようで雅人は少しほっとした。

 ところが隆平が妙な気配を感じると言い出した。
雅人が唐島の気配を追うと違う気配が同じ方向に感じられると言う。
 四人は急いで車に戻ると修に連絡した。修はすぐに帰宅するよう命じた。
そして帰宅後は屋敷を出るなと釘を刺した。



 連絡待ちのために職員室にひとり残った時、唐島は言いようのない不安に襲われたが、幸いなことに河原先生もあの怖ろしい死霊たちも現れなかった。
 警備の人がうろうろしていたせいもあるかもしれないが、何にしてもあれを見なくて済んだだけ有難い事だった。

 簡単に食事を済ませ、風呂を済ませ、新聞を見ながらいつしかうとうとし始めた。どのくらい経ったのか何かの動く気配がして目が覚めた。

 顔を上げると正面にあの若い男が…。唐島は叫ぼうとしたが声にならなかった。
口から出たのはただうーうーと唸るような声だけ。

 逃げようと後ずさりするが身体がこわばって思うように動かない。
青白く冷たい表情を浮かべ男は次第に迫ってくる。

 何故…? 修はここはまだ安全だと言っていた。
史朗も…史朗は学校では絶対にひとりになるなと言った。
はっと思い当たったのは連絡待ちのために職員室でひとりきりになったこと。
でも何事も起こらなかったじゃないか…。

 唐島は必死で動こうとした。死霊に物をぶつけたところでどうしようもないのだろうが、持っていた新聞を投げつけて見たりもした。

何とか這いずるようにして姉の遺影のところまで逃げた。

 姉さん…姉さん…助けてくれ…こいつを消してくれ…。

 男は唐島に手を掛けて唐島の中へと入り込もうとしていた。
全身が凍りつくような感覚を覚えた。
もはや唸り声さえも出せず、喉の奥でヒューヒューと音だけが鳴った。

 だめだ…もう…がんばれないよ…。
ごめん…ごめん…修くん…。

 玄関の扉がけたたましい音を響かせて開いた。
誰かが無言のまま唐島の方へ向かってきた。 

 その人の手が太陽のように鋭く輝いた。
今まさに唐島の中に入り込もうとしている男にその手を触れた。

男はもんどりうって倒れ唐島から離れた。

 その人の後を追うようにもうひとりが駆けつけた。
激しい勢いで文言を述べるその姿から史朗だと分かった。

 「御大親の御名において…去れ! 」

史朗が触れると男は苦悶の表情を浮かべながら消えていった。

唐島はぜいぜいと肩で息をした。

 「大丈夫…? 遼くん…。 」

唐島は驚いて顔を上げた。修が心配そうに見つめていた。

 「修くん…きみ…来てくれたんだ…。 本当に…護ってくれたんだ…。」  
 
唐島は覚めやらぬ恐怖に怯え震えていた。

子どものようなその姿を見て修は穏やかに微笑んだ。 






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三番目の夢(第十七話 ひとりじゃない…)

2005-09-15 16:54:02 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 朝から何度も顔を合わせたが、透も雅人も隆平もそして晃に至るまで唐島とはあの話をしなかった。唐島も聞きたい気持ちを抑えているのか話かけてこなかった。

 全く普段と変わりない1日が始まり、そして終わった。

 史朗の忠告を守って、唐島はできるだけひとりにはならないように努めた。
ひとりになれば必ずまた河原先生に逢うことになる。先生だけならともかく御伴している連中が怖ろしい。
特別な力を持たない唐島はとにかく自衛策に出るしかなかった。



 雅人を始め四人組は午後の授業を早引けし、紫峰家の迎えの車に乗ってそのまま紫峰家の祈祷所に向かった。

 祈祷所の修練場では修と木田彰久が待っていた。
死霊との戦いでは鬼面川が最もその力を発揮する。

 祭祀能力に優れた史朗とは違って自らに霊力を持つ彰久から紫峰や藤宮の者でも使えそうな業を少しだけ伝授してもらうことになっていた。

 四人は丁寧に彰久に挨拶をした。礼儀には厳しい人だと聞いている。

 「修さんにご指導頂ければ…僕などが偉そうにしゃしゃり出るようなことではないのですが、修さんが是非にと申されまして…。」

彰久は何処までも丁寧な人だった。

 「死霊などを扱う場合にはわざわざ憑依させて対処する場合もありますが…これは皆さんには危険度が高いのでやめておきます。

 隆平くん…きみには少し心得があるので手本になってもらいましょう。
先ず気を付けなければならないことは、間違っても自分が取り付かれないようにすること…。 」

 紫峰の修練で習ったことはほとんど生きている人間の魂に関することなので、死霊相手では逆効果になったりするということを彰久から教わり、雅人も透も今更ながらにぞっとした。

 あのまま戦っていたらとんでもないことになったかもしれない。
修が絶対手を出してはならないと釘を刺したわけが分かった。

 丁寧で穏やかな態度とは裏腹に彰久は修練に関しては厳しい人で、初歩の簡単な業を教わっただけなのに、終了した時には四人ともふらふらだった。
 
 「皆さんはある程度力を持った方ばかりですから、この程度で一応は身を護ることくらいはできますでしょう。
 今回の場合、皆さんのお仕事は戦うことではないようですので護身を中心に講義致しました。 」

 彰久はにこやかに終了を告げた。
四人はまた丁寧にお礼の言葉を述べた。

 「それにしても、生霊と死霊のごっちゃまぜとは奇怪ですね。
史朗くんなら巧く引き離すでしょう。若いけれどあの人の祭祀は確かです。」

 彰久は修にそう語った。
彰久とていま30代に入ったばかり、修などさらに幾つか年下でありながら史朗のことを若いというのは、彰久の前世鬼面川将平の亡くなった齢がかなりの高齢だったからである。

 修、彰久、史朗には千年前の記憶が残っていて、時々会話がタイムスリップしたりするので、聞いているほうは戸惑うことが往々にしてあった。
 
 「僕もそう思います。 あなたの祭祀も絶品ですが…。 」

修は彰久に惜しみない賛美を送った。彰久は上品に目を細めた。
 
  「修さん…。 あなたは器用だから紫峰でありながら、藤宮の力も、鬼面川の力もある程度はお使いになれます。 
 今回はどうして他人任せになさるのですか? 」

彰久は率直に問うた。

 「それは彰久さん。 餅は餅屋の例えありでしょう。 」

そう言って修は笑みを浮かべた。なるほど…と彰久も微笑み返した。

 彰久はそれ以上のことは聞こうとしなかった。
修が言わないこと言いたくないことは彰久にとっては聞かなくていいことだ。 
 親友の在り方は人それぞれだが、修は彰久のそういう割り切ったところが特に気に入っていた。
 
 わざわざ講義に来てもらった彰久を鄭重にもてなした後、修は西野に命じて自宅まで送り届けさせた。

 

 高校生にもなった男の子が四人も部屋でごろごろしていると、紫峰家の居間であっても結構狭く感じられる。足の踏み場もない。

 まさにゾウアザラシのハレムだな…と修は笑った。

 いま四人は宿題や今日休んだ分の受験塾の課題と戦っている最中なのだが、敵は滅茶苦茶手強そうだった。

 「そう言えば…さっき彰久さんが言ってたけど…修さんて藤宮や鬼面川の力まで使えるんですか? 」

 晃が急に思い出したように訊いた。皆の目がいっせいに修のほうに向けられた。

 「少しだけね…。 紫峰は藤宮とは昔から時々婚姻関係を結んでいたからね。
当然、藤宮の血は僕の中にもあるだろうね。

 鬼面川に学んだのは…はるか千年も前のことさ。だから彰久さんが言うほど使いこなせているわけじゃないよ。
祭祀の所作や文言なんて僕にはまったく分からないし…。 

 だから僕は傍観を決め込むつもりだ。 」

修はそう答えた。

 「おまえたちだって今回は戦うわけじゃない。
外部との接触を完全に絶つための壁になってもらうだけだからね。

 内ふたり外ふたり…分担を決めておいてくれ。 」

二人組ね…四人は互いに顔を見合わせた。

 「面倒だから同じクラス同士でいいよ。 僕と透で外。 隆平と晃で内。
そんなんでどう? 」

雅人がそう言うと三人も異議なしと答えた。

 はるがみんなのために夜食を運んでくると子どもたちはハイエナのように群がった。軽く夕食をとったとはいえ、実質八時間に及ぶ特別修練であっという間に吸収されてしまっていた。
子どもたちの勢いに押されてはるは大至急追加を用意するために台所へ走った。

 その食べっぷりに感心しながら自らは夜食を断り、修はひとり部屋に戻った。

 

 携帯のその番号を選択するだけで修は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
いっそメールで済まそうかとも思ったがこの間のことがあるから悪戯と勘違いされても困る。

数回の呼び出し音の後、唐島の返事をする声が聞こえた。

 「修です…。 今…よろしいですか? 」 

 『修くん…この間は見舞って下さって有難う…。お蔭で助かりました…。 』

唐島の嬉しそうな声が返ってきた。

 「用件だけ申し上げます。 
今週土曜日の夕刻6時に理事長室へ来て頂けますか?
その頃なら部活動なども終了していると思いますが…。  」

修は淡々と用件を述べた。

 『理事長室…? なぜ…? 』

唐島は訝しげに訊ねた。

 「河原先生の件で…。 」

 『…。』

唐島の声が一瞬途絶えた。修には唐島の心の中にある恐怖が読めた。

 「遼くん…? 」

 『ごめん…修くん…虫のいいお願いなんだけど…少し話していて…。
僕の声…聞きたくないのは分かってるから…僕黙ってるから…。
何でもいいんだ…一分でもいい…。 』

 未知の恐怖に怯えている唐島の姿が浮かんだ。
あの部屋でひとりで…生霊と死霊の迫り来る恐怖に耐えている。
気が狂いそうになるほど怖いのに…誰にも言えない…。

 「遼くん…そこにいれば安心だから…。あいつらはまだそこへはやってこない。
ちゃんと眠るんだよ。 眠らないとまた倒れてしまうよ。

 大丈夫…護っているから…僕が護っているから…。

 遼くん…ひとりじゃないよ…。 」

 言ってしまってから修は自分が口にした言葉に驚いた。
携帯の向こうで唐島の押し殺したような泣き声が聞こえた。 

 『有難う…有難う…修くん。』

携帯は修ではなく唐島のほうから切れた。 

 「お人好し…。」

 扉の前で雅人が言った。
雅人ははるに頼まれて修に飲み物を運んできたところだった。
それを机の上に置くと不満げに唇を尖らせて修と向き合った。

 「どうして? どうしていつもそんななのさ? ほっとけばいいじゃん。
取っ付かれようが殺されようがあなたに関係ないじゃないさ。
どれほど酷い目に遭わされたか忘れたわけじゃないでしょ…。 」

雅人の目が潤んでいた。修は悲しい笑みを浮かべた。

 「もう…いらいらするよ。 見ててつらくなるよ…。 」

 雅人は大きな身体で修の首に抱きついた。
修は受け止めたが雅人の重量のせいで仰向けに倒れこんだ。

 「重いぞ…雅人…。 子どもみたいに…。 」

 「子どもだもん…。」

 雅人の頭を撫でてやりながら修は言った。

 「なんかさ…ほっとけない性質なんだよね…。 
自分でもあほかと思うようなこともあるけど。 
やっぱり…ほっとけないんだ。 」

雅人は溜息をついた。

いいよもう…それで…。僕がちゃんと見ていてあげる。
あなたが傷つくことのないように…僕がホローしていくよ。

ふと史朗の顔が目に浮かんだ。

あの人も…きっとそうするだろう。

笙子さんや黒ちゃんやあなたを愛するすべての人があなたを護るよ。

あなたはもうひとりじゃない。

ひとりじゃ…ないよ。





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三番目の夢(第十六話 逃げない!)

2005-09-14 17:50:26 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 史朗が姿を現した時黒田は正直驚きを隠せなかった。

 あの笙子の愛人というからには、女を手玉にとっていい目を見ようとしているドンファンタイプか、あるいは子どもっぽいアイドル系美少年かと想像していたのだが、史朗はごく普通の青年だった。

 顔立ちも姿も優しいが決してなよなよしているわけではなく、凛としてしっかりと芯の徹った印象を受けた。時々見せる屈託ない少年のような笑顔が魅力的だ。
 
 史朗は黒田を紹介されると黒田の協力に対して自分から感謝の気持ちを表した。
彰久と違ってそれほどの力がないので、黒田の助力を得られることになって大変心強いということを気負うことなく言った。

 黒田も遠隔で生霊とコンタクトを取った経験は一度しかないので、あまり自信はないのだが力を尽くすと約束した。

 修が多喜に命じて用意させた昼食が終わる頃には黒田と史朗はお互いにすっかり打ち解けていた。世間話…仕事の話…本題とは違う話で盛り上がった。

 「じゃあ…その告白ってやつは笙子さんの悪戯だったのか? 
残念だったねえ…修くんよ。 」

黒田はくっくっと喉を鳴らして笑った。

 「僕は知ってたけどね…。 」

 「僕…本当に自分が酔っ払って馬鹿なことを仕出かしたんだと思ってましたから…滅茶苦茶恥ずかしかったですよ。 」

史朗は頭を掻いた。

 「んで…史朗ちゃんの本心はどうよ? やっぱ好き? 」

黒田は史朗の顔を覗きこむようにして訊いた。

 「そ…それは…ですね。 」

史朗は赤面してしどろもどろになってしまった。

 「黒田…苛めんな! いいよ。 史朗ちゃん…。 」

黒田は眉を上げ肩をすくめて笑った。

 「さてと…俺はそろそろお暇するぜ…。 決行の日が決まったら知らせてくれ。
都合をつけるから…。 史朗ちゃん…またな。 」

そう言うと黒田は立ち上がった。
 修が玄関まで送ろうというのを、それほど偉いさんじゃないよ…と断って、黒田はひとりさきに帰っていった。



 後に残った史朗は多喜が後で運びやすいように使った食器を整えていた。

 「きみの…大切な心…笑い話にしてしまってよかったの…?  」

史朗の姿をじっと見ていた修が訊いた。史朗の手が止まった。 
 
 「馬鹿みたいだ…僕。 笙子さんに操られて言わされてただけだったなんて…。
笑ってもらった方が気が楽じゃないですか…。 」

史朗の胸の痛みが修にも伝わってきた。

 「聞かせてくれない…? もう一度。 僕…また真剣に答えるから…。 
このままじゃ…心が痛いでしょ? 」

史朗は驚いたように修を見た。
あの時も修ははぐらかさないで真剣に返事をくれた。

 「でも…修さんには不快なことだって…分かってるし…。 」

 「聞いたの…? レイプのこと…。 そう…それで気を使ってくれてるんだ。」

 修はしばらく黙って考えていたが、可笑しくてたまらないとでもいうように突然笑い出した。史朗は呆気に取られて修を見た。

 「あのさ…史朗ちゃん。 史朗ちゃんだけじゃなくて皆もそうなんだけど、僕に対してちょっと気を使い過ぎ…。 僕はそんなに感傷的な人間じゃないんだよ。

 あれはもうはるか昔のことで…勿論忘れられないし…つらいときもあるし…発作も起こしたりするけど、そんなことばかり四六時中考えて生きてやしない。
はっきり言ってやってられないぜ…そんなこと。

 今は唐島が現れたんで一時的に心乱れてるだけなの…。 」

修はさらに笑い続けた。そんなものだろうか…と史朗は思った。

 「僕はいつも前向き…悲観的に物事を考えるなんてまっぴらだね。
楽しくないだろ…そんなの。 人間だからさ…時にはドカンと落ち込むけどね。」

 多喜が片付けに出てきたので修は食堂を出て居間の方へ移動した。
史朗も後に従った。

 「唐島だってね。 まだ15~6歳くらいだったんだよ。善悪の区別はつく年頃だけど性には目覚めたばかりの頃さ。
 だからって許されるもんじゃないけど、もし僕が同じ年齢だったらもっと違った形になってたかもしれないって…そう思ったりもしてるんだ。
甘いかもしれないけどね。 この頃やっとね…。 」

 お人好し…と史朗は思った。
だけどそこが修さんをほっとけないところだよね…。きっと皆そう思ってる。
ほっといたらあなたが…また傷ついてしまいそうで…。 

 「史朗ちゃん…。 いい場所見つけたぜ。 」

修が唐突に言った。

 「はあ…? なんですか…藪から棒に…? 」

急に話を変えられて史朗は戸惑った。

 「だからさ…。 祭祀の場所だよ。 人目につかない静かな場所。 」

修は悪戯を考え出した子どもみたいな笑みを浮かべた。

 「あそこなら絶対さ。 誰も入って来ないしね。 広さも十分だ。
ちゃんとした祭祀ができるよ。 」

 よくは分からないが要するに学校内に祭祀のできる場所が見つかったということらしい。

 「祭祀ができれば…僕としては問題ありません。
後は相手の状況を見て判断するだけです。 」
 
 史朗はそう答えた。

 「そろそろ僕もお暇します…。 前もって黒田さんに逢えてよかったです。
急に息を合わせるのは難しいですからね。 」

 そう言って史朗は微笑んだ。短い時間会話を交わしただけだったが、どうやら黒田とは呼吸が合いそうだと感じた。

 「それじゃあ修さん…連絡…お待ち…」

 史朗の顔のすぐ前で修がそっと身をかがめた。一瞬の出来事だった。夢だ…と史朗は思った。
 
 「近いうちにね。 唐島も限界だろうから…。 」

無意識に頷いて史朗はぼーっとしたまま修の屋敷を出た。



 夕べから一睡もできていない。目を閉じるとあの怖ろしい光景が浮かんで。
唐島は自宅の居間に座り込んであの出来事を考えていた。

 河原先生のことを同僚の先生に聞いてみた。
二年も前に倒れて入院しているという。じゃあ…あれは…本当に生霊なのか?
この学園に来てからずっと自分は生霊と話していたというのか…?

 背筋に冷たいものが何度も走った。
あの現場に自分が一人きりでいたらどうなっていたのだろう。
紫峰の子と理事長の息子が協力して護ってくれていなかったら、自分はあの死霊たちに取り殺されていたのだろうか?

 去年、一昨年に体調を崩して辞めた先生たちというのは唐島と同じように河原先生に会ったのだろうか? それが原因で病気になったのだろうか?

 それにしてもあの子たちは何故自分を護ってくれたのだろう。
見舞いに来てくれた修といい、子どもたちといい、紫峰の人々の行動は唐島にとっては腑に落ちないことばかりだった。

 誰にも言えないし、誰にも聞けない…怖ろしくてもどうすることもできない。
本当に夢と思えたらどんなに楽だろう。

 唐島はふと小さな修を思った。あの時…小さな修はどうしたのだろう。
相談する人も頼る人もなく…ただ黙ってひとり耐えたのか…。 

 自分も子どもだったとはいえ、感情を抑えられないあまりに何も知らない修に思いのありったけをぶつけてしまった。

 よく考えるべきだったんだ…修の年齢のことを…何より修の気持ちを…。 
これはきっと罰だ…。

 唐島は頭を抱えた。学校の外なら安全だと雅人が言っていた。
それでも恐怖はつのる。
 大の男がだらしないと言われればそれまでだが、死霊の恐ろしさは見た者でなければ分かるまい。

 だが…この罰には耐えなければならない。逃げ出すことは許されない。
逃げようと思えば逃げられるけれど…。学校を辞めれば済むことだけど…。

僕は逃げたりしない。

修には逃げる道すらなかったのだから…。




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三番目の夢(第十五話 発作再び)

2005-09-12 23:54:30 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 日曜日。 外出を禁止されている三人はそれぞれの部屋にこもっていた。
はるがしっかり見張っていても、やろうと思えば抜け出すことは簡単だが、抜け出そうという気さえ起こらなかった。

 ノックする音が聞こえて透はドアを開けた。黒田が立っていた。

 「叱られたんだってな。 はるさんに聞いたぜ。 」

 父親の顔を見るとどうしてだか涙が出てきた。
こいつの前では絶対泣くものかといつもは思っているのに…。

 「宗主の自覚なんてもう全然頭になかったんだ…。 

 ふたりで紫峰を継ぐようにと、修さんが命懸けで僕と雅人を三左の悪巧みから護ってくれたのに…僕はその重みをすっかり忘れてしまっていた。 

 修さん…初めてだよ…あんなに怒ったの…。 」

 だろうな…と黒田は思った。相伝の前であれば修もただ物事の良し悪しだけを教えておけば良かった。
 だが後継者と決まった者にはそういうわけにはいかない。宗主・後見は一族を背負って立つ存在だ。自ずと抱える責任が変わってくる。

 「肝に銘じておくんだな。 いずれおまえたちも次世代に伝えていかなければならないことだ。 」

黒田はそう諭した。透はうんと頷いた。

 「ところで肝心な修は何処へ? 」

 夕べ夜中近くになって修は帰ってきた。確かに屋敷の中にはいるはずである。
洋館の方にでも行っているのではないかと黒田に伝えた。



 黒田が洋館を訪ねると修はまだベッドの上で眠気と格闘していた。
普段早起きで身繕いもきちんとしている修が珍しく半裸の寝乱れた姿のままで。
バスルームからベッドに直行したところで力尽きたか…。
黒田の来訪にも気付いている様子はない。

 あまりのハードスケジュールにさすがの修もダウン寸前か…。
黒田は少し治療をしてやろうと修の傍らに近付いた。

 修の身体に触れた瞬間、修は悲痛な声を上げ飛び起きた。
正気じゃない…と黒田は感じた。
反射的に腕を振り上げ黒田に襲い掛かろうとした。
 
 黒田も身体の大きな男である。
暴れる修の身体を抱きとめてしっかりと押さえ込んだ。

 「修! しっかりしろ! 俺だ…黒田だ! 」

 逃れようともがく修の身体をさらに黒田が押さえつけた。
黒田でなければ簡単に跳ね飛ばされていただろう。

 「落ち着いて…修。 大丈夫…何もしない…。 そうだ…いい子だ…。 」 

次第に修は覚醒し始めた。動きが緩慢になり、やがて止まった。

 「修…分かるか…。 」

黒田がそう声を掛けると修は黒田の顔を見つめた。

 「黒田…? 怪我しなかった…? 僕…暴れただろう? 」

修は不安げに訊いた。
 
 「俺は大丈夫だ…。 」

黒田は言った。安心したように修は頷いた。

 「ねえ…黒田…重いよ…。 」 

 言われて黒田も気が付いた。修の上から自分の身体をどけた。
修は起き上がって溜息をついた。

 「ずっと治まってたのに…。 」

 「俺が不用意に黙って触れたのが悪かったのさ。 声を掛けるべきだった。
不意打ちでなければ普段は平気なんだろ? 」

そう訊かれて修は頷いた。

 「今はもう…ほとんどね。 嫌な時もあるけどだいたい我慢できる。
こちらから触れる時や相手が触れてくることが予測できる時には…。

あと…子どもたちが触れるのはだいたい平気だ。気配で感じるから…。 」

 そうか…と言って黒田は立ち上がった。

 「宇佐くんとは長い付き合いだろ? 今みたいなことはなかったのか? 」

 「宇佐? 宇佐は不用意に僕に触れるようなまねはしないよ。
あいつは誰にもそんなことはしない。 殴り合いの喧嘩の元だからな。

 彰久さんは礼儀の鬼だから…相手に失礼のないように必ず少し距離を置く。

 それにこのふたりと僕の間には性的な意味合いは全く存在しない。
お互い親友と呼び合う仲で寝食をともにしたこともあるけど、そういう意識は皆無だね。
彰久さんなど千年も前からそうだ。 」

修は楽しげにふたりのことを語った。

そいつぁ健康的なお付き合いで何よりだね…と黒田は思った。

 ベッドと反対側の椅子に腰を下ろすとベッドの上の修を見上げた。

 「さて…修くんよ。 落ち着いたところでそろそろ河原先生とのコンタクトをどうするのか決めてくれんかな。 」

 黒田は話題を変えた。
修は多分何時までも過去の傷に触れられているのは嫌だろうから。

 「すでに子どもたちの失敗の話は聞いているとは思うが、河原先生の生霊には何人かの霊が憑依していることが分かったんだ。
 
 当然、邪魔な霊たちを追い払う必要があるので、史朗ちゃんに祭祀をしてもらいながらのコンタクトになるが黒田としてはどうよ…?
やりにくくはないかな? 」

 「つまり…この俺に鬼面川の坊やとコラボをせよと…? 」

黒田は唸った。

 今まで同族とはともに協力しあったことはあるが、他の一族とのコラボレーションは初めてのことだ。
 
 しかも相手は鬼面川…藤宮ならまだ種としては近いし、どこかで血も繋がっているからやりやすいだろうが、鬼面川は勝手が違いすぎる。

黒田はしばらく考えていたが、分かったというように頷いた。  

 「やってみましょう…そのコラボ…。 結構面白いかもしれん。 」

 「じゃあ…今度オフィスの方へ史朗ちゃんを連れて行くよ。 
前もって一度逢って話した方がいいだろうからね。 

それとも今からここへ呼ぼうか…。 」

 修はベッドから降りるとテーブルの上から携帯を取った。
史朗は夕べと同じで自宅のマンションにいた。
すぐにこちらへ向かうと返事をくれた。

 「鬼面川の坊やは…笙子さんのツバメちゃんだろ? 」

黒田が訊くと修は笑みを浮かべた。

 「史朗ちゃんは笙子に囲われている訳じゃないよ。 仕事はできるし、生活も乱れてはいない。 笙子と対等に渡り合えるいいパートナーさ。 」

手早く着替えながら修はそう話した。

 「妬かないのか…修? 」
 
 「妬いたって仕方ないよ…。 僕にとっても可愛い存在だしさ…。 」

黒田は訝しげな顔をして首を傾げた。

 「おまえともできてるってか…?  おまえ…が…? 」

 「できてないけど…できるかもしれないって話だ。 告白されてしまったからな…。 」

修がそう言って笑うと黒田は肩をすくめた。

 「あり得ねえって話じゃないが…なかなか難しいぞ…修よ。
おまえ自身が本気になんねえとな…。 

 情にほだされてなんて関係じゃ…傷つくのはまたおまえ自身だ。 」

黒田は老婆心から修に忠告した。修の顔から笑みが消えた。

 「黒田…僕はいい加減な気持ちで人を抱いたりはしないよ。
何を考えているのか分からない相手に抱かれるつらさは…よく分かってる…。 」
 
ぎゅっと噛み締めた修の唇が怒りに震えていた。
 
黒田は何も言えずただ視線を逸らした…。 





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三番目の夢(第十四話 きみを選んだ)

2005-09-11 23:47:18 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 家に戻った途端、三人ははるの怒りの声に迎えられた。

 「なんということをなさったのです! 宗主のお留守中に! 」

 三人はそのまま奥の座敷へ連れて行かれた。多分藤宮本家から連絡があったのだろう。晃が父親の輝郷に白状させられたに違いない。

 座敷では祖父一左が待っていた。さすがに笑っていない。

 「ただいま帰りました。 」

三人は正座して祖父に挨拶をした。
 
 「少し…悪戯の度が過ぎたな。 」

三人を見据えながら一左は落ち着いた声でそう言った。
三人は畳に視線を落とした。
 
 「御大…申しわけございません。 はるの不行き届きでございます。 」
はるは手を突いて詫びた。はるは一左が三人に雷を落とすだろうと思っていた。 

 「隠居の身に何も言うことはない。 宗主に任せておけばよい。 」

 予想に反して一左は穏やかに言った。
座敷の襖のところで西野が修の帰館をを告げた。

 修の姿が襖の前に現れると、一左は宗主である修に上座を譲るべく座を移ろうとしたが、修はそれを断るように手で制した。
修は三人には一瞥もくれず先ず祖父に向かって帰館の挨拶をした。

 修はゆっくり三人の方へ振り返った。
雅人の前で片膝つくような姿勢をとると手を上げた。
殴られる…と雅人は思った。 

 だが修の手はそっと雅人の頬に触れた。

 「怪我は…ないか?  」

修は心配そうな声で訊いた。

 「ありません…。 」

消え入りそうな声で雅人は答えた。修は安心したように頷いた。

 「そうか…他の二人も大事無いか? 」

ふたりとも顔を上げることができず、はいとだけ答えた。

 「透! 」

 修は厳しい口調で透を呼んだ。
いつもの優しい修さんではなく完全に宗主の顔になっている。

 「はい。 」

怯えた声で透が返事をした。

 「おまえは次期宗主だぞ! 暴走する雅人を止めるのがおまえの務めだろう!
同調して愚かな振る舞いに及ぶとは何ごとだ!  」

 はるも西野も自分の耳と目を疑った。修が透を厳しく叱咤している。
いつもなら透を穏やかに諭す修が…。

 「紫峰に起きる事はすべて宗主の責任だ! たとえおまえ自身が何の関与もしていなかったとしても、起きてしまった事に対する責めを逃れることはできない。

それなのに、その宗主がことを起こした本人になってどうするのだ! 」

 「申しわけありません! 宗主の自覚が足りませんでした! 
すべて僕の責任です。 藤宮へもお詫びに伺います。 」

透は手を突いて謝った。

 「透を叱らないで下さい。 僕がやりました。 僕が計画してみんなにやらせました。 透のせいではありません。 」

雅人が訴えるように言った。

 「いいえ…僕があの霊たちのことを黙っていればよかったんです。
ついしゃべってしまったからこんなことに…。」

隆平が涙声になっていた。

 「雅人…勿論おまえが悪い。 後見は常に宗主の立場を考えて行動しなければならない。 宗主が危うい立場に陥らないように配慮してこその後見だ。

 宗主を謝りに行かせるようなことをしでかしては、とても後見の務めを果たしているとは言えん。 」

 「ご免なさい。 本当にご免なさい。 」

雅人も畳に顔をこすり付けるようにして謝った。

 「隆平…鬼面川の祭祀を学んだおまえがこの世に未練を残した霊の恐ろしさを知らぬはずはあるまい。

 これまでのおまえなら絶対に勇み足などしなかっただろうに。

 たとえ紫峰の家の子となっても鬼面川の教えを忘れてはいけない。
このふたりが誤った行動を取ろうとする時には身を呈してでも止めよ。 」

 「はい。 そう致します。 」

修は再び祖父の方へ向き直ると平伏して宗主として長老への詫びを述べた。

 「宗主…藤宮への対処はどうなっているのかね? 」

祖父はそれが一番気になるとでも言うように訊ねた。

 「はい…先ほど藤宮本家当主にお詫びを申し上げて参りました。
快くお許し頂きましたが…それなりのことを手配致します。 」

安心したというように一左は微笑んで頷いた。
 
 「唐島の…先生のことは…。 」

 雅人が一番気になっていることを訊いた。紫峰の力と鬼面川の力を見られてしまった。もしこのことが世間に知れたら…。

 「その点は大丈夫だ。 目撃者が唐島だけだったことに感謝するんだな。
唐島なら立場上、確かでないことを不用意にしゃべったりはしない。 

 すべてが終わったら記憶を消しておく…。 」

あなたに関する記憶は…とはさすがに訊けなかった。



 ひとり早めの夕食を済ませると修はまた何処かへ出かけていった。
海外出張から帰国したばかりだというのに休む間もなく。

 雅人は騒ぎを起こして修を怒らせてしまったことを悔やんでいた。
事を起こした張本人の雅人のことならともかく、修が透をあんなに激しく叱責するとは思わなかった。

 透はいま宗主の責任の重さを改めて考えさせられて自責の念にかられ、部屋に閉じこもってしまっている。

 隆平は隆平で自分が余計なことをしたせいだと思い込んでしょげてしまった。
それもこれもすべて雅人が招いたことだと思うと申し訳けなかった。

 きっと晃も父親に厳しく叱られたんだろうな…。悪いことをしてしまった。
雅人はそう思って晃の携帯にメールを送った。

 すぐに返信があった。
いつもの調子で『だいじょ~うぶす! 気にすんな!(^^)! 』と書かれてあった。
雅人の口元が思わず緩んだ。



 ひとりきりの部屋で雨の音を聞きながら史朗はぼんやり考えていた。
あの幽霊たちを一先ずその場から追い払ったものの、河原先生に憑いている者たちだとすれば、河原先生とともにまた舞い戻ってくるだろう。

 きちんと対処するには祭祀の場を設けなければならないが、学園にも河原先生の入院している病院にも人目につかない場所なんてありえない。
 彰久なら祭祀をしなくても持っている力で何とかなるかもしれないが…。

 突然、インターホンが来客を告げた。  
覗き窓の向こうに修の姿があった。史朗は慌てて玄関のドアを開いた。

 「お帰りなさい。 修さん。 お疲れさまでした。 」

史朗は思わずそう言った。言ってしまってからどこかおかしいとは思った。

 「ただいま。 史朗ちゃん。 」

修は笑いながら史朗に合わせて、本場の紹興酒や茶葉の入った包みを手渡した。

 「子どもたちが世話になったね。 助かったよ。 」

 「そのことなんですけど…。 あ…汚いところですけどお座り下さい。 」

 史朗はさっきまで考えていたことを話した。
あの霊たちはどうも単なる事故死とか病死の人の霊ではないように思えること。
河原先生自身には憑依されているという自覚はないだろうということ。

 河原先生を利用して生きている人を自分たちの世界に引きずり込もうとしているのではないかということ。特に若い男の霊の力が大きいと感じたこと。 

 「正式な祭祀による見解ではないので自信はありませんが…。 」

史朗の話を聞いた修は宇佐から聞いた集団自殺の事件を思い浮かべた。

 「多分 史朗ちゃんの見解が正しいよ。 思い当たることがあるんだ。 」

そうでしたか…と答えながら史朗の表情が曇った。

 「修さん。 彰久さんの方が巧く対処してくださるのでは…?
僕には祭祀の力しかありません。 祭祀ができなくては…どうすることも…。 」

 彰久のように本人に力がある場合には祭祀の力など必要なく、ストレートに戦える。同じ結果を生むとしても便宜性が全く異なる。
悔しいが彰久のように身軽には戦えない。

 修はじっと史朗を見ていたが、やがてこぼれるような笑顔を向けた。

 「心配ないって。 彰久さんにお願いするなら最初からそうしているよ。
僕はきみを選んだの。 自信持っていいよ。 」

 そう言われても史朗は不安だった。
失敗したら…とんでもないことになる。
自分の失敗で自分が命を落とすのは仕方ないとしても、河原先生の命と唐島の命…ひょっとしたら修だって巻き込んでしまうかもしれない。

 そう思うと震えが止まらなくなった。歯の根が合わない。
自分の中の祭祀の力を信じることができなくなってきた。
暗闇の中に落ち込んでいきそうだ。

 あっと思った時、修の腕がしっかりと震える史朗を抱きとめた。

 「史朗ちゃん。 大丈夫だ。 きみは強い力を持っている。
彰久さんにも劣らない素晴らしい祭祀の力を…。

 僕がきみを選んだ。 きみだから選んだ…。  」
 
修はそう囁いた。

史朗の心臓が高鳴った。

史朗が身を強張らせると修はあっさり史朗から離れた。

 修に対しては身を尽くし心を尽くし…という想いがいつも史朗のどこかにある。
それはどれほど愛しく想っていても笙子には感じられないもの。

 笙子を蔑ろにしているわけじゃない。
笙子にだって身も心も尽くして仕えているつもりだ。
けれど…それ以上に…別のなにかが史朗の中にある。

いつか伝わるだろうか…伝えられるだろうか…。

この切ない想い…。




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三番目の夢(第十三話 迫り来る霊)

2005-09-10 23:22:14 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 肌を重ねた後の脱力感の中で史朗はぼんやり考え事をしていた。
笙子は早々にシャワーを浴びに行ったが、今夜は後を追う気がしなかった。

 こんなことをしている場合じゃない…という焦燥感が史朗の中にあった。
別に今どうこうしなければならない何かがあるわけではないのに、やたら気だけが焦っていた。

 星の数ほどいる遊び相手の中で笙子がなぜ史朗を選んだのかは史朗自身にも分からない。

 史朗が仕事上のパートナーとして認められたのは入社してから間もなくで、史朗の経営と営業の腕を見込まれてのことだった。

 勿論、当時の社員たちが会社を大きくするために力を尽くしたことは確かで、今はみなそれぞれに支店を任されたり、重役職に就いたりして出世はしているが、笙子の片腕となったのは新参の史朗だった。
 
 それをやっかむものがいなかったのは、史朗が入社前にずっとこの会社でアルバイトをしていて、当時の社員たちにその人となりを知られていたということや、史朗が入社とともに実力を発揮する機会に恵まれて実際に業績をあげたからだった。

 愛人という微妙な立場になったのはその後のことで、何時そうなったかというよりは、いつの間にかそうなっていたと言う方が的を得ている。

 「史朗ちゃん。 修から…。 」

 シャワーを終えた笙子が艶かしいバスタオル姿のまま電話の子機を手渡した。 
史朗は今の姿を見られているようで少しどきどきしながら受け取って返事をした。

 『遅くに悪いね…。 史朗ちゃんにちょっと頼みたいことがあって…。
隆平が生霊に重なるようにして別の魂を見たと言うんだ。 
 隆平は属性は紫峰だけれど、鬼面川の血を引いている子だから、死者の魂には敏感なのかもしれない。

 実は出張中なんで家のほうにはいないのだけれど、どうも子どもたちが余計なことをやりそうな気がしてね。
 できれば史朗ちゃんにそれとなく監視してもらいたいんだよ。 
勿論、仕事の合間でいいからさ。 』

 「いいですよ…。 でも修さん…何処から電話かけてるんですか?
随分…遠いような…。」

 『大連…。 叔父が来るはずだったんだけど…急遽代理で飛んできたんだ。 
三日ほどで帰るから…その間だけお願い。 』
 
 「分かりました。 お気をつけて…。 」

 『有難う…。 お楽しみのところ…お邪魔さまで・し・た!』 

 「お…。」

 史朗は真っ赤になった。冗談だとは分かっていても全身から汗が噴出しそうだ。
笑っている笙子を尻目に慌ててバスルームに飛び込んだ。



 黒田のオフィスでは四人組が情報交換の真っ最中だった。
学校と受験塾が終わると8時を過ぎてしまうのだが、藤宮の塾は学校と連携しているので他の塾に比べれば帰宅時間も早い方だ。10時過ぎなんてところもざらである…。
まあ…ここで油を売っていれば同じことなのだが…。
 
 月曜日からずっと唐島を見張っていたがなかなか河原先生が現れず、従って先生に重なって見える男女の影の正体も分からずじまいだった。

 「あれは死んだ人のものだよ。  」

隆平が絶対の自信のもとにそう言った。

 「隆平がそう言うのなら間違いないだろう。 だけどどうして僕等にはわからないのかな。 僕等もそうしたものを感覚で捉えられるはずなのに。 」

雅人は首を傾げた。相伝の修練の時に魂を感じることは嫌ほど訓練したはずだ。

 「河原先生がまだ生きているからだよ。 生きている魂のパワーに気配を消されているんだ。 鬼面川の血は死者の魂に敏感だから隆平には見えた。 」

透が思うところを述べた。

 「おお…透。 冴えてる~。 そういうことはあるかもね。 」

晃が拍手で応えた。

 「とにかく他の先生や生徒が傍にいたんでは手出しできないよ。
どうする? 」

 「困ったね。 河原先生は学校にしか出ないし…。 」

ギィ~ッとドアが開く音が響いて四人は一瞬ドキッとした。
黒田が顔を覗かせた。

 「おいおい。 いつまで遊んでるんだ。 もう11時近いぞ。 」

げげっ!とみんな慌てて時計を見た。

 「今日は俺も自宅の方へ帰るからついでに送ってやるよ。 急げ。 」

 黒田に急かされてみんな急いで部屋を出た。
部屋を出たところで黒田がオフィスに鍵をかけるのを見ていた雅人の脳裏にある考えが閃いた。

 教師なら休みの日でも教室の鍵を開けられる。
休みの日なら部活の生徒以外学校にはいないし、他の先生や生徒が来ないようなところへ呼び出せば…。

 修の名前を使えば唐島は必ず来るだろう。
唐島がひとりで待っていれば河原先生が現れる。
隆平がいれば河原先生と重なっている男女の霊の正体を知ることができるかもしれない。

 土曜日…なら午前の受験塾が終われば午後からは静かなもんだ。
特に他の教室から離れたところにある視聴覚室には誰も来ない…。

 そんな考えを黒田に読まれないように、雅人はできる限り他の事を考えるように努めた。



 昨日郵便受けに無造作に放り込んであった手紙を唐島は何度も見直して確認した。修からの呼び出し状だが、修は唐島のアドレスを知っているはずで、携帯を使えばわざわざ手紙を放り込んでいく必要などない。

 これは紫峰の子どもたちの悪戯だな…と唐島は思った。
悪戯にせよ何にせよ唐島を呼び出す以上は何か理由があってのことなんだろう。
唐島は乗ってやることにした。

 土曜日の午後…相変わらずのひどい天気で、昼食がようよう終わった時刻だというのに辺りは夕方のようだった。

 指定されたのは視聴覚室。2時少し前に唐島は鍵を持って職員室を出た。
視聴覚室の前で辺りを見回したがまだそれらしい影はない。
仕方がないので中に入って待つことにした。
 
 視聴覚教室の椅子に腰掛けて、ぼんやりしているといつの間にか河原先生が戸口のところに立っていた。

 「だいぶん元気になったようだね。 よかった。 」

にこにこと笑いながら河原先生は唐島に話かけた。

 「ええ先生。 お蔭さまで。 」

唐島も笑って答えた。

 「去年は学校に帰って来られなかった先生もいてね。みんな心配していたよ。」

河原先生は唐島の前の席に腰掛けながら言った。

 視聴覚室の扉の小窓から雅人たちはそっと中を窺っていた。
特に隆平は河原先生の生霊を観察していた。

 隆平にはいま、亡くなった人の気配が確かに感じられる。
しかし、どれほど目を凝らしても河原先生の身体の中にあの何人かの男女の姿はなかった。

 「おかしいな。 気配はあるのに…。 」

 隆平がそう思った時、雅人が背後に何かを感じて振り返った。
青い顔をした若い男女がすぐ近くまで迫って来ていた。

 「いけない! すでに河原先生の身体から離れて動き始めたんだ! 
みんな中へ! 」

 四人は視聴覚室へ飛び込んだ。
唐島の方を見ると唐島の背後にも若い男がいた。男は唐島のほうへ手を伸ばして唐島を襲おうとしていた。

 「先生! そこから離れて! 」

 隆平が叫んだ。反射的に唐島は場所を移動した。僅かに男の手が逸れた。
雅人は唐島を庇うようにしてさらに離れたところへと移動させた。

 「なに? 何なんだ? 」

唐島は訳が分からず訊いた。

 「先生が狙われてんの! ぐずぐずしていると憑依されるよ! 」

 悟がもどかしげに答えた。唐島は何かの悪戯かと思った。
しかし次の瞬間背筋が凍りつくのを覚えた。確かにいま目の前を青白い人間の手がよぎった。

 雅人が視聴覚室の一隅に結界を張った。唐島を囲んで四人が壁になった。

 「先生。 ここから絶対でないでね。 出たら最後命がないよ! 」

 透が言うと唐島は戸惑いながらも素直に頷いた。
死人のように暗い顔や手や足が部分的に現れては消え現れては消えた。
夢か…と我が目を疑ったがこれは紛れもなく現実のようだ。

 「河原先生は…? 」

視聴覚室の中を見回したが姿がなかった。

 「河原先生は今入院中なんだよ。 さっきのは生霊って奴。 」

雅人が言った。唐島の全身に鳥肌が立った。

 何人もの姿が今や四人にははっきりと見えた。
彼らは唐島の身体を求めてうろうろと彷徨っている。

 物凄い霊気を感じる。
鬼面川事件で戦った化け物とは勝手が違って幽霊との戦い方が分からない。

 隆平が何やら文言を唱え始めた。
幽霊たちがうろたえだした。

 確かに効果はあるのだが、隆平の力はまだ未完成で追い払うまでには行かない。
このままここに何時までも閉じ込められているわけにもいかないし、かといって動きが取れない。

 「このままじゃ拉致があかない。 
僕が囮になるからおまえたち先生を連れて逃げろ。 学校の外へ出れば安全だ。」

 そう言って雅人が結界をまさに出ようとした時、俄かに幽霊たちの動きが慌しくなった。

 激しい勢いで文言を唱えながら史朗が姿を現した。

 「現し身に仇なす者よ…天地にしろしめす御大親の御名において…この場を去れ! 」

 史朗が幽霊たちを指で示しながら命ずると、幽霊たちは我先に逃げまどい何処かへ姿を消した。
霊気が消えるとみんなほっと息をついた。

 「みんな無事かい? 」

史朗は心配そうに訊いた。

 「助かったよ。 史朗さん。 だけどどうしてここへ? 」

透が訊いた。

 「出張中の修さんから電話が入ったのさ。 
君たちが何かやらかしそうだから見張っててくれって…。
霊を相手にするのはプロでも命懸けなんだから安易に近付いてはだめだ。 」

 史朗は四人を叱った。
唐島に気付くと一瞬こいつか…というような顔をしたが、そこは大人、穏やかな態度を示した。
 
 「大丈夫ですか? 先生…。 」

 「ええ…有難うございました。 でも今の現象は…? 」

唐島が困惑したように問いかけると史朗はにっこり笑って言った。

 「夢…とお考え下さい。 誰かにお話になっても笑われるだけです。

 ただこの夢はまだ当分続きそうですから、学校内では決してひとりになってはいけません。 

 河原先生とは当分会話をなさいますな。 危険ですから。
今の段階では夢を少し遠ざけたに過ぎないのです。 」

 唐島は半信半疑ながらも頷いた。
史朗は指で唐島に護りの印を描いた。

 史朗に促されて学校を出た後もみんな興奮が収まらなかった。
唐島もみんなに礼を言うと早々に引き上げていった。
今夜はまた別の悪夢に魘されることだろう。

 史朗がみんなを送ってくれた。
雅人は車の中でも帰ってからもずっと無言のままだった。

 自分の考えた計画でみんなを危険な目に遭わせてしまった。
未熟さも省みず、浅はかなことをした。
そのことで雅人は自分をずっと責めていたのだ。

 史朗が来てくれなかったらどうなっていたか…。

 それだけじゃない…。 
宗主の許しもなく、紫峰の裏の力を一族の者ではない唐島に見せてしまった。
紫峰の後見としてあってはならないことだ。

一族のことがもし世間に知れたら大変なことになる。

雅人は自分の浅慮から一族全体を危険に晒してしまったことへの責任の重さを痛感していた。




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三番目の夢(第十二話 生霊に潜む影)

2005-09-09 22:09:16 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 唐島が復帰したのは翌週の月曜日だった。
病院での点滴のお蔭か、修の持ってきてくれたお手軽食のお蔭かは分からないが、取り敢えず食欲もでてきて身体がふらつくこともなくなった。

 職員室ではみんなが心配してくれていた。何しろ、この二年間に体調を崩して辞めた新任の先生が何人もいる。

 唐島が救急車で運ばれた時はまたかと誰もが考えたという。
無事復活ということで今回は理事長以下全員ほっと胸をなでおろした。

 唐島が職員室で授業の準備をしていると透がみんなの自習ノートを集めて持ってきた。唐島の休んだ3時間分のワークだった。

 「紫峰。 有難うな…。 きみが保健室まで運んでくれたんだってな。 」

唐島が礼を言うと透は少し照れたような笑みを浮かべた。

 「いいっすよ。 そんなの…。 」

 透は恥ずかしげにボソッと言うと教室へと戻っていった。
入れ替わりに隆平がワークを持って現れた。透も雅人も修に似たのか背が高いが、この少年だけは背丈も普通サイズで苗字も違う。

 「鬼面川…。きみは紫峰家の人じゃないのかい? 修くんと一緒にいたよね。」

隆平はにこっと笑った。

 「紫峰家ですけど…僕は遠い親戚なんです。 」

 「ああ…そうなんだ…。 」

 唐島にワークを渡した隆平は軽く一礼して職員室を出て行こうとしたが、何か引っかかるものを感じて振り返った。

 唐島自身に何かがあると言うわけではなかったが、唐島の背後に居る初老の男に目がいった。

 多分…河原先生なんだろう。他の先生には見えてないようだから…。
隆平には河原先生の姿に重なって何人かの男女が見えたような気がした。 

 やがて河原先生もそれらの人々も煙のように消えてしまった。
隆平は職員室から飛び出すと慌てて修にメールを送った。

『修さんの直感大当り。 河原先生はひとりじゃない。 』

 すぐに返信があって絶対にひとりでコンタクトしてはいけない…と注意書きが入力されてあった。
隆平はこの発見を雅人や透に伝えるために急ぎふたりのいる教室へと走った。




 梅雨の中休みか珍しく晴れてあちらこちらの庭やベランダに気持ちよさげに洗濯物がはためく中を、史朗は従兄の彰久の新居へ向かっていた。

 彰久は修の前世からの親友で、史朗にとっては霊的に親子の繋がりのある人だ。
笙子の妹、玲子と所帯を持ったばかりで、史朗は新居を訪ねるのは初めてだった。
藤宮の大学院で笙子と玲子の父陽郷の助手をしながら大学で講師をしている。

 「お聞き及びとは思いますが…。 」

史朗は話を切り出した。

 「例の高等部の怪談話ですか…?  理事長から少し…。 」

お茶を勧めながら彰久は言った。

 「はい…。 『醒』を使うやも知れません。」

 「おや…『醒』とは珍しい…。 では亡くなった人が相手ではないのですね?」

彰久はそう言って真顔になった。史朗は頷いた。

 「そうなのです。 所謂、生霊と呼ばれるもののようです。 
それで…彰久さんにご意見を伺いに…『醒』でいいものかと…。」

 「では史朗くん…。 できるだけ慎重に行動しなければいけませんよ。
場合によっては死に至らしめることもあります。 
先ずは相手の身体が魂の常駐に耐えられるかどうかを確認すべきです。
 
 身体的に問題がなければ良し。 問題があればそちらの治療を先に…。
それが無理なら…より弱い『覚』にとどめておきなさい。
一時的に現象を抑えることができます。

僕が教えてあげられるのはそのくらいです。 」

史朗は彰久の話を真剣に聞いていた。

 「分かりました。 ご指導有難うございました。 」

 史朗は丁寧に頭を下げた。
彰久はどう致しましてと言うように穏やかに微笑んだ。

 

 修の会社の近くにあるアンティークな珈琲専門店で宇佐はじりじりしながら修が現れるのを待っていた。

 受付嬢に修の所在を訊ねたところ会議中だという。
しかも、修に会うためにはわざわざアポイントメントとやらを取らなくてはならないらしい。うそだろ…と宇佐は思った。

 『重役職以上の場合ですと時間の調整上やむをえないことでございまして…。』
なんてことを言われ体よく追い返された。

 仕方なくメールをいれるとこの店を指定してきたのだが、会議が長引いているのか一向に現れなかった。
 『これでコーヒーが美味くなかったら全額払わせてやるぞ…。』
目の前の洒落たコーヒーカップ手に取りながら宇佐は思った。

 コーヒーは結構美味かった。それで一先ずほっとした。
落ち着いて考えてみれば修は、あの馬鹿でかい会社を支配している大きな財閥の総帥の後継者で、政界の要人とさえ面識があるくらいだから、仕事中に友達だからといって簡単に面会できるわけもなかったのだ。
『肩が凝るぜ…ったく…。』

 宇佐が首を鳴らしているとようやく修が姿を現した。
美しいお姉さまとかっこいいお兄さまつきで。

 「すまん宇佐。 待たせたな…。 」

 修が宇佐の向かいに座るとアルバイトのお姉さんが飛んできた。
修のところへは直接寄らず、修についてきたお兄さまたちの席へ向かった。
お姉さまの携帯は引っ切り無しに鳴り、お兄さまも休むことなくどこかと連絡を取り続けている。

 「で…どうしたんだ? 」

修に訊かれて、向こうの席のお兄さまたちに気を取られていた宇佐ははっと我に返った。

 「ああ…。 実はさっきとんでもないことを聞いたので急ぎ飛んで来たんだ。
河原先生の病気のきっかけになった事件があってな。 」

 宇佐は今日先生の見舞いに行っていたのだが、そこでやはり見舞いに来ていた親戚の人から話を聞いたという。

 河原先生は昔、他所の学校で教師をしていた。
その教え子の中の何人かが先生の影響で教師になったことを、先生はとても嬉しく誇らしく思っていたらしい。 

 河原先生がそうであったように教え子たちも生徒に評判のよい先生ばかりで、それも先生の自慢だった。

 ところがその中のひとりが突然服毒自殺してしまった。
しかも単独でではなくネットで集まった自殺願望の若者たちと一緒に。
理想と現実のギャップにひどく悩んでいたという。

 河原先生にとってはショッキングな出来事だった。
若者を諭して自殺を止めるべき立場の者が一緒に自殺してしまったということで、その先生は世間から随分非難されたらしい。

 その事件がきっかけで体調を崩した河原先生は自宅で急に倒れてそれ以来ずっと入院生活を送っている。

 「とまあ…そんなことがあったわけだ…。 」

宇佐は聞いてきたばかりの情報をそのまま修に伝えた。
  
 修は自分で注文することもなく運ばれてきたコーヒーを一口飲むとふ~っと溜息をついた。

 「責任を感じていたんだろうな…。 河原先生のせいではないのに…。 」

 「だからな…。俺は先生の症状は身体からきてるもんじゃないと思うわけよ。
素人だからよく分からないけれども、ひょっとしたら何かのきっかけで復帰できるかもしれないってな…。 」

宇佐は希望的観測を述べた。

 「修さん…そろそろ。」

向こうの席から声がかかった。

 「ごめん…また店のほうへ行かせてもらうよ。 寄ってくれて有難うな。」

修は立ち上がった。あまりに忙しそうなので、宇佐は呼び出して悪いことしたな…と思った。

 「いいや…かえって邪魔したな。 」

 修がじゃあな…と言う間もなくふたりは次々と何かを報告をしている。
修は真剣な顔でいちいち頷いている。
宇佐と話している間に入った連絡の内容なんだろう。

 出入り口のところで修はちょっと振り返り手を振った。
ほんとにせわしない奴だ…と宇佐は思った。

 勘定を済ませようとアルバイトのお姉さんを呼ぶと支払いはいつの間にか終わっていた。聞けば、修がここを利用する時には相手に払わせることがないように前もって手配がなされていると言う。
やれやれ…手回しの良いこと…宇佐は肩をすくめた。



 とにかくその週は忙し過ぎて修も河原先生どころじゃなかった。
総帥である叔父の貴彦が風邪で寝込んだために、ありとあらゆる仕事がまわってきて、そのすべてをこなさなければならなかった。

 取り敢えずは絶対に手を出さない約束で、透、雅人、隆平、晃の四人に唐島の監視を任せ、異常があればすぐ知らせるように指示した。
勿論、四人には本分である勉強の方もしっかりやるように申し渡したが…。

好奇心旺盛な四人組…。

若気のいたりでつい…ということも考えられる。

修の胸に一抹の不安がないでもなかった…。





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三番目の夢(第十一話 奇妙な三角)

2005-09-08 16:06:16 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 黒田の事務所の長椅子の上に仰向けになって修はぼんやり天井を見ていた。
会社帰りとはいっても時計はすでに0時を廻っていて、残業を終えた身体は鉛のように重かった。

黒田は修の傍に腰掛けると修の額に手をあてて目を閉じた。

 「修…これ以上無理をすると内臓にくるぞ。 若いからといって油断するな。」

黒田の大きな手が胸に腹に腰にと順番に触れた。

 以前、息子同然に育てた冬樹を失って憔悴しきった身体で、透の相伝のために断食の潔斎を行い、さらに透の修練の犠牲になってぼろぼろ状態だった修の身体を黒田が治療してくれたことがある。

 それまでずっと自分の治癒能力に頼ってきた修だったが、それ以来、時々黒田に治療を任せるようになった。

 修の身体は不思議と黒田には大きな拒絶反応を示さないようで、何処に触れられても黒田にパンチを食らわしたことはない。
 我慢できない時には黒田のほうで気が付いてくれて対処してくれるので余計なことを話さずに済む。

 河原先生の件を頼むためにメールを送ったあと、遅くなってもかまわないから寄ってくれという返信があり、立ち寄った途端、強制的に治療を受けさせられた。

 「透と隆平が藤宮へ遊びに行った帰りに頼んでいったんだ。 
おまえが相当参っているから何とかしてやって欲しいってね…。 」

修は相手が黒田だという安心も手伝ってうとうとしかかっていた。
 
 「さあ…もういいぞ。 身体が少しは軽くなったろ? 」

修は夢見心地で頷いた。治療の終わるこの瞬間のまどろみがなんとも心地よい。

 「坊や…。 ほらしゃんとして…。 はい…抱っこ。 よっこらせ! 」

 黒田は居眠りする子どもを抱き起こすように修を抱いて起き上がらせた。
特に嫌がる様子もなく修はされるがままだ。

 「あ~肩がすごく楽になった。 助かったよ黒田…。 
この頃スポーツジムにも行けなくてさ。 調子悪かったんだ。 」

 修は肩に手をやりながら言った。

 黒田は世間的には実業家だが紫峰一族の間では治療師として名が売れていた。
勿論一族の間だけの内緒の仕事である。

 「そうか…。 そいじゃご褒美にキッスでもしておくれ。 」

 黒田はからからと笑いながら言った。
透の実父である黒田は自分の代わりに透を育ててくれた修に恩義を感じていて、できる限り修のためにいろいろ便宜を図ってくれる。
15歳ほども齢は離れているが結構友達としていい関係にある。

 「きれいなお姉さんからじゃなくていいの? 僕はお兄さんだけど…。 」

 「ま…できりゃあな…。 だけど俺は差別しない主義! はい…ここに。 」

 黒田はほっぺたを指差した。修は笑いながらキスをした。
黒田が相手だと修は抵抗を感じることなく触れられる。

 修は唐島のことがなくてもとても幸せとはいえない幼少期を過ごしてきた。
黒田はできるだけ修の失われた幼年期から少年期を取り戻させようと考えている。 幼少年期の通常の親子に見られるような自然な行動を心がけてするように努めていた。

 「それで…河原先生の件なんだが…やってみてもらえるかな? 」

修がそう言うと黒田はうんうんと頷いて見せた。

 「藤宮の輝郷さんに依存がなければ…俺としては別に問題ないよ。
巧くいくかどうかは分からんがねえ…。 」

 修はほっとしたような表情を浮かべた。
黒田は時間も遅いので泊まっていくように勧めたが、笙子のマンションに行くからと断って黒田のオフィスを後にした。
 



 玄関の鍵をかけてしまうと修はふらふらとリビングへ行き、クッションのような柔らかい座椅子に身体をもたせ掛けてそのままうつらうつら眠ってしまった。

 修が帰ってきた音に気付いた笙子は寝室から出てきたが、修がすでに寝息を立てているので起こさずにいた。
 
 「史朗ちゃん…そこの毛布取って…修寝ちゃったから。」

寝室から史朗が姿を現した。

 「だめですよ…笙子さん。 ちゃんと寝かさないと…疲れがたまっちゃいます。
修さん…さあ…ベッドまでがんばって…。 」

 史朗は修に呼びかけてから手を引いた。修はうとうとしながら言った。

 「いいよ史朗ちゃん…。もう…眠くて動けない。ベッドは…君が使って…。
僕…もう…寝る…。 」

修は完全に寝てしまった。笙子は笑って毛布を掛けてやった。

史朗は溜息をついた。

 「寝るわよ…史朗ちゃん。 」

 「修さんをここに寝かせて僕がそちらって訳にはいきませんよ。
僕もここでいいです。 笙子さんはどうぞそちらへ…。 」

笙子はやれやれと言うように肩をすくめると寝室へ戻っていった。

 笙子が行ってしまうと史朗は修の傍に横になった。
修の寝顔を見つめながらよほど疲れてるんだろうな…と思った。

 普通なら夫と愛人が寝室で出くわしたなんてことになったら流血ものだろうが、修は史朗がいても別段どうということはないようで、今までに騒ぎになったことは一度もない。それどころかいつも史朗に優しい。
 
 史朗の方も決して修を蔑ろにするようなことはしない。いつも修を立てて控えている。修のことを本心から大切に思っている。

 本当に不思議な関係だ。他じゃちょっとありえないだろうな…。
あれこれ考えているうちに睡魔が襲ってきて史朗もいつの間にか眠ってしまった。

 
 

 ベーコンの香ばしい匂いがキッチンに漂った。
笙子が食卓の用意をしている傍で史朗が手早くベーコンを焼き、スクランブルエッグを添えて皿に盛る。
 
 体調が悪いのかいつもは早起きな修が珍しくまだ眠っている。
笙子がそっと起こしに行った。

 目が覚めた時史朗は、修の毛布の中で修に寄り添うようにして寝ている自分に気付いて赤面した。

 いつの間にか修が布団も掛けずに寝ていた史朗を毛布に入れてくれたのだ。  
あれだけくっついて寝ていたんじゃ修さん相当つらかったんじゃないのかな…?
悪いことしちゃった…そんなことを考えた。
 
 「あら…大丈夫よ。 史朗ちゃん。 この人子育てに慣れているから添い寝は問題ないの。 」

 笙子が笑って言った。 読まれた…と感じて史朗はまた赤面した。
さっきからチラチラと修の様子を窺っていたので、笙子が史朗の心を読んだのだ。

 修がシャワーを浴びている間に笙子は修の着替えを用意してやった。
史朗は笙子が結構まめに修の世話をすることに気が付いて少し意外に思った。

 寝過ごした修は挨拶もそこそこに史朗の作った朝食を掻っ込むと慌てて部屋を飛び出して行こうとしたが、行きしなに史朗に声を掛けた。

 「史朗ちゃん。 ひょっとしたら、鬼面川の力が必要になるかも知れないからよろしく頼むよ。 詳しいこと笙子に聞いといて。 」

 それだけ言うと本当に飛ぶかと思うような勢いで出かけていった。
史朗は呆気に取られてただ頷いただけだった。

 「せわしないわねえ。 ごめんね。 史朗ちゃん。 」

 笙子は今までの藤宮学園での出来事を掻い摘んで話し、取り敢えずは黒田に手助けを頼んだのだが、場合によっては史朗の力が必要になるかもしれないことを伝えた。

 「生きた人の魂ですか…? 鬼面川でも少しは扱いますよ。
亡くなった人の魂の方が専門ですが…全然できないってことではありません。 」

史朗は言った。

 「紫峰でも藤宮でもそれぞれ少しは心得があるのよ。
でも、ほとんど専門外なのよね…。 
とにかく鬼面川にも手を貸してほしいと修は思ってるわけ…。 」

笙子がそう伝えると史朗は快く承諾した。



 縁あって親族となった三つの家はそれぞれ異なる特色を持っている。

 魂だ祖霊だと言ってはいても紫峰と藤宮は基本的には超能力者の集まりで宗教色が薄く、そういった分野にもたまには関わるという程度にとどまっている。
 紫峰と藤宮は戦闘と守護、死と生に関する奥儀を継承している一族である。特に紫峰は戦闘と死に、藤宮は守護と生にその力を発揮する。

 史朗の属する鬼面川は宗教色が割合に濃く、祭祀の所作や文言に宿る霊力を使って亡くなった人たちの魂を鎮めることを主な役割りとしている。
鬼面川の奥儀は魂の救済に関するもので他の二つの家とは大きく異なる。
 
 河原先生が単独の場合は黒田の力だけでもコンタクトが可能だろうが、おそらくそれだけではないというのが修の見解だった。

 未だ相手の存在さえつかめない状態の中で、何が起こるかも予測できないため、できる限り備えだけは万全にしておきたいと考えた。
何しろ場所が学校であるだけに何か起きた場合には犠牲者の数も半端じゃない。

 少なくとも三つの家の力が揃っていれば、大概の不測の事態には対処できるはずである。

とにかく安全第一ということで輝郷には了承を得た。

後は唐島が再び職場に戻るのを待って行動に移す。

仕返しはしないと言ったが囮くらいにはなってもらいましょう。

修はそんなふうに思っていた…。




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三番目の夢(第十話 弱音)

2005-09-06 23:29:35 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 修の暖めてくれた粥を、唐島は何とか胃におさめた。
食欲よりは修への気持ちがそうさせた。
 
 「食べてくれたね…。 良かった…。 」

 修はそう言うと盆を下げた。
誰かが洗い物ををする台所からの水音を唐島は久しぶりに聞いた。
むつみがいるような気がした。

やがて姿を現した修は時計をチラッと見た。

 「さてと…僕はこれで帰るよ…。 
携帯に送信しておくから、何かあったら連絡して…。遠慮しなくていいから。 」

唐島は急いで起き上がった。

 「ありがとう…。 来てくれて…嬉しかった…。」

修は微かに微笑んだ。

 「じゃあね…。 お大事に…。 」

 そう言って修が部屋を出て行こうとするのを唐島の手が縋るように止めた。
殴りつけたい衝動を修はやっとの思いで堪えた。相手は病人なのだと必死で自分に言い聞かせた。
 
 唐島は何か言いたげに唇を動かした。
修はゆっくりと唐島の手を自分の身体からはずし、その瞬間に何本もの筋を描く手首の傷を見てしまった。
 
 「遼くん…。 もう…いいよ。 僕は何も聞きたくないし、知りたくもない。

 心配しなくていいよ。あなたを職場から追い出すような馬鹿な真似はしないし、
あなたの出世や将来の妨げになるようなこともするつもりはない…。 

 仕返しなんて考えてやしないから…。」

唐島は違うというように首を横に振った。

 「好きだったんだよ…。 悪戯なんかじゃないんだよ…。 」

修は耳を塞いで背中を向けた。
今さら弁解など聞きたくもなかった。

 「理由なんかどうでもいいよ…。  」

修は後も見ずに唐島のマンションをを飛び出した。



 マンションの立ち並ぶその辺りは、雨ばかりが勢いを増してほとんど人気もなく、街灯の明かりの下で帰宅途中の何人かとすれ違っただけだった。

 近くの路上に止めておいた車の前で雅人が待っていた。
修のことが心配で後を追ってきたのだろう。
雨の中、修が戻ってくるのをただ待ち続けていた。

 「雅人…。 」

 修の姿を見つけると雅人は嬉しそうな顔をした。
修はそっと雅人の肩に額を寄せた。

 「つらいよ…。 雅人…。 」

修の口からそんな弱音を聞いたのは初めてだった。

 「もっと話して…。 楽になるから…。 誰にも言わないからさ…。
我慢しちゃだめだって笙子さんが言ってたでしょ。 」

 覗いてたな…そう思って修は苦笑いした。

 雅人は透視能力に長けているが、まだ笙子のように十分な抑制力が効かない。
見たいものだけでなく、見るつもりのないものまで透視してしまうことがある。
勿論、故意に覗いていることも多々あるけれど今回はたまたまだろう。

 修は大きくひとつ溜息をつくと雅人に微笑みかけた。

 梅雨時は気温が不安定でひどく肌寒い時がある。
雨に打たれながら外で長時間待つには今日は少し堪える日だった。
雅人の身体が冷え切っていた。

 「寒かったろうに…。 何か飲んで帰ろうか…? 」

雅人はただ笑って見せた。

 車の窓という窓があっという間に曇って外気の冷えを物語っていた。
通りすがりのコーヒースタンドでふたりは暖を取った。

 「取り敢えずはこれで一安心だ…。
唐島が河原先生にも他の連中にも憑依されていないことが分かったよ。 」

 修は煮立ちすぎてやけどしそうなくらい熱いコーヒーに顔を顰めながら言った。
雅人はきょとんとして修を見た。

 「修さん…。 そんなことを調べるためにわざわざ先生のところへ行ったの?」

今度は修の方がえっ?という顔をした。

 「他に何の用事があってあいつのところへ行くんだよ? 
倒れたって言うからてっきり憑依されて体調を崩したのかと思ったのさ。 」

 修は鼻先で笑った。
雅人はほっと息をついた。

 「僕は…病人の世話をしに行ったのかと…。 
だって修さん…人がいいからさ。 先生のことほっとけないかも…って思った。」

修はちょっと首を傾げて言った。

 「う~ん…お粥食べさせてきちゃったし…。 世話と言えば言えるような…。」

雅人は呆れて天を仰いだ。

 「やっぱやってんじゃん…。 ほんとお人好しなんだから…。 」

修は何処でそうなったかなあ…と頭を掻いた。

 この少しばかり頓珍漢なところがあればこそ、修は極限まで落ち込まないで済んでいる。悩んで悩んで悩みぬいても前向きでいられる。
決して何時までも泥沼にはまり込んだまま甘んじていたりはしないのだ。

 「ねえ…河原先生の魂と話はできないの? 
彰久さんとか史朗さんに頼めば魂を呼べるでしょ? 」

 雅人の問いかけに修は首を横に振った。

 「鬼面川の祭祀は亡くなった人の魂に関するものが多いんだ。
紫峰の招霊は祖霊に限られているし、藤宮もほとんどは祖霊を対象にしている。

 生きている魂を呼ぶとなるとどの家の力も少々勝手が違うんだよ。
だけど…これは僕の思いつきに過ぎないけど…もしかすると黒田にはそういう力があるかもしれない。
長いこと眠れる魂と話をしていたのだからね。 」

修は言った。

 「ありえるよ。 黒ちゃんなら…。 」

 雅人は同感と言うように頷いた。透の実父である黒田は雅人と同類で多彩な能力の持ち主だ。

 特に病気や怪我などを治癒させる能力に優れているが、かつて修たちの祖父一左が弟三左の暴挙のせいで自ら魂を封印せざるを得なくなった時に、封印された一左の魂と直接接触した数少ない能力者の一人である。 

 修は黒田ならもしかしたら、巧く河原先生と接触できるかもしれないと直感的には思っていた。
 
 ただこれは藤宮の管轄の事件なので紫峰としては勝手に紫峰側の要員を増やすことは出来ない。折を見て輝郷に持ちかけてみようと考えた。
 
 河原先生が何を望んでいるのかが分かれば解決の糸口になるだろう。
ただし、動いているのが河原先生本人の魂だけであればの話だが…。

 唐島の病気は心因性のものだろうが、以前に辞めていった教師たちは何故体調を崩したのだろう?

 河原先生が憑依しなかったとするならば河原先生を見た恐怖だとでもいうのか?
しかし、唐島は今でも河原先生が生霊だとは気付いていない。

 恐怖は気付いてこその恐怖ではないか?
教師たちが気付かぬままだったとすれば、いったい何が彼等に影響したのだろう。

 修の頭の中でいろいろな疑問が行ったり来たりしている。
簡単そうに見えて案外複雑なのかもしれないな…。

先ずはやはり黒田の件を急ぐことにしよう…と修は思った




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