道東自転車旅で浜中町が運営している霧多布岬キャンプ場に二日間滞在した。芝生、炊事場、トイレ、どれも綺麗に整備されていてテントサイト利用料が無料というのは嬉しい。
「霧多布岬」と「アゼチ岬」の二つの岬からの眺めも素晴らしく、近くに温泉「ゆうゆの湯」がある。霧は地域的に仕方が無い。それも魅力のひとつと思える。
《霧多布岬 点々とした岩礁は襟裳岬を思い出させる。 19.7.28》
《アゼチの岬から見た手前の「小島」横の「ゴメ岩」奥の「嶮暮帰島(けんぼっきとう)」 19.7.28》
自転車で根室から国道142号を走ってきてあれっ?と思うことがあった。なかなか市街地が無い。ついには大きなアーチ橋を渡
った。そこに市街地と役場があった。
霧多布岬というより霧多布「島」の感覚である。家に戻って調べてみると興味深いことが分かった。
町などの資料によると、江戸時代には「霧多布島」だった。明治時代になって初代の橋が架けられた記録がある。天然の良港で水が豊富だったので人が住み始めたという。どうりでキャンプ場の炊事場の水が冷たく美味しかった。
そして、1960年5月のチリ地震津波。12波の津波が来襲する前の航空写真では陸続きになっているが、津波後は湿原の陸地がえぐられ、海流の浸食により浜中湾と琵琶瀬湾の間に水道が形成されている。
明治時代の橋はこの時流されて仮架けされ、2000年に今のアーチ橋となった。つまり、霧多布は島から半島へ、そして再び島へと変遷してきたのだ。
これまでの経過を踏まえて歴史資料は「島」と「半島」の両方の記述が混在しているらしい。
千島列島火山帯に起因する大地震の予測もある。永久橋が流されることがないよう祈る。
《朝霧をついて出漁している昆布漁船 19.7.29》