つい先日、室戸岬沖で自衛隊の潜水艦と商船が衝突した。20年前にハワイオアフ島沖で米軍の潜水艦と宇和島水産高校の練習船が衝突した。
単なる偶然だが、どちらにも森喜朗氏が世間の猛批判を受けている姿と重っている。
今は女性蔑視発言で国内外で猛批判を受け、20年前は事故報告を受けながらゴルフを続行して世間の猛批判を浴びた。この時は退陣の一因になったのが暗示的だ。再び?
小渕首相が急逝し、密室の派閥談合で後継者に決まったのが森喜朗氏だった。政治家の中でも名前をもじって、“蜃気楼”と揶揄された。
ある時突然現れて消える実体の無い現象と掴み所の無い政治姿勢が共通していたからか。
管首相周辺は、本人が「消える」のを待ちつつ、後釜に“あの人”をと水面下で探っているだろう。再び“あの人”が蜃気楼のように現れるのは最悪だ。
森発言の重大さが男女平等というオリンピック精神やジェンダーフリーさらにはこの国の社会の成り立ちという大きな視点から論じられている。
気がかりなのは森辞任と引き換えに、こうした議論がいつの間にか姿を消して、「森さんは頑張った」という日本的な収束に至り、〝何が何でも開催〟が既成事実化することだ。
「猛暑期前提の立候補」「虚偽の誘致アピール」「疑惑のロビーマネー」「震災復興スローガンとの乖離」「膨れ上がった開催費」「パンデミックの発生」「ワクチン接種スケジュールの不確実性」
問題が多すぎる。大所の議論は後々ゆっくりやるとして、先ずは国民の8割が開催を疑問視している大会を歴史に刻んでよいのかという議論だとずっと思っているが誰も触れない。
12日を境に、ダーッと後任会長の話題に移ってこの国は何も無かったかのようにオリンピックに盲進する姿が蜃気楼のように浮かぶ。消すのは外圧しかないのか。一番の最悪な姿だ。