徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

三番目の夢(第九話 見舞い)

2005-09-05 23:58:39 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 「おまえほど家と外の違う人間はいなかったよ。 」

宇佐は修のためにコーヒーを淹れながら言った。

 「天衣無縫とか豪放磊落とか言われながら、思わぬことをやらかしては学校中を沸かせているというのに、家に帰ると穏やかで静かでまるで100歳の祖父ちゃんかと思うような落ち着きはらった態度…俺はたまげたね。 」

修は微笑んで、宇佐の差し出したコーヒーカップを受け取った。

 「おまえには随分助けてもらったよな。 透たちの面倒もみてもらったし…。
おまえがいてくれたから僕は留学できたようなものさ…。 」

 「なあに…俺だっていろいろ助けてもらっている。 お互いさまだ。 
ところで…その後先生の様子を聞いているか? 」

 宇佐は河原先生のことが気になっていた。
開店して間もないこの店は宇佐がひとりで切り盛りしているため、なかなか見舞いにもいけずじまいだった。

 「息子さんに訊いた所では、わりとお元気なようなんだが…。
僕も何やかやで直接には伺ってはいないものだからね。 」

 そう答えながらも修には少し気になることがあった。
宇佐には言えないが、学校に河原先生が出現するということはその時には河原先生の魂がぬけて来ているということになる。

 魂のぬけた体の方は意識がないに決まっている。
はっきりしている時とぼんやりしている時があるというのはそのためだろう。

 先生は故意に離脱して学校へ来ているのだろうか?
学校へ帰りたいという思いがそうさせているのだろうか?
 何故…生徒ではなく教師に語りかけるのだろうか?
これは本当に先生の意思なのだろうか…?

 疑問が湧いては消え、湧いては消えするけれど、直接河原先生の魂と対面できなければ聞くことさえできない。
 
 「どうした? 黙りこんで…。 」

宇佐が声をかけたので修ははっと我に返った。

 「ちょっと考え事さ。 相変わらずいろいろあってね…。 ]

 「全くせわしない奴だぜ…。 」

宇佐は笑って言った。



 唐島が入院したことを修は2日ほど経ってから透に聞いた。
雅人や隆平もそのことは知っていたのだが、修には言わなかった。

 「ただの疲れだって他の先生から聞いたよ。 何度か点滴したらしいけどね。
今日あたりから自宅へ戻っているだろうって。 

 でも先生さ。 帰ってもひとり暮らしなんだよね。 
ちょっと前にお姉さんが亡くなったって言ってたらしいから…。 」

 繊細なわりには鈍なところのある透は、雅人なら絶対口にしないような唐島の話を修に聞かせた。
 隆平がまずい…というように顔を顰め、雅人の口がへの字に曲がった。
おいおい…話すか普通…。そんな話…誰が聞きたいかよ…。

 「そう…気の毒に…。 」

修は穏やかにそう言った。

 「復帰は来週になりそうだってさ…。 」

含むところなくそう話す透に修は笑顔で頷いた。

 唐島の姉のことを修は思った。むつみというその少女は清楚な美しい人だった。
身体が弱くて、ちょっとしたことで重い病気に罹ってしまうのだと聞いていた。
 
 「そうか…むつみさん…亡くなったんだ…。 」

修は小さく呟いた。

 「遼くん…とうとう…本当にひとりになってしまったんだね…。 」

 感慨深げにそう言うと修はしばらく黙って物思いにふけっていたが、仕事があるからと言って先に自分の部屋へ戻っていった。
その後姿を雅人は誰よりも不安げに見つめていた。



 点滴のおかげで楽にはなったものの、家へ帰ってもただ寝ているだけの唐島だった。病院の帰りに少しは食料を仕入れてきたものの、作る気にも食べる気にもならずただ寝ていたいだけだった。

 玄関のベルが鳴った時にはいっそ出るのを止めようかとも思ったが、学校関係者だと申し訳ないので、ふらつく身体に鞭打って玄関までたどり着いた。

 覗き穴から外を見た唐島は、そこに見えている懐かしい顔に心臓が飛び出るかと思うほど胸が高鳴った。

急いで扉を開けた。花やら何やら荷物を抱えた修が立っていた。

 「修くん…。 」

 「入ってもいいかな…? 」

 唐島は頷くと修を中へ招き入れた。
修は真っ直ぐ部屋の小さな文机においてある写真の前に行き花束を捧げた。

 「むつみさんに…。 知らなかったから遅くなったけど…。 」

 「ありがとう…。 喜ぶよ…。 」

 情けないことに唐島は自分の身体を支えていることが辛くなっていた。
修に椅子を勧めようとしたが、足元が覚束なくて倒れかかった。

 修の身体がそれを支えた。唐島に触れた時、修は全身に悪寒が走るのを感じたが何とか堪えた。
 
 「寝ていて…遼くん。 本当はかえって迷惑かと思ったんだけど…。
遼くんひとりじゃ買い物もできないだろうから…。 

 僕は料理ができないので…レンジでチンすれば食べられるやつばかりかってきたけど…。 あとスポーツドリンクとか…そんなんでごめんね…。 」

修は唐島をベッドに寝かせてやりながら修は言った。

 「修くん…僕は…僕はね…。 」

 「あんたの話を聞きたいんじゃない! 
そんなことのためにわざわざ来たわけじゃないんだ! 」

 突然激しい口調で修は怒鳴った。怒鳴ってしまった自分に驚いて思わず手で唇を押さえた。唐島は何も言えなかった。

 「ごめん…。 何か…温めてきてあげるよ…。 食べてないんだろう? 」

修は買い物袋の中からレトルトのかゆを取り出した。

 修が唐島のために食事を用意してくれている。
それがどんなものでも唐島は心の底から有り難いと思った。
 今は喉まで出かかった弁解の言葉を飲み込むしかない。 
修が聞く気になってくれるまでは…。

 「こんなものでごめんね…。おかゆと梅干…。定番過ぎて馬鹿みたいだろ。」

 修は笑顔を見せながらそう言った。唐島は首を横に振った。
修が暖めてくれたおかゆを口にしながら修の視線を痛いほど感じていた。

 修の真意がどこにあるのかは分からない。

けれども、ほんの少しだけ歩み寄ってくれたようで嬉しかった。

自分の知っている小さな修がそこにいるような気がした。

ほんの一瞬だったけれども…。





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三番目の夢(第八話 成り行き任せで)

2005-09-04 23:29:20 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 毎日雨が降り続いて鬱陶しい季節になった。
これまでに何人もの先生たちから修の思い出を聞かされた。

 紫峰家の子どもたちが三人まだこの学校にいるとはいえ、先生たちの記憶がこれほど鮮明なのは、やはり修がそれほど印象深い少年だったからだろう。

 あの華奢な修がまるで別人になってしまったかのように人々の口から語られる。
豪快で恐れを知らないとか、入学早々に三学年すべての覇権を握ったとか、そんな豪傑像がほとんどだが、時には後遺症かもしれないと思われるような行動もある。

 河原先生の言っていた闇の部分が語られるたびに唐島の胸は痛む。

 それを察してでもいるかのように、河原先生は唐島の話をよく聞いてくれる。
今は一線を退いて学校の手伝いのようなことをしていると先生は言っておられたが、現役でないというのは残念なことだ。
 こんな先生に教えてもらえたら生徒は幸せだろうなといつも唐島は思う。



 雨脚があまりに強くなったので、久しぶりにオフィス街の近くにある大通りを歩いていた唐島は少々後悔していた。 

 研修の帰りに買い物を思い出して寄り道したのだが、急ぎじゃないので何もこんな天気の悪い日にわざわざ来なくてもよかったのだ。

 横を行く車が通りしなに水しぶきを引っ掛けていった時には大きな溜息が思わずこぼれた。

 ふと目をあげると、通りの向こうから傘を差した男女がこちらへ向かってくるのが見えた。女性の方に見覚えがあった。

 「紫峰…さん? 」

思わず声をかけてしまった。女性は驚いたように振り向いた。

 「あら…先生。 今お帰りですか? 」

女性は嫣然とした笑みを浮かべて唐島を見つめた。
傍にいた男が何事かと言うようにふたりを見比べた。

 「透くんたちの学校の先生よ。 史朗ちゃん。 修の古い知り合いなの。 」

そんなふうに唐島のことを紹介した。

 「紫峰さん…少しお伺いしたいことがあるのですが…。 」

唐島は少し迷いながらも笙子にそう言った。笙子は頷いた。
ああそれじゃ先に行っていますと男が言うのを引き止めて笙子は言った。

 「史朗ちゃん。 修のことなの。 あなたも聞いておいた方がいいわ。 」

唐島は一瞬えっ?と思ったが断る理由もなかった。
 
 通り沿いの小さな喫茶店に三人は移動した。
注文を取りにきたウェイトレスが行ってしまうと、唐島はおずおずと話し始めた。

 「藤宮へ来て以来…いろいろな先生から修くんのことを聞きました。
楽しいうわさばかりで嬉しかったのですが…時折、心配なことを耳にしたので…。 僕のしたことが…修くんに…特にご夫婦に災いするようなことを引き起こしているのではないかとそう…思い悩んでいました。 」
 
 今度は史朗がえっ?と言うような顔をした。
笙子は表情ひとつ変えもせず、唐島の話を聞いていた。

 「高校時代に猥褻な本を見せられてひどく嘔吐したことをお聞きになったのね?
確かに…何もないと言えば嘘になりますわ。 興味本位に描かれたその手のものは今でもだめです。 嘔吐はしませんけど…。 」

 ええっ?と史朗はまた思った。

 「あなたがたった12歳だった修にどんなことをなさったのか知りません。
ただそのために修が今でも苦しんでいるのは事実です。

 あなたにお話しする義理はありませんけれど、私どもの閨房に関してはご心配していただかなくて結構ですわ。 」

 笙子ははっきりと唐島に言い渡した。唐島は何度も非礼を詫びた。
唐島が本心から修のことを心配していることは笙子にも分かった。
だからと言って許せることではないし今更何なのという気持ちもある。
 
笙子は史朗を促して喫茶店を後にした。 唐島はずっと詫び続けていた。

 「笙子さん。 何なんです? 何があったんですか? 」

 訳が分からずに史朗は笙子に訊ねた。笙子はそっと史朗に耳打ちした。
史朗の顔色が変わった。

 「そんな…酷い…。 それで…修さんはあんなことを僕に訊いたんだ。 」 

 この間の夜の修の様子にずっとひっかかるものを感じていた史朗は、ようやくその意味が分かって憤慨した。

 「史朗ちゃん。 今の修なら大丈夫だとは思うのだけれど、もし、修が史朗ちゃんにひどいことをしてしまっても許してやってね。
 不意に襲ったりしなければ過激な反応はしないと思うわ。 」

 「襲いませんてば…もう…。 あれは酒の上での失敗で…。」

笙子はくすっと笑った。

 「ごめんね。 史朗ちゃん。 ほんと言うと…あれは私の悪戯なの。 」

 「え~。 笙子さん…ひどいなあ。 僕…ほんと恥ずかしかったんですよ。 」

史朗はそう言うと頭を掻いた。笙子は本当にごめんねといいながら笑った。

 「我が子同然の透くんのことは修は絶対に恋愛対象にはしないし、隆平くんも問題ないタイプだと思うのだけれど…雅人くんだけは別物だわ。

 口は悪いし態度も大きいけれど、本当は心の優しい子だし、修のことを一途に思うあの健気さは私が見ていても胸に迫るものがあるのよ。

 修の性格として、あの子が男の子だからという理由だけでは拒めない時が来ると思うの。 今でさえ修の中に揺れ動くものがあるのだから。

 だけど今の修では絶対に無理なのよ。
だからね。 史朗ちゃんに先ず免疫を作ってもらいたいの。 」

 史朗は眉を顰めた。笙子の気持ちは分からないでもないが、笙子の計画通りに進めていいことではない。

 「笙子さん…それは自然の成り行きに任せるしかないことですよ。 
僕を利用したことは許しましょう。 悪戯としてね…。

 でも…そっちの問題は理詰めで何とかなるってものじゃありません。
あなたに御膳立てをしてもらう必要はないんです。
 
 修さんはちゃんと考えてますよ。
その上で僕を本当に免疫作りに使いたいと思えば僕に直接言うでしょう。

 でも修さんは絶対僕を道具に使ったりはしない。
僕のプライドが傷つくし同時に雅人くんのプライドにも傷がつく。

 女は…道具に使われても平気なんですか? 」

 そう問われて笙子は返答に窮した。史朗が笙子に向かって、これほどはっきり反論したのは初めてだった。

 「使うのが平気なのよ。 いいわ。 成り行き任せと行きましょう。 
私も修のためにと思って焦りすぎたわ。 」

笙子がそう言うと史朗はにっこり笑って頷いた。



 相変わらず雨が降り続くせいか朝から何となく体の調子が良くなかった。
1時間目、2時間目と授業が続いた後、唐島は息が切れるような感じを覚えた。
3時間目が空き時間だったので保健室で少し休んだ。 

 授業が始まるとそんなことも言っていられないので教室へ向かった。 
少し休んだせいかわりと楽になっていた。

 「じゃあ…次のところ。 紫峰…読んで。 」

 唐島は透に音読させている間に、黒板に必要事項をまとめたものを書き始めた。
書いているうちに音読する声が遠くに聞こえるようになった。
途端、目の前が真っ暗になった。生徒たちの叫び声が遠くに聞こえた。

 透は急いで唐島の傍に駆け寄るとクラスメートに手伝わせて唐島を背負った。
保健室へ行く途中、背中で唐島が呟く声が聞こえた。
『修…くん…ごめん…ね。』
透は驚いたが無言で唐島を背負ったまま保健室まで走った。

 保健室の先生が急いで救急車を呼び唐島を病院に運ぶことになった。
透が帰って来た時教室は大騒ぎになっていたが騒ぐ気にはなれなかった。
窓の外を見ると唐島が救急車で運ばれる所だった。

 何気なく視線を移した時、透は救急車を見送る初老の男の姿を見て愕然とした。
雅人が言っていた図書室の男…河原先生に違いない。
河原先生はしばらくそこに立っていたが、やがて煙のように消えてしまった。

病院にいるはずの河原先生。
その姿を透も確かに見た。

どういうこと…?

透は怖いわけでもないのに肌が粟立つのを感じていた。




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三番目の夢(第七話 切なくて…)

2005-09-03 23:48:20 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 「ねえ…本当に行かないの? せっかく悟たちが呼んでくれたのに? 
藤宮のホームシアターはでかいからいい感じだぜ。 」

 透は留守番していると言う雅人にもう一度訊ねた。
藤宮の悟たちが一緒に映画を見ようと誘ってくれたのだ。

 「珍しいよね。 いつもは率先していきたがる雅人がさ…。 」

隆平も不思議そうに言った。

 「今日はさ…。 朝から頭痛なんだよ。 風邪かもわかんねえから…。
悟たちに謝っといて。 」

雅人がそういうと、透と隆平はそれじゃあ仕方ないなと言って出かけていった。

 ふたりが出て行ってしまうと雅人は修の部屋をノックした。
どうぞと言う返事に部屋に入ると、修は珍しく床に腰をおろしてジグソーパズルに興じていた。

 「透たちと遊びに行かなかったのか? 
今日はお祖父さまも遊びに行かれたからゲームのお付き合いは無しだろ。
楽しんでくればよかったのに…。 」

パズルから目を放すことなく修は言った。

 「修さんこそ…出かけないの? 」

雅人が訊くと修は顔を上げてにっこり笑った。

 「たまには僕も家でゆっくりしたいよ。 僕を見張っとけって笙子に言われたのかい? 可哀想に…遊びに行きたかっただろうに…。 」

 違うというように雅人は首を横に振った。

 「本当は僕の方が笙子さんに修さんの監視を頼んだの。 
でも…笙子さんも仕事があるしね。 毎日って訳にはいかないから。 」

 「おまえは心配性だな。 」

修は肩をすくめて笑った。ジグソーパズルを嵌め込む手が止まった。

 「ひとつないね…。どこへいったか? 」

 「ここに転がっているよ。 」

雅人はパズルの一片を手渡した。

 修がその一片を受け取ろうとした時、雅人の切ない胸の内がその手を伝わって修の心に流れ込んできた。けれども修は気付かぬ振りをした。

 「できた…。 あ~疲れた…。 」

修はうんと背伸びをして床に大の字になった。

 「これ飾るの? 」

雅人は手にとって眺めた。

 「もう…いらない。 嵌め込むのだけが楽しいんだ。 」
 
 修が起き上がった拍子に雅人の手のパズルの板をはじいてしまった。
幾百もの断片が床に散らばった。

 「ごめん…修さん。 せっかく作ったのに。 」

慌てて雅人は拾い集めようとした。

 「いいよ。 そんなの。 僕がはじいちゃったんだから。 」

 修は笑いながら適当にその辺の断片を拾って箱の中に放り込んだ。
さっきまで一枚の美しい絵だったものがばらばらのごみのようなものに変わった。

 「無惨だな…。 まるであの時の僕の心みたいさ…。 」

修が呟くように言った。

 「何があったんだろう…? 何をされたんだろう…? どうして…?
信じていたものが…ぼろぼろと崩れていく…。 

泣いていいのかな…? 怒っていいのかな…? 分からない…。 どうして…?

 誰かに訊きたい…。 誰にも言えない…。 悲しいのか…苦しいのか?
僕の前の幼い子どもたちの前では…泣くこともできない…。 」

雅人はどうしていいか分からず修と並んでへたり込むように座った。

 「雅人…訳も分からずに襲われる瞬間の恐怖はね…消えてくれないんだ。
普段は忘れていても…何かの時にふと甦る。 
誰かが僕を害そうとする…その瞬間に僕の場合は抑えようのない怒りに変わる。」

 修は自嘲するように笑みを浮かべた。 それから気を取り直そうとするかのように大きく1回深呼吸した。

 「ごめん…。 くだらない話をした。 」

 雅人は首を横に振った。

 「何ができる? 僕…修さんのために何がしてあげられる? 
何でもするよ。 修さんがいつものように笑っていてくれるなら…。 」

雅人の言葉に修は微笑んだ。

 「おまえが深刻にならなくてもいいよ。 それほど参ってやしない。 」

 修はまたパズルの断片を拾い出した。
雅人は胸が詰まって涙が溢れてきた。自分のことではめったに泣かない雅人だが修の姿が琴線に触れた。見られたくなくて向こうを向いた。

 雅人の肩が震えているのに気付いた修は、大きいけれど何処となくまだ子どもの面影を残した雅人の肩を抱いてやった。

 「…雅人。 おまえは本当に優しい子だね。 傍にいてくれて嬉しいよ。
ありがとう…。 」

雅人の瞳が何かもの言いたげに修に向けられたが言葉にはならなかった。 

 「もう少し時間をくれないか…? 」

 突然の修の言葉に雅人は驚いて目を見張った。動悸が激しくなって、肩を抱いてくれている修にそのことを知られるのが恥ずかしかった。

 「おまえは多分ずっと僕の傍にいるだろう…。 自由に道を選べばよいのに…。
巣立っていけばよいのに…。 そう決心してしまったのだろうね…。 

 紫峰の財政を預かる僕としてはおまえのような右腕ができることは有難い事だけれど…。 おまえが僕への想いゆえにそれを決めたのだと分かっている…。

 だけど…おまえのその気持ちに今の僕では答えてやれない…。 今の僕の心と体では…多分まだ受け入れられない…。 それが心苦しい…。 」

雅人の肩を抱いている修の手が微かに震えているのが分かった。

 「そんなこといいんだ。 僕が勝手に決めたんだ。 僕だって分かってる。
僕のあなたへの思いは世間的には通用しないんだって…。
修さん優しいから…真剣に考えてくれてたんだね。 それだけで十分だよ…。 」

雅人は笑って見せた。心の中ではで泣いていたけれど…。

 「何か…誤解してないか? 」

修はそう言って目を細め首を傾げた。

 「僕は時間をくれと言ったんだよ。 
いまおまえにアタックされたらアッパーかましそうだから言ってるんだけど…。」

今度は雅人が首を傾げた。

 「だから男はだめなんでしょ? 恋愛対象としては…。 だって修さん…女性は平気だもの。 僕知ってるよ。 結婚前には…笙子さん以外にもいたでしょ。 」

 「確かに…って何処からそういう情報を仕入れてくるかね…いつもながら。

 あのね…白状すると性的に迫ってくる相手が男だとすごい恐怖心があるわけ…。 
僕の場合、その裏返しが暴力になるから下手したら病院送りにしちゃうでしょ。
おまえに怪我させたくないからだよ…。 」

 雅人はきょとんとした。

 「え~? いつも戦ってる時は相手がどんなに手強くても命懸けでも、修さんてば全く怖れたためしがないのに~?  あっちの方はだめなの…? 」

 「悪かったね。 …というわけだからもう少し気持ちが落ち着くまで待ってねと言ってるの。 おまえが成人するまでには何とか慣れとく…。 」

修が妙な請け負い方をしたので雅人は思わず噴出した。

 「慣れとくって…まさか史朗さん相手に? 史朗さんだってぼこされるのは嫌でしょう。それに史朗さんは自分からは求めない人だもの練習台にはならないよ。」

 修は意味ありげににやっと笑った。雅人はあっと思った。
修は雅人の切ない思いにいつか必ず答えると約束してくれたのだ。
信じられなかった。

 それが本当になるかどうかは先のことだから分からないが、少なくともいまは本心なんだ。

だけど何故…今なんだろう…。

これだけ精神的に苦しんでいる最中に何故雅人のことを考えたのだろう…。

雅人の心に少しだけ不安が残った。





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三番目の夢(第六話 戻りたい)

2005-09-02 18:52:42 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 宇佐が選んだ店舗は中古ではあるがカントリー風の洒落た建物で、前のオーナーが大切に管理していた。
 70を越えて身体がしんどくなったために引退したのだが、この店に愛着があってなかなか手放せずにいた。
 たまたま店を探しに来た宇佐の男気に惚れこんだオーナーが是非にと言ってくれた事もあって、話はとんとん拍子に進んだ。

 年はとっても背筋をしゃんと伸ばしている洒落たオーナーをこのまま引退させておく手はないと、宇佐はこのオーナーを看板親爺に採用したのだ。
 仕事はテーブルの案内係だが、体調がよければ他にも仕事をしてもらう条件で、時給で働いてもらうことにした。

 「かっこいい親爺だろ。 何しろうちの看板だからな。 年はとってもなかなかのもんさ。 」

新しい店を訪ねてきてくれた修に宇佐は自慢げに言った。

 「親爺といえば…河原先生はどうなさっておいでかなあ。 」

 宇佐は高校時代に思いを馳せた。
数学の担当だった川原は、修や宇佐のよき理解者のひとりと言える人だった。

 化学の実験の時、手順を間違えると爆発するぞと言われたそばから爆発させて化学の先生に怒られている修にその理由を訊ねた。

 修は爆発させてみないとその威力や現象を理解できないと言った。 
それから藤宮学園では危険を防止するため、準備可能な限り実験前に、ビデオでそうした現象を見せてから実験をするようにした。

 数学の授業中に生物の先生が血相変えて飛び込んできた。
生物室の前の廊下に水槽の中の青大将を放したというので怒った先生が修を連れに来たのだ。この先生は蛇が大の苦手だった。
 修は蛇だってケースの中ばかりじゃ退屈するからちょっと散歩させてやったんだと言う。
 犬じゃないんだからと言って河原先生は修に蛇を捕まえるように指示した。

 「考えてみれば…おまえは相当の問題児だったぞ。 
まあ普段の成績が良かったから先生たちに睨まれずに済んだってとこだ。
修なら許せる…修なら仕方ない…みたいに思われてたからなあ。 」

 宇佐はそう言って声を上げて笑った。修も懐かしそうに目を細めて微笑んだ。

 「この間、高等部に行ってきたが、そう言えば先生はおられなかったな。
もう退職されたのかもしれないね…。 」

 修はこの前職員室の中にいた先生たちを思い出しながら言った。
修たちの同期生が教師をしているくらいだから職員室も世代交代したのだろう。
学校から知った顔が消えていくのは少なからず寂しいものである。

 「今度藤宮へ行ったら、誰かに訊ねてみるよ。 」

そう約束して修は宇佐の店を後にした。 




 正規の授業が終わって帰り支度をしていた雅人は腕時計をどこかに置き忘れたことに気付いた。
 はずしたのは体育の時と昼休みに図書室へ行った時だ。
更衣室のロッカーと図書室のテーブルの上を透視してみた。
時計は図書室…いま誰かが見つけてくれた…。
 
 雅人はその誰かの近くに普通ではない気配を感じ取った。
危険ではないが安全とも言い難い。雅人は急ぎ、図書室へ向かった。

 図書室の扉は二重になっているので見えにくいが、どうやら中に居るのは唐島のようだ。唐島の他にも何かがいて唐島はその何かと話をしているようなのだ。
 
 第一の扉をそっと開け、その何かがまだいるのを確認すると、第二の扉のガラス張りの部分から覗き込んだ。

 年配の男の後姿が見えた。
雅人はその男の正体を探ろうとしたがうまくいかなかった。
 人であることには間違いはない。
しかし、生きているとも死んでいるとも判別がつかないのだ。

 雅人はそっと扉を開けた。

唐島が気付いた。

 「雅人くん…? 何か…? 」

 「時計…腕時計を探しに来ました。 」

雅人は言った。すでに扉を開けた時点で年配の男は消えていた。

 「ああ…それなら…ここにあるよ。 」

唐島は時計を差し出した。雅人はそれを受け取ると訊いた。

 「いまどなたかここにいませんでした? 」

 「え? ああ…河原先生のことだね。 」

河原…? 雅人は変に思った。 河原なんて先生がいたっけか…?
時々中等部の先生たちが利用することもあるから、中等部の先生だろうか…。

 「あの…ありがとうございました。 」

雅人は頭を下げた。

 「どう致しまして…。 急がないと受験塾に遅れるよ。 」

 唐島はそう言って何列かに並んでいる奥の本棚の方へ向かった。
雅人はそっと棚の方を覗いてみたが、あの年配の男は何処にも見当たらなかった。気配さえいつの間にか消えてなくなっていた。




 悪夢に魘される自分の声に驚いて修は飛び起きた。
唐島に再会するまで、ここ何年も悪夢なんて見もしなかったのに。

 少し神経質になり過ぎている…と修は思った。
あれはもう過去のことで…いまさら思い返しても仕方のないこと…。
 
笙子が心配そうに修を見上げていた。 
 
 「ごめん…起こしてしまったね…。 」

修が再び横たわると笙子が優しく頬を撫でた。
 
 「大丈夫よ…修。 たくさん乗り越えてきたんだから…今度も大丈夫…。
あなたに落ち度なんてなかったのよ。悪い所もなかったの。
 
 泣きたければ泣いて…笑いたければ笑って。怒ってもいいの。我慢してはだめ。 
言いたいことがあったら口に出すのよ。 抑えないで。 」

修はそっと笙子に耳打ちした。抑えられません…と。

 「もう…馬鹿ね…真面目に言ってんのに…。 いつも冗談でごまかして…。 」

 修の笑顔と冗談は曲者だということを笙子は知っていた。誰にも心配をかけたくないとか本心を明かしたくない…などという時にわざと馬鹿なことを言ってみたりするのだ。
 
 夫婦にとって幸いだったのは、アブノーマルなエロ本でゲロゲロ状態の修でも、ノーマルな性生活には思ったより支障がなかったということだ。

 笙子が子供の頃から修の精神面を支えてきた結果でもあるが、ガラスの脆さと、それを補修プロテクトする鋼の強さを重ね持つ修の精神的特徴とも言える。

 多分今、再会のショックでぼろぼろと壁が崩れかけているところなのだろうが、しばらくすれば、再び、より強い塗料で壁を塗りなおして復活するだろう。
 笙子は自分の中に修を迎え入れながらそれを確信していた。




 雅人から例の気配の正体は河原という教師らしいと聞いて、修はすぐに輝郷に先生の消息の確認を取った。

 輝郷の話では河原先生は二年ほど前に自宅で倒れて以来、今は入院中だという。
輝郷も時々見舞いに行くが、意識がはっきりしている時と、ぼんやりしている時があって、もしかするとこのまま学校には戻れないかもしれないということだった。

 宇佐にも連絡を取って一緒に見舞いに行くことにした。

 修たちが病院を訪ねたとき、先生は病室のベッドの上にぼんやり座って窓の外を見ていた。

 付き添っていた息子さんが取り次いでくれた。

 「父さん…教え子さんたちが見舞いに来てくださったよ。 」

 そう声をかけると先生は修たちの方を見た。先生は修の顔を見るや否や、にっこり笑っていった。

 「修…飯食ったら授業に出るんだぞ。 宇佐…遅刻すんじゃないぞ。 」

 修も宇佐も思わず返事をした。

 「はい…先生。 」 

先生は満足そうに頷きながらにこにこ笑っていた。

 「もうじき退院するよ…。 そうしたらまた教室で会えるな。
ここは退屈で…かなわん。 早く学校へ戻りたい…。 」

 修は頷いた。宇佐は半べそ状態だった。
先生の中で時が止まってしまった。 修たちを覚えていてくれたのは嬉しいが、先生にとってふたりはまだ高校生のままなのだ。

 修たちはできるだけ先生に話をあわせ、先生が困らないように努力した。

 生徒を愛し、学校を愛し、学校に帰りたがっている。
奇跡が起きてその望みが叶えられることを修も宇佐も願わずにはいられなかった。

帰り際、先生はふたりのにわか高校生に気をつけてお帰りと言ってくれた。

 「早く戻ってきてね。 先生。 待ってるからね。 」

修たちは子どものように先生に手を振った。

心から…。




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三番目の夢(第五話  癒されぬ修の傷)

2005-09-01 19:04:02 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 朝から降り続いている雨のせいか、まだ5時をまわったばかりだというのに夜のように暗く、居間に集まっていた透たちもだれ気味で、参考書を片手に半分居眠り状態だった。

 寝ぼけ顔で耳を澄ませると玄関の方で、はるが驚いたように何時になく大声を上げるのが聞こえた。
 透が何事かと起き上がると居間の入り口に懐かしい顔があった。

 「宇佐さん! 」

 透は自分のでかさも忘れて、にこにこと笑い顔で立っている体のごつい男に飛びついた。男は嬉しそうに透の背中をぽんぽんと叩いた。

 「透! でかくなったなあ! 元気か? 」

目を覚ました雅人と隆平が誰…?というようにそちらを見た。

 「おい。透。兄弟増えてねえか…? 冬が逝っちまった話は聞いてたが…。 」

男は不思議そうにふたりを見た。

 「冬樹の腹違いの兄貴で雅人。 親戚の隆平。 修さんが引き取ったんだ。 
この人は、修さんの友達でイタリア料理のシェフ。 宇佐さんて言うんだ。」

透が紹介すると雅人と隆平はぺこっと頭を下げた。

 「ねえ。 何時イタリアから帰ってきたの? こっちで店開くの? 」

 「帰ってきたのはちょっと前になるな。しばらく他でシェフをやってたから…。
こっちで自分の店を出すつもりで物件探しをしてるんだ。 」

宇佐はまたにこにこと笑った。
 
 「ねえ。 何か作って。 久しぶりに宇佐さんのパスタ食べたいよ。」
 
透がねだると宇佐は嬉しそうに頷いた。リュックを下ろして中を見せながら言った。

 「そのつもりでな。いろいろ仕込んできたんだ。おい。おまえたちも手伝え。 今夜はパスタパーティしようぜ。 」

 宇佐は雅人や隆平にも声をかけた。そういうことなら…というわけで参考書は床の上でしばらくお休み頂くことになった。

 高校、大学時代、紫峰家に遊びに来ると宇佐は、はるの仕事を手伝ったり、料理を作ったりしてくれた。
 修が留学している間には、貴彦に預けられれていた透と冬樹のために貴彦の家を訪れて、よく子ども料理教室を開いてくれた。

 透や冬樹だけでなく貴彦の娘たちやその友達も一緒に料理を教わったので、当時結構、親たちからも喜ばれたものだった。

 家業が洋食屋だったこともあってその知識は豊富で腕前も確かだった。
修が帰国したのと入れ替わりにイタリアへ修行に出ていたのだ。

紫峰家の厨房から久々に子どもたちの笑い声が響いてきた。  



 いつもより少し早い時間なのに校門をくぐると辺りはもう真っ暗だった。
自宅のマンションまではバスで2区ほどの近い距離なので徒歩で通っている。
いままで1時間ほどもかけて通っていたことを思えば何と楽なことか…。
唐島はゆっくり歩き始めた。

 急いで帰っても誰も待ってはいない部屋である。
幼い時から孤独には慣れてはいたが、明かりがついていない部屋に帰るのは寂しくないわけではない。少し前に同居していた姉を病気で失ったばかりなので…。

 「唐島先生。」

 背後から呼びかける声があった。
振り返ってみると篠田という教師が足早に近付いてきていた。

 「いや~。 先生もこちら方面でしたか。 」

 聞いてみると篠田は唐島の2ブロックぐらい先のマンションにいるらしい。
唐島より少し年上で、修がいた当時は教師になったばかりだったという。

 「この間は盛り上がりましたな。修の話を肴に。いや実際面白い奴でしたよ。」

 篠田は愉快そうに言った。唐島は思わずドキッとした。あの初老の先生が言ったとおり、ここにも修を知っている人がいる。

 「だけど…あいつ妙な癖がありましてね。 」

篠田は唐島と並んで歩きながら話始めた。

 
 ど派手で豪快なパフォーマンスを全学年の男子が本当にやってのけた体育祭の後、三年生の受験が間もなく始まるということもあって、しばらくはみんな静かに過ごしていた。

 年頃が年頃なだけに暇があるとろくなことをしない連中が出てくる。
その日も何人かの男子が教室で誰かが持ち込んだエロ本を回し読みしていた。

 そこへ修がやって来たので修にも見せてやろうということで、みんながそっと手招きした。   

 「なにそれ? 」

 「プレミア付きの袋綴じもの。 超刺激的で超過激。」
 
 みんなは修の目の前に特に過激な写真のページを広げて見せた。
すると修はいきなり真っ青になって踵を返すと、そのままトイレに飛び込んでゲーゲーやり始めた。

 あんまりゲーゲーやっているので、心配したその中のひとりが保健室へ連れて行った。ちょうど校医さんが来ていて胃腸風邪だろうということだった。

 「なんちゅうか…すげえタイミングだよな。 エロ写真見た途端に胃腸風邪でゲロゲロってのはさ。 修らしいといえば修らしいけど…。 」

 ところが修の体調の異変はそれ一度きりではすまなかった。
数日後にまた別の雑誌を持ち込んで眺めていた生徒たちが、篠田が教室に入ってきたのに驚いて思わず雑誌を落とした。  

 たまたま通りかかった修の目の前にとんでもない写真がばらまかれた。
修はまたトイレへ直行。今度は篠田が保健室へ連れて行った。

 不思議なことに単なるヌード写真とか、他愛のない猥談とかには普通にのってくるし、そんな過激な反応はしない。それが同級生たちにとって謎だった。


 「どうもね。 レイプとかオーラルとかそういう行為の記載があいつにとってめちゃめちゃ気持ち悪いらしいんです。
 
 そういう写真もだめなら、ほら写真のわきとかに想像を駆り立てるような見出しとか文章とか載せるでしょう。 あれが目に入っただけでゲロゲロ状態。

 2~3度そんなことがあってから笙子がえらい怒りましてね。
修に変な本を見せるなと男子生徒にくってかかりまして、それ以来、猥談はともかく、そっちの方に関係する本や写真は修の目の届かない所でってことになったようです。 」

 篠田はそう言って唐島を見た。唐島は何気ないその視線にさえ心臓が止まるかと思うほどショックを受けていた。

 「そうですか…。 そんなことが…。」 

 「行動だけを見てるとね。 
豪放磊落とはこのことかと思うようなことをやらかしてくれるんですけど…。
本当はわりと繊細な神経の持ち主なんですねえ。 」

 篠田は自分で頷いた。
修には闇のの部分があった…と初老の先生は言っていたが、まさにこれもそのひとつなのだろう。
唐島は胃の腑がぎゅっと締め付けられるような痛みを覚えた。



 修からメールが入ったのは夕方のことだった。
今夜は笙子のマンションの方にいるから遊びに来ないかという誘いだった。

 史朗の住居は笙子のマンションからさほど離れていない。
仕事の便宜上でもあるが笙子の便宜上でもある。
 仕事上のパートナーであり、愛人でもあり、常に夫の修より近い距離にいる。
修はそれを承知の上で年下の史朗を可愛がっている。

 史朗が呼び鈴を鳴らすと修が迎えてくれた。
珍しくエプロン姿である。

 「修さん。料理できるんですか? 」

史朗は驚いて訊いた。

 「全然…。 友達に教わったこのスパゲッティくらいだ。
僕が先に帰ってきたのでたまにはと思ったんだけど…笙子は外泊だって…。 
ひとりじゃ食べきれないからね。 史朗ちゃんにメールしたんだよ。」

修はそう言って笑った。

 「あ…。じゃあ僕、サラダでも作りますよ。 」

史朗はそう言うと手際よく準備を始めた。

 「へえ。 史朗ちゃん料理できるんだ。 」

 「やだな。料理ってほどじゃないでしょ。野菜洗って切るだけなんだから。」

男ふたりの食卓が何とか整った。
 修は史朗のためにワインを開けた。修自身はそれほどの酒好きではないが、史朗は結構いける口である。

 以前に酒を飲んだ勢いで修に愛の告白をしてしまったので、この頃は少し控え気味にしているらしい。
今更…遅いと修は思うのだが…。

 「手際いいね。 史朗ちゃん。 惚れ惚れするよ。 」

 「親亡くして作ってくれる人なんてなかったから…慣れてるだけです。 
笙子さんに出会うまでは…ほんとひとりだったから…。 」

 史朗は高校を間もなく卒業するという時に両親を事故で亡くして、笙子の会社でアルバイトをしながら大学まで行った。

 その時にはまだ、笙子ともそんな関係ではなく、史朗の将来性を見込んだ笙子が史朗の生活を援助し、修が奨学金を提供したに過ぎない。

 史朗はその恩を決して忘れておらず、卒業してからも笙子の会社で一生懸命働き、会社を拡大するのに貢献したのである。

 修は史朗の誠実な人柄を信用しているし、笙子への忠誠心も疑いなく、修を慕ってくれる心根が本心可愛くもある。

 食事が済むとコーヒーを入れている修の横で、史朗はてきぱきと片づけを済ませていった。
 時々このキッチンで笙子の手伝いをしている史朗は、修より何処に何が入っているかなどを良く心得ている。

 「後は僕がやるからいいよ。 ありがとう。 」

コーヒーを居間のテーブルに運びながら修は声をかけた。

 史朗は大方すべてを片付け終えて修の待つ居間のテーブルの方へやって来た。
他愛のない話をしながら子どものように屈託なく笑って時を過ごした。

 修はふと今の自分を少年だった唐島に重ね合わせた。目の前の史朗はあの頃の修自身なのか…。疑うこともしないで、楽しそうに笑っている…。

 「史朗ちゃん。 君が僕を好きだと言ってくれたから訊くのだけれど…。
もしもいま、僕が腕尽くでレイプしたら君は僕を許せるかい? 」

 史朗は驚いて目を見張った。修は冗談を言っているわけではなく、真面目に問うているのだと分かった。

 「腕尽くで…ですか。 絶対…嫌ですね。 それは許せません。
どんなに好きな相手でも…強制されるのは嫌です。 

 僕の中に相手を受け入れるだけの心の準備ができていなければ…気持ちの高揚がなければ…それは悲しいだけです。
その場の雰囲気もあるとは思うのですが…。 」

 史朗は慎重に答えた。修は納得したように頷いた。

 「そうだよね。 僕がおかしいわけじゃないんだ。 やっぱり嫌だよね。
男だって女だって誰かに強制されるのは…。 」

修は呟くように言った。

 「修さん。 何かあったんですか?  」

史朗は心配そうに訊ねた。修は笑顔で首を横に振った。

 「なんでもないよ。 ごめんね。 史朗ちゃん。 変な事を訊いて。 
史朗ちゃんをレイプしようなんて全然思ってないからご安心を。 」
 
 修はいつものようにおどけていったが、史朗はどこか不自然なものを感じた。
修はそれきりその話はしなかった。史朗も何となくそれには触れない方がいいような気がして何も訊かなかった。

 夜が更けて史朗が帰っていくまで、ふたりはなんと言うこともない話に興じ、意味のないことが可笑しくて仕方がない無邪気な子どものように笑って過ごした。

 



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