2013年7月の檜山旅
箱館のMさんの『自遊旅』に1泊して国道227号中山峠経由で昼に江差町に着いた。
・7/21 恵庭→札幌→(バス)→函館 (Mさんの「自遊旅」)
・7/22 函館→江差 60Km(ふじや旅館)
23歳から仕事で6年半を暮らした江差町は第二の故郷のような土地だ。
街の入り口の高台から見える獅子岩が懐かしい。
「鴎島」へ直行した。千畳敷の夕日はその昔、開高健のサントリーウイスキーCMにも使われた。同僚と早朝のホッケ釣り、結婚してからは休日の散歩コースだった。
歌手のペギー葉山が「鴎島まつり」で来町して芝生のステージでそよ風に乗せて”南国土佐“を歌ったことがある。その日と同じ気持ちの良い青空だった。
江差町と言えば「江差追分」。信州の馬子唄が北前船で伝わったという。前歌、本歌、後歌とあって、鴎の鳴く音にぃ~という有名な下りはいくつもある本歌の一つだ。鴎島には漁師で名人の故・青坂満さんが住んでいた。
《復元された開陽丸》
鴎島から江差の街を望む。復元された開陽丸が島への防波堤道路沿いに浮かぶ。
開陽丸は幕府がオランダに建造させた最新鋭の軍艦だったが新政府に反乱した榎本武揚らが乗り込んで森町鷲ノ木、そして新政府軍との戦いに備えて江差に向かうが、沖合でタバ風と言われる暴風に見舞われて座礁、沈没した。
長らく発見されなかったが、現在の防波堤の下に埋まっていることが分かり、江差に住み始めた翌年の1974年(昭和49年)に引き上げられた。勤務中に見物に行くという長閑な時代だった。
貝殻や海藻がびっしりと付き、錆びで真っ赤な岩の塊のようになった大砲がクレーンで海面から姿を現すという歴史的なシーンを目撃した。江差高校生が錆び落としをして綺麗になって町の博物館に展示された。
鴎島でのんびり休息して、800年の歴史があると言われる北海道最古の「姥神大神宮」へ向かった。 (つづく)
《鴎島》