小河原湖 2023.8.20 15:00頃
寺山修司。
学生の頃だったか、難しい論理構成の独特の語り口がモノマネの対象になっていて存在を知ったが、アングラ前衛演劇集団「天井桟敷」を主宰している奇才という浅い認識しか無かった。
47年の人生で多彩な仕事をしている。
歌人・劇作家・演出家・映画監督が一般的な肩書きのようだが、これ以外に
俳人・詩人・作詞家・放送作家・競馬評論家等々。
「職業は?」と問われて、「寺山修司」と答えたという逸話があるほどだ。
下北半島の自転車旅で「小川原(オガワラ)湖」にキャンプした。
海水と淡水が混じる汽水湖で、家族連れで賑わう〝湖水浴〟エリアの砂浜にはそのことを示すシジミの貝殻が混じっていた。
朝、テントから顔を出すと、広い湖面に深い霧が立ち込めている。
キャンプ場の人に聞くと、太平洋まで東に2Kmしかなく、その影響により朝は海霧が流れ込んで来るという。
小川原湖を出発して直ぐに「寺山修司記念館」が近くにあることを示す矢印があった。
開館している時間ではないのでパスしたが、寺山修司はこの辺りの出身なのだろうかと漠然と思った。
帰宅して調べてみると、
本人は「父の転勤で、走っている列車の中で生まれ、ゆえに故郷は無い。」と記しているという。
寺山修司の訛りの強い早口だが茫洋とした語り口でもそのような説明をしていたのだろうかと少し笑った。
母はつによれば、弘前市生まれであるが、戸籍上は現在の三沢市らしい。
小川原を出て、早朝の下北半島の深い霧を走っていて、突然、寺山修司の歌を思い出した。
強烈で心に残っている。
- マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや -
この風景に歌の着想があるのではないか、と勝手に想像しながらペダルを漕いでいると、複雑な家庭環境にあった寺山修司と下北の海霧が結びつくようだった。
記念館は母はつ氏が寄付した寺山修司の遺品を保存公開するためのものだが、マッチ擦る・・・の歌は林檎の弘前より霧深い下北半島の方が合っている。
六ヶ所村の山中の霧 2023.8.21 6:45頃
- 面売りの面のなかより買い来たる笑いながらに燃やされにけり -
浅い認識の自分には難解だ。
>- マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや -
これを見て咄嗟に思いました。
寺山修司が今の日本の政権、政治そして
日本を見たら何と思うかと・・・
愛国心と言うと、直ぐに単純に右翼とか言われる世の中ですが、守るべきものがあってこその愛国心、祖国愛と思ってます。
寺山修司がこの歌を詠った背景は何だったのか、興味がありますね。