昨年の衆院選で当時の立憲民主党の枝野代表は「足腰が弱かった」ことを敗因の一つに挙げて潔く退陣した。
枝野氏の言う〝足腰〟は組織面ばかりでなく、個々人の日頃の運動量だろうとスンナリ理解した。
まだ札幌に通勤していた5~6年前でも既に(立憲)民主党の街頭演説を見かけることは無くなっていたから。
ネットの時代になろうが政党・政治家は街で泥臭く訴えてナンボのものだろう。
何せ某党は公共事業を抑え、某党は信者を抑え、某党はかつて細胞と呼ばれた組織網を持つ。
今や組織率が多分2割にも充たない労組に胡座をかいていて勝てるはずは無いと思う。
しかし、25日に幹部が検討した泉新代表の下での「総括原案」にはビックリだ。
共産党との連携による票の流出を敗因の一つとして挙げている。
選挙のことは分からないが、単純な足し算で済まないのがこの世界のはずだ。百も承知の上でこのような一方通行の原案を検討するという稚拙さに驚く。
その〝科学的根拠〟として、惜敗した31選挙区で3パーセント強の票が他候補に流れ、比例代表でも日本維新の会、自民党、国民民主党など他党に約5%が流れたという。
これでは公党同志が選挙協力で合意して闘った相手方にあまりに失礼であり、総括以前のレベルの問題ではないか。
さすがに会議では反発が相次ぎ、代表らへの修正一任とはならず、こうした記述は削除したものの、持ち回りでいつもの内向きな曖昧な決着を図ってしまった。
ここまで「連合」に気を使わなければならないのであればこの際決別して闘う新しい路線を徹底議論すべきではなかったか。
ついでに生煮えだった政権運営のあり方も。全て代表選でスルーしたのだから。
負けたら組んだ相手のせいにするような未熟な政党に魅力も未来も無いのではないか。
立憲民主党の中には楕円と円さんと同じように考える議員はいないのでしょうか。
自民党の中にも親分衆(?)の首に鈴をつけるものがいないのと同じように、自己保身に陥っては何も進展しませんよね。
「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」の例えのように失敗についても誰憚ることなく、議論と行動をすべきだと思います。
「火中の栗を拾う」にもいろいろな解釈があり、他人のために犠牲を払うというところまでは同じですが、フランスや中国ではそれを愚かな行為と切り捨てています。ところが日本では、バカなことをするなという戒め以上に、自己犠牲を伴う尊い行為だという見方をされることもありますね。
「やればできる・・」の意思統一をし、「連合」とは決別すべきだと思います。
議員としての矜持を持ってほしいものですね。
若い頃は一定期間ほぼ全員が総評傘下の自治労に入れられ(笑)、「政治」と「生活」の組合運動というものを先輩諸氏からたたき込まれた時代ですが、官民問わず非組合員が圧倒的な今の時代、「連合」にすがっていては立民は終わります。特にあのオバサンは私怨を感じていけません。立民は連合と決別して魅力ある政策を掲げ、訴え、世に問うことから始めて欲しいものです。その実現に必要な政党とは大同に就いて組むべきです。
『健全な野党が育って行かないと結局困るのは主権者ですね』は、
おっしゃる通りですね。また、『ジャーナリズムの衰退は危険です』も
同感です。今、小異を保留し大同につかないと、政権に勝てないのは目に見えていますね。
なお、「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。
また、運営への嬉しいコメントまで頂き、恐縮しています。
皆さんから出詠して頂いた短歌から、日々学ばせて頂いています。
観戦に当たって諸々の注意事項が「お願い」として事前に徹底されている故でしょうか。
その中で「声を出さないで」が、どの会場でも守られていて「凄い」と感じることが在ります。
日本人の美質でしょうが頭が下がります。
「ぶつかり合う選手と静かにマスク観戦」のコントラストを、適切に切り取り
短歌に紡ぐ『楕円と円』さんの感性に学んで行きたいと思います。
これからも宜しくお願い致します。